本物のオーロラを観るため、アラスカに行ったときのこと。数多く訪れた世界のロケ先でも、群を抜いてキレイな景色ではあったが、現地は冷凍庫並みの極寒。原住民から、さまざまな防寒対策グッズを手渡された。ところが、顔面を防寒マスクで覆ってしまうと、テレビ画面上で寒さが伝わらない。そのため、松村だけはノーマスク。撮影中から凍傷になり、皮膚の色が変わっていった。
オーストラリアの先住民族の元を訪ね、「国王に会いたい」と伝えにいったときのこと。現地に向かうロケ車のドライバーが、異常にハイテンション。舗装されていない道路も、高速スピードで走行しつづけた。すると、ワゴン車が横転。キレイに1回転してしまった。もちろん、その衝撃映像は番組で使われ、芸人として最悪のお蔵入りという状態を免れたが、生きた心地はしなかった。
世界の豪邸を訪れて、自宅のプールで泳がせてもらうという企画のとき。訪れたのは、アブダビ首長国連邦だ。目的地である自宅に行くには、砂漠を経由しなければならない。その途中で、移動車がエンストを起こし、故障してしまった。
先発隊は救助を求めて歩き、松村ら出演者、スタッフの後発隊は、救助隊の到着を待つこととなった。しかし、連絡がないため、後を追って歩くことに。飲まず食わずで歩き、仮眠を取りながらも、唯一の命の手綱であった水が残りわずかに。肌も唇も乾燥。思考回路がストップしたころ、ようやく救助隊に助けられた。遭難してから、24時間後のことだった。
ちなみに、およそ5年前には、東京マラソンにランナーとして出場し、一時心肺停止の危機に瀕している。当時の都知事・石原新太郎に「あんなデブ出ない方がいいんだよ」ともコメントされた。幸いにも一命を取り留めたが、ぐったりした様子で口から泡を吹き、目はうつろ。顔も青ざめた状態は、まさに“電波少年”時代のそれと酷似。東京MXテレビの情報番組「TOKYO BOY」の企画で参加したものだったが、とことん体を張り、テレビとともに生きる松村の姿が、そこにはあった。
最近は鳴りを潜めている、松村魂。久々に、昭和のど根性芸人の底意地が見たい。(伊藤由華)