球団1年目となった2005年シーズンに、歴史的な大敗を喫して最下位に終わった楽天は、田尾安志初代監督から、南海、ヤクルト、阪神で監督を務めた“名将”野村克也さんに白羽の矢を立てた。当時、社会人シダックスの監督を務めていた野村さんだったが、シダックスの後押しもあり、このオファーを受諾。2代目の監督に就任した。
楽天監督時代は“ボヤきのノムさん”として、楽天ファンやプロ野球ファンに限らず多くの国民に愛され、現ニューヨーク・ヤンキースの田中将大を「マー君、神の子、不思議な子」と語るなど、毎試合必ずボヤく中で名言も次々と飛び出すだけではなく、楽天を全国紙に掲載されるチームへと飛躍させた。チームは2007年に最下位を脱出すると、野村さんは2009年にさらに契約を延長する。
2009年シーズンには、球団初のクライマックスシリーズ進出を1stステージ開催権がある2位で決めたが、シーズン終了後にこのシーズンをもって契約を終了することが明らかになる。ファンの間からは球団への非難が高まる中、「仙台のファンに日本シリーズを見せてあげたい」とCSに臨んだが、1stステージでソフトバンクを破ったものの、ファイナルステージで日本ハムに敗退。試合後、野村チルドレンが多く在籍していた日本ハムの選手も一緒になって、楽天の選手たちに胴上げされた。
2010年から2012年まで楽天の名誉監督を務めたが、「3年契約の名誉監督なんてあるのか」とボヤいていたのが懐かしい。
楽天の立花陽三代表取締役社長は「野村さんの突然の訃報に接し、残念で仕方がありません。野村さんには2006年より4年間、チームの監督として、球団史上初のクライマックスシリーズ出場だけではなく、楽天イーグルスの土台を築いていただきました。楽天イーグルスには野村さんにご指導いただいた指導者がたくさんおります。野村ノートをはじめとして、野村監督が教えてくださったこともしっかり継承して参ります。監督・選手・スタッフ・職員一同、心よりご冥福をお祈り申し上げます」とコメント。
楽天では、野村元監督の献花台を12日から15日まで、楽天生命パーク宮城 GATE1に設けることを決定した。楽天時代はボヤきだけを集めたDVDやCDも発売されており、話題作りを欠かさない名将だった。合掌。
(どら増田)