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スポーツ 2009年07月06日 15時00分
朝青龍が離婚 埋めれなかったタミル夫人との溝
横綱・朝青龍がタミル夫人と離婚していたことが判明した。これは朝青龍自身がブログで発表したもの。 ブログによると「わたくし朝青龍明徳は、今年に入り離婚したことを発表させていただきます。2人で何度も話し合いを重ねた上での結論です。(中略)名古屋場所に集中したいと思い、このタイミングで発表させていただきました」としている。 これまで朝青龍をめぐっては何度も離婚が噂されていたが、モンゴルに帰国した際にはツーショットの写真を公開するなど噂を否定するポーズをとっていたが、2人の復縁はならなかったようだ。 名古屋場所を1週間後に控え、朝青龍は文字通り“フンドシ”を締め直す時期に来たようだ。
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スポーツ 2009年07月06日 15時00分
球界因縁のライバル(24)「原VS岡田」巨人メークレジェンドで身を引いた岡田氏再登板のシナリオ
昨シーズン、最大13ゲームの大差をつけながら宿命のライバルである1年後輩の原辰徳監督率いる巨人に逆転を許し、阪神監督を電撃辞任した岡田彰布氏。北陽高校→早大→阪神と野球のエリートコースを歩んできた誇り高い男にとっては、耐え難い屈辱だったのだろう。球団側の慰留にも耳を貸さなかった。現在はネット裏で充電中だ。 1957年11月25日生まれの岡田氏は、79年ドラフト当時は史上最多の6球団から重複1位指名され、抽選で阪神入り。ルーキーイヤーの80年に2割9分、18本塁打を記録して新人王に輝いている。しかし、大物ルーキーに大きな期待をかける球団側と、いきなり新人を起用するのに反対したブレイザー監督が衝突。シーズン途中にブレイザー監督が退団、中西太監督にバトンタッチという監督交代劇が起きている。 岡田氏より1歳年下の原監督は、58年7月22日生まれ。80年のドラフトで4球団から1位指名され、就任したばかりの藤田元司新監督が当たりくじを引いて、相思相愛の巨人に入団した。長嶋茂雄監督の電撃解任事件でファンから大バッシングが起き、大揺れしている巨人にとってゴールデンルーキーの原監督は救世主になった。2割6分8厘、22本塁打、67打点を記録して新人王を獲得、巨人の優勝に貢献している。だが、岡田氏同様にスンナリとレギュラーの座を獲得したワケではない。長嶋氏に憧れ、後継者として三塁手にこだわりのあった原監督だが、三塁には中畑清氏という不動のレギュラーがいたからだ。 「競争して自分の実力でポジションを奪え。レギュラーで出るためにセカンドをやれ」という藤田監督の指令で二塁手・篠塚利夫(現在は和典=巨人コーチ)とのポジション争いになった。結果的には5月に中畑氏が故障リタイア。三塁手・原が誕生してスター街道をひた走ることになった。 原VS岡田は、伝統の巨人VS阪神戦でチームの主砲として数々の対決ドラマを演じてきたが、監督としても06年から3シーズンにわたって激突した。何かと原監督をライバル扱いするマスコミに対し、岡田氏は「ライバル? ワシの方が一つ上やろ」と言い切り、プライドの高さを隠そうともしなかった。しかし、監督対決の幕切れは前述した通りだ。13ゲームもの大差をひっくり返され、「長嶋さんのメークドラマを超えるメークレジェンド」と喜ぶ巨人を横目に岡田氏は引責辞任。 ところが、潔い身の引き方から評価が高まり、近い将来の再登板は確実視されている。監督時代の「そりゃそうよ」という岡田節は有名になったが、再び聞かれる日は遠くないだろう。4位、リーグ優勝、2位、3位、2位。5年間の監督としての成績は阪神史上、名監督といわれた藤本定義氏に肩を並べるものだからだ。阪神の監督に復帰して原監督率いる巨人に雪辱をする。岡田氏の思いはそれしかないだろう。 幸い、原監督は開幕前のWBCで日本代表を連覇に導き、世界一監督になっている。ペナントレースでもV9以来というリーグ3連覇へ順調な戦いを展開、このままいけば、あと2年残っている契約期間の満了はもちろんのこと、さらに契約延長もあり得る。考えてみれば、原監督も第一次政権はわずか2年間でピリオドという誰も予想しなかった屈辱を味わっている。似たもの同士の第二次政権の原VS岡田の因縁の再戦に夢がふくらむ。
