4戦連続KO勝ちした洋介山は、この時「世界チャンピオン挑戦も夢ではない」とまで騒がれたものの、93年10月、米国のケニー・シリガンに4回判定負けを食らった。
95年2月19日、洋介山は11戦目にして初タイトルのNABO(北米ボクシング機構)クルーザー級王座決定戦に臨んだ。洋介山は対戦相手のジョン・カイザーを12回判定で下し王者の座に就いた。だが、NABOはJBC(日本ボクシングコミッション)が未公認だったため、洋介山はJBCから正式な王者とは認定されなかった。
翌96年10月5日、洋介山はOPBF(東洋太平洋ボクシング連盟)クルーザー級王座決定戦に出場、対戦相手オーストラリアのピーター・キンセラを3回KOで下し王座に就いた。この時、洋介山は初めてJBC認定の王者となった。
97年7月11日、WBF(世界ボクシング連盟)世界クルーザー級王座決定戦でブライアン・ラスパタを判定で下し世界王座に就いた。だが、WBFがマイナー団体であり、JBC未公認であったため世界王者と認定されなかった。
その後、JBCからWBF王座の返還を求められたが、これを拒否。ジム側が返還に応じた。これに対して洋介山はジムを脱退、JBCにも引退を自ら通告して、米国に拠点を移した。そして98年、リングネームを「西島洋介山」から「西島洋介」の本名に戻した。
99年から02年は年に数回の試合とブランクの繰り返しだった。03年7月、カリフォルニア州クルーザー級王座決定戦に出場するが、2回TKOで負けたためこれを機にボクサーを引退した。
そして再び西島洋介が我々の前に姿を現したのは05年の6月だった。ボクシングから総合格闘技に転向した。PRIDE参戦を経て、現在はK-1のリングに上がっている。