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芸能 2010年01月16日 15時00分
勝間和代と香山リカ 仁義なき茶番劇?
今、もっとも熱い戦いを繰り広げているといわれているのが勝間和代と香山リカだ。正月の特番ではついに直接対決が実現。今月には二人の共著「勝間さん、努力で幸せになれますか」(朝日新聞出版)が発売。果たして『女性の幸せ』をめぐる対決の行方は? 勝間和代は1968年生まれ。慶応大学卒。大学に在学中の21歳で出産し、3女の母。2回の離婚を経験し、現在は独身。経営コンサルタントとして活躍し、多くの著作がベストセラーとなり、著作累計発行部数は200万部を超える。人気経済評論家としてテレビに引っ張りだこだ。一方の香山リカは1960年生まれ。東京医科大学卒の精神科医。病院勤務をへて神戸芸術工科大学助教授、帝塚山学院大学教授に。現在は立教大学教授を務めている。また大学在学中より文筆活動を始め、雑誌等に寄稿、エッセイストとしても多くの著作を持つ。 対決のはじまりは、香山が著書で勝間にかみついたことからはじまる。すぐに勝間も自身の著作で反撃。正月の特番で直接対決となった。香山が勝間の持論である「女は年収600万以上でないと幸せになれない」に対し「もっと幸せとは違うところにあるのでは?」と攻めれば「でも香山さんは年収600万円以上ありますよね」と皮肉たっぷりに発言。また、勝間がホームパーティーの招待状を香山に送付するも参加してもらえなかったエピソードが披露された。 「勝間は香山のような存在があらわれることを待っていたのではないでしょうか」と話すのは週刊誌記者。「勝間は今の自身の状態を“好調すぎる”と懸念を持っていたはずです。人気があれば“やっかみ”が生まれるのが世の常ですから。ほどよく敵対してくれる存在はガス抜きのために必要です。一方の香山も“勝間に噛みつく女”として存在が再認識され、著作の売上げが変わってくるでしょう」。 直接対決も、テレビ番組としては面白かったが実のある議論とはいえない内容だったことは否めない。両者の全面的な直接対決を期待した視聴者は肩透かしをくらった。「もはや共存関係ですからね。公の場で相手に決定的なダメージを与えることは自身にとってもマイナスです。だから、身のない議論に終始したのでしょう。ただ面白かったことは事実。二人で今年のM-1にでも出場してみればいんじゃないですか」と前出の週刊誌記者は笑った。 今後、彼女たちがどんな“仁義なき茶番劇”を演じてくれるのか注目だ。
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トレンド 2010年01月16日 14時30分
勝手にJAL再建計画
いよいよ倒産、15,000人もの解雇をするとのウワサのある日本航空。かつては世界の主要都市を我が物顔で闊歩していたJALフライトアテンダントたちを始めパイロットの多くは解雇になるはず。現在の経営陣も一掃、新しい責任者の下でこれからJALは再生をしなければならないのだが、ここで小社WEBは今後JALがどうやって儲けていくか、を勝手に再生計画のシミュレートしてみた。 その1は、現在6,000人以上は在籍しているJAL客室乗務員。前に知り合いのアテンダントが話してくれた事を憶えているが、たしか彼女は年に2回ほどユニフォームを新調していた。で、古くなったユニフォームは? というと、そのままゴミとして捨てると拾った輩がいろいろと不埒な再利用する恐れがあるので、ハサミで切り刻んでから捨てていたそうだ。ああ、もったいない。そこで、考えた。6,000人以上もいる現役アテンダントも退職者を含めたらその数は一体その何倍になるだろうか。新生JALは彼女たちから強制的に回収した、その汚れたほど価値の高いユニフォームを絶対にオークションにかけよう。出来れば、勤務時の写真付で。たぶん一着最低でも30,000円はつくだろう。洗っていないパンティーホース、スカーフや靴もおまけに付ければ、落札価格は信じられないくらいに上がることだろう。そうすれば、これだけで年間で4〜5億円はプール出来る。世の中ちょうどエコブームである。だからこれくらいの事をしても国交省には怒って欲しくない。ついでに落札した野郎どもがガールフレンドや、場合によっては着せることさえ躊躇するワイフとでもコスプレプレイで盛り上がれる可能性もある。バッチリと少し濃い目の化粧でキメキメの彼女に「只今乱気流を通過中ですので少々揺れますぅ」とか言わせちゃったりして、いつもの2倍の速さで腰を動かしたらもしかして、これがきっかけで日本の新生児出生率も上がって長い眼で見たら将来の年金も助かるかもしれない。 