1957年11月25日生まれの岡田氏は、79年ドラフト当時は史上最多の6球団から重複1位指名され、抽選で阪神入り。ルーキーイヤーの80年に2割9分、18本塁打を記録して新人王に輝いている。しかし、大物ルーキーに大きな期待をかける球団側と、いきなり新人を起用するのに反対したブレイザー監督が衝突。シーズン途中にブレイザー監督が退団、中西太監督にバトンタッチという監督交代劇が起きている。
岡田氏より1歳年下の原監督は、58年7月22日生まれ。80年のドラフトで4球団から1位指名され、就任したばかりの藤田元司新監督が当たりくじを引いて、相思相愛の巨人に入団した。長嶋茂雄監督の電撃解任事件でファンから大バッシングが起き、大揺れしている巨人にとってゴールデンルーキーの原監督は救世主になった。2割6分8厘、22本塁打、67打点を記録して新人王を獲得、巨人の優勝に貢献している。だが、岡田氏同様にスンナリとレギュラーの座を獲得したワケではない。長嶋氏に憧れ、後継者として三塁手にこだわりのあった原監督だが、三塁には中畑清氏という不動のレギュラーがいたからだ。
「競争して自分の実力でポジションを奪え。レギュラーで出るためにセカンドをやれ」という藤田監督の指令で二塁手・篠塚利夫(現在は和典=巨人コーチ)とのポジション争いになった。結果的には5月に中畑氏が故障リタイア。三塁手・原が誕生してスター街道をひた走ることになった。
原VS岡田は、伝統の巨人VS阪神戦でチームの主砲として数々の対決ドラマを演じてきたが、監督としても06年から3シーズンにわたって激突した。何かと原監督をライバル扱いするマスコミに対し、岡田氏は「ライバル? ワシの方が一つ上やろ」と言い切り、プライドの高さを隠そうともしなかった。しかし、監督対決の幕切れは前述した通りだ。13ゲームもの大差をひっくり返され、「長嶋さんのメークドラマを超えるメークレジェンド」と喜ぶ巨人を横目に岡田氏は引責辞任。
ところが、潔い身の引き方から評価が高まり、近い将来の再登板は確実視されている。監督時代の「そりゃそうよ」という岡田節は有名になったが、再び聞かれる日は遠くないだろう。4位、リーグ優勝、2位、3位、2位。5年間の監督としての成績は阪神史上、名監督といわれた藤本定義氏に肩を並べるものだからだ。阪神の監督に復帰して原監督率いる巨人に雪辱をする。岡田氏の思いはそれしかないだろう。
幸い、原監督は開幕前のWBCで日本代表を連覇に導き、世界一監督になっている。ペナントレースでもV9以来というリーグ3連覇へ順調な戦いを展開、このままいけば、あと2年残っている契約期間の満了はもちろんのこと、さらに契約延長もあり得る。考えてみれば、原監督も第一次政権はわずか2年間でピリオドという誰も予想しなかった屈辱を味わっている。似たもの同士の第二次政権の原VS岡田の因縁の再戦に夢がふくらむ。