だが、またしても6日、自身のインスタグラムにブラとパンツのみの下着姿で座布団の上に寝転ぶオフショットを公開して物議を醸した。写真には後ろ姿しか写っていないもののショーツの面積が小さいためかお尻が半分以上見える悩殺ショットだ。
このセクシーショットに対し、「綺麗な背中」「3児の母とは思えない」「並々ならぬ努力」などの絶賛コメントが寄せられる一方で、「子どもに配慮する気はないのか」「なぜ下着姿なの」という否定的な意見も上がった。
熊田というと、高校卒業後に看護学校へ進学するも、芸能界入りの夢を捨てきれず、雑誌『Audition』(白夜書房)のオーディションに出場し合格。母親の猛烈な反対を押し切り、2001年にグラビアデビューした。02年頃から『P-GIRL』というグループで活動。06年にはシングル『Always / わたしだけの場所』で歌手デビューを果たしている。
私生活では、2012年7月放送の『ロンドンハーツ』(テレビ朝日系)の番組内で同年4月に一般男性との結婚、妊娠を発表。同年12月に長女、15年10月に次女、18年6月に三女の出産を発表した。グラビア界のレジェンドは3児の肝っ玉母ちゃんとなったが、その完璧なスタイルは今なお現役である。
そんな熊田だが、2007年6月に不倫密会を『週刊文春』(文藝春秋)に報じられている。不倫の相手とされているのは、かつての名司会者でタレントの島田紳助氏である。
記事によると、熊田の写真集撮影が沖縄のリゾート地で行われていたのだが、撮影の合間に熊田が休憩する部屋を訪ねると、仕事とは関係のない島田氏の姿があったというのだ。
「鉢合わせしたスタッフは密室で2人きりだったと証言したといいますが、双方は同誌を“誤報”と完全否定。ですが、その後も東京や大阪に島田氏が所有するマンションで熊田の姿を目撃される噂が尽きなかったそうです。当時の島田氏は、多数の番組を抱えた超売れっ子タレント。共演するグラドルたちは、島田氏と親密になるケースが多く、ブレイクと引き換えに自ら“めかけ”を志願していたともいわれています」(芸能関係者)
特に熊田は、島田氏のお気に入りの女性の1人と言われていた。島田氏はよりすぐりのタレントを囲っては、面倒を見ていたという。そして、ストックされた女性芸能人たちは島田氏の“喜び組”と称されていたことが報じられている。
だが、2007年8月放送の『行列のできる法律相談所』(日本テレビ系)に熊田が出演し、“密会”を報じた同誌の誌面で、近く「グラビアをやらせてもらう」と仰天発言したのだ。当時、司会を務めていた島田氏は、「お前バーター(文春との取引)してんやね」と苦笑いを浮かべるも、熊田はそれを否定。2人の関係はやぶの中へ入ってしまったようだ。
「“誤報”があったにもかかわらず、『グラビアというおいしい仕事をもらっちゃった』のだから、島田氏ではないが、斜めに見てもおかしくはないでしょう。熊田は手段を選ばない主義なのか、かつては“枕営業”の噂も飛び交っていましたからね」(芸能ライター)
だが2011年8月、島田氏が暴力団関係者と交流があったことを理由に芸能界引退を発表。そして12年12月、熊田は「ペニーオークション詐欺」に関わっていたとして、世間からバッシングを浴びまくったが、コメントを控えメディア露出を続けた。この騒動で芸能界から干されたタレントたちがいながらもなぜか熊田は健在だ。
それが、運なのか熊田の決死の“営業”の力なのかは知る由もない。