その2として、更生法適用という世紀の大英断をした民主党、その最高責任者である鳩山総理大臣に強請ってエアバスA380を買ってもらおう。なにしろ彼は自分自身の収入もありながら、お母さんからお小遣いももらえる身分であることから、一機250億円くらいの旅客機を買うくらいわけなさそうである。隣国の李明博大統領は昨年300億ウォン以上の私財を母国にポンと寄付したのに、我が国の首相にも出来ないことはない筈だ。A380といえば、総2階建ての現在世界最大の旅客機だ。座席配列によっては、600から800人を一回で運送できるキャパシティーである。企業再生支援機構は今後JALグループに格安運賃で運行する子会社エアラインの設置を考慮中だそうで、だったらその逆のエグゼクティブ・エアラインがあっても良いのではないだろうか。A380の内装を1階はルーレットからカードプレイまで全部揃ったカジノ、2階は高級ホステスクラブで飲み放題にする。もちろん美人のみで構成されたアテンダントたちがディーラーやホステスの役目で乗客の相手をするのだが、1億円以上使うハイローラーの乗客は運賃が無料、ただしその他の全員にはIATAが定めるファーストクラスのフルフェアを支払ってもらう。機内でのギャンブルの上がりも含めて一回のフライトに於いて簡単に5億円以上は稼げると考える。どうだろうか、不景気といえども広い世間金持ちはたくさんいる。特にこの機材はギャンブルが大好きな中国人が頻繁に使用する路線に使おう。また、かつて実際アメリカで運行していたプレイボーイやフーターズのように自社のキャラクターがアテンダントのユニフォームのエアラインも子会社として作ってもいいかもしれない。ちなみに自分の好みはミニスカポリスのユニフォームが…。 そんなわけで来週の行方をみながら今後もこの問題を再考したいと思う。
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スポーツ 2010年01月16日 14時00分
星野SD以上!? 原、岡田両監督の意外な評判
「今、もっともネットワークのあるプロ野球監督は誰か!?」−−。 そんな質問を何人かのアマチュア野球指導者にぶつけてみた。 ちょっと予想外な答えが返ってきた。 「タツノリさん(原辰徳)か、岡田(彰布)監督だと思う」 こちらは、星野仙一・阪神SD(62)の名前が出ることを想定しての質問だった。何故、星野SDではなく、原、岡田両監督なのか? その理由は、彼らの『若さ』と『経歴』にあるようだ。 「タツノリさんは東海大学の出身で、岡田監督は早稲田ですよ。彼らの学生時代の同期や、先輩後輩は、今、現役の高校、大学、社会人の監督、コーチを務めているんですから」 学生野球の指導者の1人がそう言う。確かにその通りである。星野SDの同期生たちは現場を退く年齢だ。星野人脈の広さは「政治家も顔負け」と言われているが、ドラフト候補生に関する情報なら、現場関係者と直接話のできる原、岡田両監督の方がより早く、具体的な内容が入っている。 「東海大グループの野球関係者は毎年1回、岩井美樹・国際武道大学監督のゴルフコンペに集まります。人数にして200人以上です。当然、野球の話題が中心になりますからね。巨人スカウトも知らないような話まで、原監督の耳に入ってきます」(関係者) 早大出身の岡田監督も、同様である。 原監督がアマチュア球界に影響力を持つエピソードもある。大田泰示内野手が巨人に1位指名された一昨年秋、原監督のことを「タツノリさん」と言い、叱責された。とくに東海大系の学校関係者がそうなのだが、アマチュア球界において「原監督」は父・原貢氏のことを指し、原辰徳・巨人監督は「タツノリさん」と呼ばれている。大田の「タツノリさん」発言は、むしろ、原辰徳・巨人監督が学生野球の現場に知れ渡っているかを証明するものだった。 「外国人選手の招聘ルート、日本球界で通用するタイプか否かを見分ける眼力は星野SDの方が上。阪神は、外国人は星野SD、ドラフトは岡田と使い分ければ良かったんですが、2人とも張り合ってしまって…」(在阪球団関係者) ネットワークの強さを張り合った結果、岡田監督がオリックスに転じたとの情報もある。 星野SDが巨人監督の候補者から消えて久しい。読売グループが「星野、星野」と言わなくなったのは、原監督の采配だけではなく、“ウラの影響力”を認識したからかもしれない。
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社会 2010年01月16日 13時00分
ウェンディーズの陰で消えた“昭和”…東京タワー大食堂が閉店
