だが、父親の背後にはぼんやりと2人分の人影が写っているように見える。当時のカメラは現在の物と比べると、性能は非常に劣る。そのため、向かって左側のシルエットに関しては左端の少年とどことなく似ているため、現像ミスと言う事も考えられる。だが、問題は右隣の人物だ。口ひげを蓄えたこの男性は、この場にいる誰とも似通った特徴がない。
このような心霊写真の話は、『写真』の技術が発明され、大衆化するようになってすぐ現れている。1862年、アメリカのウィリアム・マムラーという写真家が従業員の写真を撮った際、余分な人影が写り込んでいるのを発見。その外見的特徴から「12年前に他界した従姉だ!」と発表。世界初の「死者の写真」として公開されたのである。
だが、じつは心霊写真はれっきとしたフェイクであった。公開したマムラー自身、写真家であった事もあって初めに写り込んだ『幽霊』が感光版を使い回した事による写り込みだと言うことに気づいていたのである。また、当時のアメリカでは幽霊を呼び出して会話をするという『交霊会』も流行っていたため、怪しい人影と幽霊ブームを組み合わせて『心霊写真』という“アート作品”を作りあげたのである。
これは日本でも変わらなかった。江戸末期からわが国にも写真技術が入ってきたが、明治期に入って社会情勢が安定してくると、千里眼ブームなどを受けて欧米の例と同様に、現像ミスや感光ミスの写真を用いて心霊写真が造られるようになったのだ。実際、初めに紹介した写真も同様に『作成』された心霊写真の一枚である。
写真技術が発達した現在、心霊写真の数は毎年、各地で膨大な量が撮影されている。勿論、中には本当に『何か』が写ってしまった例もあるのだろう。しかし、発端はあくまでフェイクだったことを忘れてはならない。
様々な検証を経て、どうにも説明が付かない画に出会って初めて『心霊写真』という“リアルなプロレス”は成立するのである。
(山口敏太郎事務所)