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レジャー 2009年07月06日 15時00分
ラジオNIKKEI賞 ストロングガールダGI獲りへ 蛯名「力強くなった」
「第58回ラジオNIKKEI賞」(GIII、芝1800メートル)は5日、福島競馬場で行われ、5番人気のストロングガルーダが、中団から鋭く伸びて快勝。1分48秒3(良)の勝ち時計で重賞初制覇を成し遂げた。春はNHKマイルCを目標としながら、トライアルのNZTで痛恨の除外。賞金不足に泣いてきた素質馬が結果を出し、今秋のGI戦線に向け、大きく羽ばたいた。 今春は賞金不足に泣いてきた。ストロングガルーダは昨夏の新馬戦で1番人気に応え快勝。新潟2歳Sこそ7着に大敗したが、くるみ賞をレコード(芝1400メートル1分21秒6)で勝ち、NHKマイルCに狙いを定めた。だが、ステップとなるはずのNZTが悪夢の除外。「あれは痛かった」と尾形助手が振り返るように、春は悔いばかりが残った。 陣営はその悔しさを胸に、愛馬の夏休み返上を決意。1000万・エーデルワイスS快勝後の今回を秋のGI戦線への一里塚と位置付け、必勝の布陣を敷いた。 道中は中団の位置取り。「思ったよりモタモタして、行きっぷりが悪かった。手応えもさほど良くはなかったしね。外枠でもあったし、ヒヤヒヤした」(蛯名騎手)と、初の右回り、小回りコースに戸惑いを見せた。 それでも、「先生(久保田調教師)は弱気だったけど、僕はいけると思った。調教ではコーナー、コーナーできっちり手前をかえていたし、自信はあった」とは尾形助手。直線ではその期待に応え、荒れ馬場をモノともせず、上がり3F35秒8の末脚で早め抜け出しを図ったサニーサンデーを捕らえた。 「直線でエンジンに火が着いた感じ。まっすぐ伸びてくれたし、間に合うなと思った」。2着馬とはクビの差だったが、蛯名はそれ以上の完勝とも言いたげな表情。いずれにしても、この一戦で秋に向けて明るい未来を切り開いた。 「折り合いもスムーズだったし、力強くなっている。これで使いたいレースに使える」とジョッキーが言えば、「馬は本物。これからが楽しみ」と不在のトレーナーに代わり、重賞初制覇を見届けた尾形助手も成長に目を細めた。 今後については「まだ何とも…」(同助手)と未定だが、「距離はマイル前後がいいでしょうね」と話しており、マイル戦線への挑戦が濃厚だ。 ガルーダとはインド神話に登場する神鳥。2歳時から注目を集めた素質馬が、雌伏の時を経て大きく翼を広げた。秋には悲願のGI獲りへと羽ばたく。
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レジャー 2009年07月06日 15時00分
七夕賞 レッドアゲート完全復活 適距離2000メートルで夏女躍動
夏の福島シリーズも、いよいよ今週がオーラス。フィナーレを飾るのは、サマー2000シリーズの第1弾「第45回七夕賞」(GIII、芝2000メートル、12日)だ。波乱含みのハンデ戦で予断を許さないが、主役の期待を集めるのはマーメイドS(5着)で復活をアピールしたレッドアゲート。2000メートルはフローラSを含め、全2勝を挙げるベストの距離。道悪+ハンデの相乗効果も見込め、久々に勝利の美酒を味わうシーンは十分だ。 昨年のオークスTR・フローラSで1馬身1〜4差突き放す圧勝劇を演じ、本番でも2番人気(トールポピーの6着)を集めたレッドアゲート。 しかし、これほどの馬でも、いったん、歯車を狂わせると一朝一夕には元に戻らないもの。オークスを境に負け続け、前走のマーメイドSでついに8連敗を喫した。 いったい不振の原因は何なのか? 田中調教厩務員は「オークス以降、馬が硬くなり、ゲートの出が悪くなってしまった。終いは伸びて差を詰めてきても、前半のロスが大きいから」と説明する。それが、「ここにきて硬さがなくなり、マーメイドSではゲートの反応も良くなっていた。