昨年12月31日、ウェンディーズが最後の営業日を迎えた。各店とも、記念すべき最後の日にその味を楽しもうという客が押し寄せ、閉店前に牛肉がなくなった店も出たほどだった。 その同じ12月31日に、同じく最後の日を迎えた飲食店がもう一つある。東京タワー1階の大食堂「タワー大食堂(タワーレストラン)」だ。 タワー大食堂は、1958年の東京タワー開業と同時にオープン。当初は東急観光の経営で、名称も「東急タワー大食堂」だった。その後東急観光の社名変更もあり、現在の店名に。座席数は350。ビニール製赤白チェックのテーブルクロスが昭和の食堂を思わせ、どことなく懐かしさを感じさせる。かつては修学旅行などの団体旅行客で賑わっていたが、旅行形態が個人主体に変化している今、団体客が減ってやむなく閉店するに至った。 12月28日〜31日の間は、各日11時より200食限定で、通常1250円の「カツカレー+ソフトドリンク」を、 500円で提供する感謝セールを開催した。最終日の31日には、家族連れやカップルなどでかなりの賑わいを見せて150人以上が並び、開店時間の11時前に整理券がすべて売り切れたという。11時の開店時に「整理券が終了しました」とアナウンスされると、食堂前では拍手が起こるひと幕も。その一方で、開店にわずかに遅れて来たため入れず、残念そうに帰って行く人も見られたという。テレビで見て食べに来たというカップルや、閉店を見届けるために駆けつけてきたという男性もいた。「ここのカツカレーは辛くなくて、昔懐かしいデパートの大食堂っぽい味」と、子供の頃に来た思い出を懐かしみながら、名物カツカレーの最後の味を楽しんでいる客もいた。 大食堂という言葉に懐かしさを感じるのは、ある年齢以上の人たちになってきているのだろうか。家族でデパートに行き、昼は大食堂でお子様ランチを食べた思い出のある人も多いだろう。 そう、デパートと言えば大食堂だった。高島屋ほか老舗で、今でも大食堂を残しているデパートはあるが、デパートで食事をするにも、いまやレストランフロアでお好みの店に入るのが主流の時代。東京タワー大食堂の閉店は、昭和の一時期(戦後の豊かで夢があった時代)が遠くなってゆく今の日本の象徴なのかもしれない。 映画「三丁目の夕日」のヒットもあり、昭和ブームはまだ静かに続いている。だが、リアルな昭和は確実になくなってきている。(横浜 六太 山口敏太郎事務所)参照 山口敏太郎公式ブログ「妖怪王」http://blog.goo.ne.jp/youkaiou
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芸能 2010年01月16日 12時00分
あの大手レコード会社が進める大リストラ計画
世間の関心はJALの債権問題に集まっているが、華やかな世界の芸能界にとってももはや他人事ではないようだ。 「ここ10年来、日本の音楽界をリードし続けてきた大手レコード会社・エイベックスが近々、大リストラ計画を発表。そうなった大きな原因はCDが売れないから」(レコード会社関係者) 現在は持株会社「エイベックス・グループ・ホールディングス」となっているが、同社は88年に現在同社の社長である松浦勝人氏らが設立。 設立当初はダンスミュージックを日本で流行らせ急成長。90年代は安室奈美恵、TRFら音楽プロデューサーの小室哲哉が手がけた「小室ファミリー」、その後、浜崎あゆみ、倖田來未、EXILEらが同社の主力アーティストとして活躍しているが、売り上げは右肩下がりだという。 「まず、CDが売れないのに加え、一時期映画事業に手を出し大失敗。株価は06年1月には3000円を超えていたのに、このところは770円から780円で推移している。現状を打開するため、NTTドコモの携帯専用のテレビ局『Bee TV』を立ち上げ、香港・台湾など東アジアのマーケットに進出しているが“焼け石に水”だった」(週刊誌記者) そこで実行されることになったのが大規模なリストラ計画というわけだ。 「現在、社員は約1400人ほどだが、なんと、そのうちの300人ぐらいのクビを切るそうで、たっぷり予算を計上しているというから、退職金にかなり上乗せされるようだ」(同) JALは次期CEOに京セラの稲盛和夫名誉会長を迎え再建を託すが、「松浦氏はもともとプロデューサーだから制作は天才的な才能を持つが経営は素人。JALにならい外部からそれなりの人物を迎えるべき」(同)というが、リストラされる社員はたまったものじゃないだろう。
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レジャー 2010年01月15日 18時00分
ニューイヤーS(オープン、中山芝1600メートル、16日)藤川京子のフォーキャスト予想!
