失踪したのは、当時30歳の女性Aさんと当時3歳の息子、二人と同居していた当時33歳の男性Bさんの3人。Aさんにはオランダ人の夫がいたものの、事件の1年前から別居していた。オランダに夫を残して帰国したAさんは、友人の紹介で知り合ったBさんと3人で生活をしていたという。
事件当日の午後1時ごろ、Aさんは息子を連れて父親の元を訪れており、その際にBさんと一緒に四国に旅行へ行く予定を父親に伝えていたそうだ。最後に目撃されたのは、同日午後9時過ぎ。隣人夫婦がAさんと会話しており、特に変わった様子は見られなかったという。これ以降、Aさんと息子の足取りが掴めていない。
一方、Bさんは7月28日頃まで、Aさん宅に一人でいる姿を近隣住民に目撃されている。7月27日にはAさん宅の大家に、「家賃を払いたい」と電話を掛けていた。「今すぐには口座番号が分からない」と大家が答えると、Bさんは「明日また電話を掛ける。Aさんと息子は先に旅行に出発したので、自分もこれから後を追いかける」と話したそうだ。その後、Bさんも姿を消してしまう。
Aさんは毎月25日から26日になると父親のもとへ訪れ、生活費をもらっていたのだが、8月になってもAさんが父親の前に姿を現すことは無かったという。心配したAさんの両親は、四国の旅行先に電話を入れるなどしてAさん達の行方を調べたが、見つけることは出来ず。9月11日、Aさんの父親は地元警察に捜索願を提出した。
警察は周辺の捜索を開始すると共に、Aさん宅の捜査を始めたところ、なんと自宅から200ml近い量の血痕が見つかったという。畳に20センチ四方、押し入れの布団に2センチ四方の血の染みだった。血液型を調べたところ、Aさんと同じB型であることが判明したが、当時の鑑定では本人と断定することは出来なかった。
10月10日には名古屋空港近くの駐車場に、Aさんのワゴン車が放置されていることが判明した。警察が車を調べると、ガソリンはほとんど空っぽの状態だった。駐車場の管理人の証言によると、7月29日に男性が一人で運転してきたという。8月10日までの料金を支払い、福岡に行くと言い残して去っていったそうだ。なお、この男性がBさんかどうかは分かっていない。
その後も警察は、範囲を県外まで広げて捜索を続けたが、3人の行方に繋がる手がかりすら見つけることは出来なかった。
親子ら3人は事件に巻き込まれたのだろうか。当時、マスコミの間では様々な憶測が流れたが、中にはオウム真理教事件との関連を疑う声もあった。実は、AさんとBさんはオウム真理教施設に出入りしていたことが判明しており、Aさん宅からは複数のオウム真理教関連の書籍が見つかっている。警察はオウム真理教についても捜査を進めたが、手がかりは無かったという。なお、AさんとBさんがオウム真理教の信者であったがどうかは分かっていない。1989年のオウム真理教と言えば、坂本弁護士一家殺人事件を起こしたことでも有名だ。武装化に向けて精力的に活動していた時期でもあり、信者の死亡事故なども発生していた。
忽然と姿を消した親子ら3人。事件からは既に30年以上の月日が経っているが、Aさん親子とBさんとで旅行出発のタイミングが異なった点や、オウム真理教との繋がりなど不可解な点がいくつか残されたままだ。