ようやく復調してきましたね」と明るい表情を見せる。 実際、前走はスタートと同時にスッと2番手につけ、最後までしぶとく粘って0秒5差5着。ゴール前まで3着争いに加わった内容は、ここに大きく望みをつなぐものだった。田村調教師も「武豊騎手がうまく乗ってくれたのもあるが、もともと2000メートルがベストの馬。気温の上昇とともに調子も良くなっていた」と復活への手応えをつかんでいた。 まるで憑き物が落ちたかのように、状態も充実一途。3日に行われた1週前追い切りでは、美浦のポリトラックで5F68秒3、上がり39秒0→12秒8を馬なりでマーク。単走ながら、躍動感あふれる動きを披露している。「夏場に調子を上げる馬。いい動きだったね」と指揮官が言えば、田中調厩員も「中2週だし、時計的にはこれくらいで十分でしょう。カイバも食べているし、状態に関して心配な点は何もないです」と体調面に太鼓判を押した。 今回は牡馬混合戦とはいえ、傑出馬不在の手薄なメンバー構成。力負けする心配はない。「ハンデの恩恵があると思うし、チャンスはあると信じています。道悪は大歓迎。渋ってくれれば一段と可能性は高くなる」と田中さんは久々の重賞Vに腕を撫している。
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レジャー 2009年07月06日 15時00分
プロキオンS バンブーエール世界の走り見せる
砂の世界は夏も熱い。ダートの短距離巧者が集まった「第14回プロキオンS」(GIII、阪神ダ1400メートル、12日)。主役を務めるのはドバイ・ゴールデンシャヒーンでも4着と大健闘したバンブーエールだ。帰国初戦となった前走のさきたま杯でも2着と底力を発揮。入念に乗り込まれ、上昇気配のうかがえるここはまず負けられない戦いとなった。 もう負けるわけにいかない。世界標準のポテンシャルを見せたバンブーエールが、巻き返しに躍起だ。 「この中間は、栗東でじっくり調整できた。手探りだった前走とは違う。それにもともと夏場に調子を上げる馬だからね」と安達調教師は静かな口調に自信をにじませた。 浦和で行われた前走のさきたま杯。世界からダートのスピードランナーが顔をそろえたドバイ・ゴールデンシャヒーンで4着に大健闘した後、帰国初戦だった。 結果は2着。常に接戦を繰り広げるライバルのスマートファルコンにはあと一歩及ばなかったものの、その走りに師は手応えを感じていた。 「ドバイのレースから2カ月しかなくて、正直調整は難しかった。しかもスマートより1キロ重い59キロを背負っていたんだから、負けたけどよく走ってくれたと思う」 海外遠征の後は、時差や気候など環境の変化に戸惑い、長く調子を崩す馬も多い。そんななか見せたエールの踏ん張りは底力の証しだ。 中間はここを目標に張りのある馬体を誇示している。1日に栗東Bコースで行われた1週前追い切りでは6F83秒5→66秒3→51秒6→38秒1→11秒0。終い重点とはいえ、実に鋭い末脚だった。 「『いい動きだった』と乗り手も言ってくれた。以前はヒザを骨折して再起が危ぶまれたり、ツメが弱くてエクイロックスに頼ったりもしたけど、今はもう普通の蹄鉄でまったく問題ない。丈夫になったし、だからこそ、これだけしっかり調教できるんだ」 師は力強くうなずいた。秋にはJBCスプリント連覇という大仕事が待っている。その前に、大好きな夏を思い切り駆け抜ける。
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レジャー 2009年07月06日 15時00分
函館SS 3歳グランプリエンゼル完勝 矢作師「サマースプリント王者狙う」
