『仁』は、タイムスリップや幕末など様々な要素が絡むドラマであるが、中心は医療である。医療技術が未発達の江戸時代、その中でも特に満足な医療が受けられなかった貧乏長屋や遊郭を舞台に、一人でも多くの人命を救うためにタイムスリップした医師が悪戦苦闘する物語である。『完結編』では、第1話で禁門の変に遭遇するなど歴史物としての要素が強まったが、今回の歴史的事件は坂本龍馬(内野聖陽)が襲撃された寺田屋事件が冒頭で描かれた程度で、医療と人情が中心になった。
南方仁(大沢たかお)は歌舞伎役者の澤村田之助(吉沢悠)の依頼で、兄弟子の坂東吉十郎(吹越満)を診察する。吉十郎は重度の鉛中毒を患っていたが、たとえ寿命を縮めることになっても舞台に立ちたいという。その思いは田之助の台詞「命の値打ちってのは、長さだけなのかい」に凝縮されている。これは患者の尊厳よりも延命を優先する傾向にある現代医学に対する現代人の不満に通じる。
仁や橘咲(綾瀬はるか)ら仁友堂のメンバーは、吉十郎が舞台に立てるように治療に注力する。治療によって吉十郎が最後の舞台に立って名演技を披露したならば、定型的な感動話で終わったが、ドラマでは一ひねりある。患者の悲願が果たせずに終わった点は同じTBSで2006年に放送された現代ドラマ『タイヨウのうた』と共通する。これは歌手を目指す難病の少女・雨音薫(沢尻エリカ)が主人公で、命を落としても夢であったライブに出演しようとする。
共にフィクションなのだから、患者の最後の望みを叶えさせた方が後味は良い。しかし、そのような安易な結末にしなかったことでクオリティ・オブ・ライフの本質が浮き彫りにされた。患者の尊厳を軽視したことの反省から生まれたクオリティ・オブ・ライフであるが、生命・人生の質を評価することには危険性がある。生命を永らえるだけの人生には価値がないと決めつけ、尊厳死・自然死させる価値観に結びつくためである。
役者や歌手が命を削って優れたパフォーマンスを披露することは感動的である。しかし、誰もが認める特別なことをしなくても、人生の質は存在する。舞台に立たなかった吉十郎は社会的には歌舞伎役者としての人生の質を高めた訳ではない。それでも必死に生きることで、息子の与吉(大八木凱斗)に思いを伝えることができた。
次週からは再び坂本龍馬を中心とした歴史の流れに巻き込まれていく。その急展開に進む直前の回として、今回は現代に通じる重厚な医療ドラマとなっていた。
(林田力)