志村と言えば、コントの名手として知られ、『志村けんのバカ殿様』『志村けんのだいじょぶだぁ』(ともにフジテレビ系)など名物番組も多い。だが、俳優としての活動実績はほとんどない。1960年代にザ・ドリフターズの映画に端役で出演したほかは、映画俳優としての出演作は、1999年公開の『鉄道屋(ぽっぽや)』のみである。本作では子連れの炭鉱労働者を熱演した。本来、志村は俳優業は受けないことで知られているが、『鉄道屋』に関しては、主演の高倉健から直々にオファーの電話があったため受けたようだ。
そもそも、志村はなぜ映画やドラマなど俳優業をやらないのか。ザ・ドリフターズメンバーは、リーダーだったいかりや長介が晩年はコント色を排したシブい俳優として活躍したことでも知られる。ほかのメンバーも俳優業は行っているが、志村だけは頑なに拒んでいるようにも見える。そこにはれっきとした理由があった。
「志村さんは『バカ殿』を始め、自身のコント番組には、本名の志村康徳名義で構成作家として関わることが多いです。これはダウンタウンの松本人志にも通じるスタイルですね。そこには自身が関わる番組に関してきちっと、自分の関われる範囲での世界を作り上げたい思いがあるのでしょう。映画やドラマの場合は演出家がおり、『こうしてください』といった注文を付けられるので、それが嫌なようですね」(芸能ライター)
言わば、コントに殉じる芸人としての美学がそこにあると言える。ただ、そんな志村も今年で70歳を迎えるだけに、何か心境の変化があったのだろうか。いずれにせよ、新たな挑戦と熱演に期待したいところだ。