サマースプリントシリーズ第1弾「函館スプリントS」(GIII、札幌芝1200メートル、5日)は、1番人気に推された3歳牝馬グランプリエンゼル(牝3歳、栗東・矢作厩舎)が古馬勢を蹴散らし快勝。短距離路線の新星として名乗りを上げると同時に、サマーシリーズ優勝へ力強く前進した。勝ち時計は1分8秒5(良)。 「1カ月前から減量を開始して、51キロでも馬を動かせる体をつくってきた」。この熊沢騎手のガッツに馬もしっかり応えたといえるだろう。前半3F通過33秒8の平均ペースを、好位3番手でスンナリ流れに乗ると、4角では早々と先行2頭を飲み込む構え。直線半ば先頭に立ったが、「最後までタレずに辛抱してくれる馬なので、自信を持って追い出した」(熊沢)。脚色は最後まで衰えることなく、1馬身以上の優位を保ったままゴールを駆け抜けた。 今後、目指すはむろん夏のスプリント王者。今回と同じく浦河のジュウジデイファームで調整し、同じパターン(直前入厩)でキーンランドCを使う予定だ。「結果次第では、欲をかいてセントウルSも考える。サマーシリーズのチャンピオンを狙ってみたい」とは矢作調教師。 今回、出走すれば1番人気必至だったビービーガルダンが故障するなど、イマイチ古馬勢の層は薄い。3歳牝馬が夏の主役をこのまま演じ続けるシーンも十分ありそうだ。
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レジャー 2009年07月06日 15時00分
重賞今昔物語 1999年七夕賞・サンデーセイラ 個性派・菅谷騎手唯一のタイトル
数ある重賞のなかでも一番荒れる印象を強く残しているのが、この七夕賞だろう。 7月の福島で芝2000メートルに固定された1980年以降、29回あったレースのなかで1番人気が勝ったのは2005年のダイワレイダースのみ。ただでさえ馬場が悪くなりやすい福島の芝なのに、梅雨時で雨が多く、しかもハンデ戦。春シーズンと本格的サマーシリーズのはざ間という中途半端な開催時期も、メンバーをより難解にしてきた。 99年も実に難しいレースだった。1番人気はシグナスヒーロー。エイプリルS、エプソムCと連続2着と調子を上げていた。だが、重賞勝ちの経験はなく、脚質も追い込み一辺倒で小回りでは不安な面が多く、断然の信頼を得るまでには至っていなかった。 そんな混戦模様のなか、ハナを切ったのはサンデーセイラだった。こちらはシグナスとは対照的に逃げ、先行が持ち味。特に逃げを打ったときのしぶとさは格別で、前走で準オープンを勝ち上がったばかりだったが、展開利も見込まれ4番人気に支持された。 鞍上は菅谷正巳。父の菅谷禎高調教師の管理する馬のほとんどに騎乗し、実際、セイラの全25戦も手綱を取った。彼の騎乗スタイルは非常に個性的だ。逃げるか、追い込むかの両極端。88年の皐月賞、14番人気でヤエノムテキの2着に食い込んだディクターランドは、豪快な追い込みを身上とした。 競馬学校がつくられ優等生的な騎乗をする騎手が増えた昨今では、貴重な存在だった。それゆえマニアックなファンが多く存在し、人気競馬ゲームのダービースタリオンでも彼がモデルのキャラクターが登場したほどだ。 さて、レースは前半1000メートルの通過が59秒4と平均よりちょっと速め。だが後半の1000メートルも60秒7でまとめて、きっちり逃げ切った。後方に控えたシグナスヒーローが最後は猛然と追い込んだが、ハナ差の2着までが精いっぱいだった。 記録より記憶に残る騎手だったといっていい菅谷にとって、これがデビュー17年目にして初、そして唯一の重賞勝利となった。
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スポーツ 2009年07月04日 15時00分
きょう「お別れ会」 三沢魂 永遠に不滅
三沢光晴の格闘魂は不滅です。4日、都内ディファ有明で行われた故三沢光晴さん(享年46歳)の『お別れ会』には前夜からファンが待機し、当日は早朝から数百人の列が出来るほどだった。午後からはプロレス・格闘技の選手、関係者多数が献花に訪れ盛大なお別れ会となった。本紙では三沢さんの最期をみとり、最も近いところにいた男、西永秀一レフェリーの特別手記を掲載し、三沢さんの冥福(めいふく)を祈った。 プロレスリング・ノア代表取締役、三沢光晴が6月13日に永眠いたしました。訃報(ふほう)に際し、多くの皆様より温かい励ましを頂き、深く御礼申し上げます。この記事が掲載される7月4日にはディファ有明にて「お別れの会 〜DEPARTURE〜」として献花式が行なわれます。 今回は追悼の、これまでの三沢社長との思い出を書かせていただきたいと思います。 