特に目立ったのは、事件現場をスマホで撮影していた野次馬への「撮っていいか悪いか判断できないの?」「自殺現場を撮影するって悪趣味」「現場で遺体を撮影する無数のスマホにショックを受けた」といった声や、撮影した画像をSNSに投稿する者に対する「写真撮ってSNSに上げるとか頭おかしい」「狂気を感じる」といった声。ただ、傍観していた野次馬に対しても「立ち止まってまじまじと見てる人も気持ち悪い」「自分なら見ていられない」という意見もあった。
なぜ、人は野次馬をしてしまうのか。
野次馬心理の動機としては、何といっても、珍しい事象について「見てみたい」という興味や好奇心に端を発する。興味や好奇心は脳から分泌されるドーパミンとの関係性が強く、興味を持って覗き込んだ内容が自分にとって刺激的なほど分泌は促され、興奮度が高まるほど抑制することが難しくなるという性質を持っている。
野次馬の中でよくあるケースとしては、「ただ興味本位で見ている」といったもので、中には何が起こっているのか分からないが、人だかりに興味を持って引き寄せられた結果、図らずも野次馬の一員になっていたという場合もある。
人間の習性も含めて、ここまでは一般的にわからなくはない範囲だとしても、より批判を受けているのは「スマホ撮影」や「SNS投稿」といった、行き過ぎた行為である。
スマホ撮影をした者の中には、普段から珍しい状況や光景に出くわす度に撮影するという習慣が原因で、条件反射的に撮影したと思われるケースがある。「思わず撮影したが投稿を自粛する」とSNSへコメントをした者もいたが、これについても「わざわざ言う必要も撮る必要もない」といった批判の声が見られた。
生命の危機に面した現場をこぞってスマホ撮影する時点で、モラルの低さが疑われるところだが、極め付けは画像をSNSにアップするという行為である。
この行為の背景には、珍しい状況に居合わせたという特別感をアピールして承認欲求を満たそうとする心理を始めとして、味わった興奮や恐怖感を人に伝えたいという心理的欲求も考えられる。また、より具体的な情報を共有し、共感してもらうことで自分が受けたショックを和らげようとするケースも見受けられる。
仮に普段は常識的な倫理観を持っていたとしても、強い欲求や衝動性の方が優ってしまったということもあるだろう。前述したドーパミンによる興奮状態が判断力に影響する場合もある。しかし、いずれにしてもそうした行動の結果、世間的にはモラルに欠ける行動と判断されることに変わりはない。
さらに反感を買うのは、閲覧者へ無差別かつ意図的に心理的ショックを与えるために衝撃的な画像を拡散するといった、元からモラルも道徳心もない愉快犯の存在である。
中には「人目に付くところで事件を起こしたんだから、ある程度は仕方ない」といったネットの声もあるが、野次馬の状況を客観的に見て不快感を覚え、そのモラルの低さに失望した人は多いようだ。
もしもモラルと強い欲求や衝動の間で揺れる時は、その行動の先に失う社会的信用などについて考えるといった、客観性を意識した判断を心がけるべきである。
亡くなった男性の冥福を祈る。
文:心理カウンセラー 吉田明日香