第一の事件は、1980年2月23日に発生した。この日の夕方、富山県内で帰宅途中の女子高生が何者かに誘拐された。2日後の2月25日、女子高生の自宅に身代金要求の電話があったが具体的な金額は提示せず。女子高生は3月に岐阜県の山中で遺体となって発見された。
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第二の事件は3月5日、長野県で起こった。犠牲者は長野県内の某信用金庫に勤める20歳の女性で、彼女も会社からの帰宅途中に消息を絶った。翌日、家族のもとに電話がかかり、「明日、長野駅へ3000万円持ってこい」と指示された。しかし、3000万円という金額はすぐに用意できる金額ではない。再度犯人から「2000万円を持って長野駅へ来い。そして高崎駅で降りろ」と連絡がきた。しかし犯人は現れず、翌月の4月に長野県の高原で絞殺された姿で発見されている。
若い女性が次々に誘拐される事件。この事件に共通していたことは、身代金を要求する電話の主が女であったこと。そして、必ず真っ赤なスポーツカー「フェアレディZ」が目撃されていたことである。
警察は以上の手がかりからギフト店経営者の当時34歳の女・宮島(仮名)とその共同出資者の男(28歳)を逮捕した。
ふたりは富山県で100円ライターなどを販売するギフト店を経営。しかしすぐに経営難に陥り数千万円もの借金を負った。金策尽きた宮島は借金をして、当時流行だったスポーツカー・フェアレディZを購入。若い女性を狙った誘拐計画を思いついたという。
宮島はプライベートでは大きなサングラスの似合う美人として知られており、オシャレなスポーツカーを乗り回す姿は、まさに若い女性が思い描く「かっこいい女性」を体現した存在だった。だが、その実態は恐ろしい誘拐殺人犯だったのだ。
1988年2月9日、宮島は死刑判決を受けた(戦後7人目の女性死刑囚)。現在は名古屋拘置所に収監されているという。
文:穂積昭雪(山口敏太郎事務所)