13日の広島大会当日は、GHCタッグ選手権として、チャンピオンのバイソン・スミス&齋藤彰俊選手に5月6日の「グローバル・タッグリーグ戦」で優勝した社長と潮崎豪選手が挑戦しました。試合中、齋藤選手が社長にバックドロップを掛け、齋藤選手は次の技を仕掛けようとコーナーに移動します。しかし、社長が動きません。普通なら転がるなど身体を動かし、仰向けになったり、次の技を防ごうとしたりするはずなのに、ピクリとも動きません。「動けるか?」との自分の問いかけに「動けない」と微かに答える社長。試合をすぐさま止めました。 バイソン&齋藤選手の手を上げると、小川良成選手、鈴木鼓太郎選手、浅子覚トレーナーが次々にリングに駆け上がります。自分は最前列にいた、いつも観戦に来ていただいている医師を呼び、リングに上げ応急処置を施してもらいました。救急隊が到着し、病院に搬送されましたが、社長は午後10時10分にお亡くなりになりました。 試合前には普通に会話をしていただき、コンディションも100%ではないものの、今出せる最高の状態で試合に臨み、試合開始後もいつも通りだったのに…。今でも信じられません。 社長との思い出といえば、1990年8月に千葉県で行われた合宿に帯同した際、1月に入社したばかりの自分に普通に接していただき、なぜか毎日、朝まで「UNO」をやっていたのを思い出します。 94年4月6日、博多大会で初めて社長の試合を裁きました(三沢&ジャイアント馬場さん&浅子VS渕正信&小川&大森隆男戦)。 99年10月25日、長岡大会で初めてメーンのレフェリングをさせてもらったのは社長の指名でした(三沢&小川&池田大輔&垣原賢人VS小橋健太(当時)&秋山準&志賀賢太郎&新崎人生)。 00年、ノアを旗揚げし、翌01年4月15日、有明コロシアム大会で初代GHCヘビー級王座決定トーナメントの優勝戦で初めてメーンでタイトルマッチを裁かせていただきました(三沢VS高山善廣戦)。 そして03年3月1日、日本武道館大会での伝説の「三沢VS小橋戦」。死闘をレフェリングし終え、新チャンピオンとなった小橋選手の手を上げると、自然と涙が流れてきました。その年のプロレス大賞ベストバウトを受賞し、「おめでとうございます」と言うと、社長は「おまえもオレたちと一緒に戦ってたんだよ」と独特な笑顔でニヤリと笑いながら言ってくれました。 レフェリーとなって19年、まだまだ半人前ですが、ここでは書ききれないほどのいろいろな経験をさせていただき、ここまで成長させていただいたのは社長のおかげですし、社長がいなければ、ここまでやってこれなかった、と思っています。ただただ感謝の気持ちでいっぱいです。 生前、どんな時でも全力で試合をすることを最優先にしてきた社長の遺志を継ぎ、選手、スタッフ一丸となり、リング上を激しく、熱く、盛り上げていきたいと思いますので、これからもプロレスリング・ノアを応援していただきますようお願いいたします。◎早朝からファンが長蛇の列 この日ディファ有明で行われる「三沢光晴お別れ会〜DEPARTURE〜(献花式)」には徹夜組を含め、数多くのファンが長い列を作っていた。 駐車場内には仮設トイレ、記帳用のテントが設置され、会場内には三沢さんの等身大の遺影と1000基近い供花が供えられている。 実行委員長を務める百田光雄副社長は「出来れば『1人でも多くの人にお別れをしてもらいたい』というのが、実行委員長としての願いです。かなりの人に(献花に)来ていただけるんじゃないでしょうか」とファンに呼びかけた。 そんな三沢さんの人気や人徳を表すように、最後のお別れをしようと前日の16時30分から並んでいるという熱心なファンも。この日も早朝から続々と会場に詰めかけ、長蛇の列をなしていた。 一番乗りしていた都内在住の30代の男性会社員は「不死身の男だと思っていたのに。お疲れ様でした。なんで逝っちゃったんだろう…」と三沢さんの早すぎる死を残念がっていた。
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レジャー 2009年07月04日 15時00分
ラジオNIKKEI賞(GIII、福島芝1800メートル、5日) アベコーの気になる推奨馬は!?
みなさん、お元気ですか。アベコーこと阿部幸太郎です。 ローカル開催はほとんどの12Rが3歳上500万。1000万では頭打ちでクラス落ちしてきた馬や500万が終いの住処(すみか)のような高齢馬。また3歳でまだ夢多き馬。長い療養生活から尻を叩かれるようにして復帰してきた馬。地方から転入して中央でひと花咲かせようとしている馬。まさに江戸長屋の寄合所帯といった様相です。 ただ、キラッと光る素材はいるもので、福島の12Rに、4歳牝馬のリトルディッパーと、3歳牡馬のタマモハーバーが参戦してきました。リトルはキャリアが10戦で、朱竹賞3着、春菜賞2着、黄梅賞3着。昨春は大いに期待されたものです。そして、タマモは今年1月のデビュー戦、1番人気で6馬身の独走。時計がダ1200メートル1分10秒9でド肝を抜いたものですが、以後、別の馬のような不振ぶり。さあ、この2頭には、いま再び大きな夢が広がります。 さて「ラジオNIKKEI賞」。過去4年で3連単は9万円台に、10万円台が2発。そして20万円台。人気馬同士の決着はあり得ないという傾向です。 今年も波乱含み。まず、イコピコの57キロのハンデは重すぎ。GI4着のマイネルエルフが56キロ。弥生賞3着のモエレエキスパートの55キロと比較しても、重賞未経験のイコピコのハンデは合点がいきません。 あとは、馬場状態がカギですが、先に行く馬がそろって緩みのない流れになりそう。で、狙ったのがイネオレオ。 GI馬リトルアマポーラの半弟。2走前の青葉賞が4番人気で5着。優勝したアプレザンレーヴと0秒3差。2着馬と0秒1差の大接戦。前走の白百合Sは超スロー。位置取りが最悪だったものの、後方から内をこじ開けるように肉薄。ラスト3Fはメンバー中最速の33秒5。この勝負強さ、このパンチ力が魅力です。重馬場のゆきやなぎ賞を圧勝したように道悪の実績もバッチリ。直線一気に差し切るとみました。
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レジャー 2009年07月04日 15時00分
ラジオNIKKEI賞(GIII、福島芝1800メートル、5日) 藤川京子 ストロングガルーダで勝負よ!
宝塚記念は石沢鉄平記者と馬券対決をしたんだけど、カンパニーから勝負をした私は馬券的中ならず…。外したら下着をプレゼントするという条件をのんでしまったから、約束通り、用意しました(涙)。 でも、鉄平クンも外したから、勝負はおあいこ。罰ゲームが丸刈りでは、ありふれているので彼にはアフロになってもらい、そのまんまの姿で取材に行ってもらうことにしました(笑)。 さて、ラジオNIKKEI賞はストロングガルーダで勝負です。 ハンデ56キロは他馬に比べて楽ではありませんが、1000万勝ちのある数少ない3勝馬ですからね。その前走・エーデルワイスSは前を見ながら中団の前めを追走。早めに追い出され、残り1Fで先頭に立つと、後続の追撃を抑えて押し切りました。着差は0秒1でしたが、長い直線の東京を強気に乗って、あれだけの走りができれば本物です。 また、3走前のくるみ賞を覚えていますか? 芝1400メートル1分21秒6のレコードで3馬身差の圧勝。短距離であれだけの着差をつけるのって、よほど能力がないとできませんよね。 センスも抜群。二の脚が速いうえに、終いもしっかり。初の右回りも難なくこなしてくれることでしょう。今週は、バッチリ決めますよ!!
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