ニューイヤーSは◎復調レッドスパーダで勝負よ! NHKマイルの2着から、本来のデキでなかったが、ここに来て復調の兆しです。 出走馬で1番の実績タイムはトーセンクラウン。それにリザーブガード。今回は、この中から、過去のこのレースの傾向から上がりタイムの1番速いレッドスパーダを一押しします。馬単 (7)(8) (7)(2) (7)(13)3連単 (7)(8)→(7)(8)(13)(2)(1)(5)(15)(16)(12)→(7)(8)(13)(2)(1)(5)(15)(16)(12)
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ミステリー 2010年01月15日 17時45分
考察−−ハイチ地震に関して、その背景にあるもの
1月12日(日本時間1月13日早朝)にハイチで巨大地震が勃発した。その引き金になったとされる太陽系の惑星配置は、「地球を中心とするグランドクロス」「天王星−木星−土星」に対し、「火星−地球−水星−太陽−金星」が一直線上で交差していることに加え、21世紀で初めての金環日食を1月15日に控えているため、「地球−月−太陽」も一直線上になる。このグランドクロスは、1月11日に発生している。これら二つの現象が、惑星間の引力にアンバランスを生んで、プレートの圧力開放につながるケースもあるかもしれない。 満月と新月前後で、月の引力に影響が出る場合、いわゆる「潮汐力」として、地球の海水面が月の引力で引っ張られ、地球の見かけの形は楕円体となる。その海水面と同様に、固体の大陸もこの力で縦横にかき乱される。 つとに有名なのが、木星の衛星イオである。木星からの巨大な潮汐力によって、自転軸方向と赤道方向に拡大・縮小される結果、イオは太陽系で唯一、火山のある衛星となっている。 これと同様のことが地球でも起きているとなると、海だけでなく大陸も、いわばマグマの上に漂う固体であるので、その力を受けざるを得ない。 先ごろ、巨大地震の最後のトリガーを引く可能性が最も高いのは「月の引力」だというニュースが公表されていた。実は満月の引力は、太陽の引力との相互作用で、地上では高速で回転する円盤物体は垂直方向に「コリオリの力」が発生し浮き上がると言われているが、通常は、台風やハリケーンのような巨大な渦だけで発生すると考えられ、ミクロな現象、たとえば、北半球と南半球では渦の巻き方が逆だとかは、また別の理由で動作していると現代の物理学は説明しているものの、その理由に説得力があるかといえば、すべてに当てはまるとはいえない。このように現状、見えざる力「引力」や「重力」の相互作用で、未知の自然現象が生じているのかもしれない。 筆者は、北米のインディアン居留地にある動く石(岩)の謎は、月の引力による地表面のゆがみではないかと推測している。これは海水面ほど顕著なわけではないが、ある場所の地表面が引っ張られると、そこにある岩は四方八方に転がる、または外れるなどの現象が起きても不思議ではないと考えている。また、先のミクロな「コリオリの力」の発生で、岩が垂直方向に重なる現象も起こりうると思う。マクロなコリオリ力が水や大気に影響を与えているなら、同じようにプレートや断層帯にもズレるきっかけを与えたとしても不思議ではない。(中津川昴)
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トレンド 2010年01月15日 16時30分
妖怪のビオトープ? 和歌山・日高港の「sioトープ」
昨年10月、和歌山県御坊市の日高港に、9体の妖怪の石像を建てた「sioトープ」が完成しました。その名の通り、地名の「塩屋」と海の「潮」と「ビオトープ」(生物空間)を掛けたネーミングの、生物観測地を兼ねた公園です。しかし、「観光名所にしたい」という御坊市の意志があるとはいえ、世間で無駄な公共施設の問題が取り沙汰されている中、「今、なぜ妖怪なのか」という疑問はありました。 ところが実際行ってみると、綺麗に整備された公園内はベンチや東屋(あずまや)、トイレなどの施設も充実しており、海水を引き入れた親水池では海辺の生き物を間近で観察することができます。その池の所々には鬼太郎、猫娘、ネズミ男などおなじみの妖怪たちの石像が立っていますが、その他にも、和歌山に関係する妖怪たち(カシャポ、高女、牛鬼、河童、モクリコクリ、畳叩き)の石像も可愛らしく、なんとも寛げるいい空間の公園になってました。東屋の中には、石像の妖怪を説明するパンフレットも備えてあり、しっかりその妖怪たちと触れ合うこともできます。 そして、なんと言っても周辺には、桜の名所として有名な「熊野古道九十九王子」の一つである塩屋王子神社(別名美人王子)があり、春には遠目に桜を眺めながらゆっくりできて素敵なのでは、と思いました。また、近くには御坊市の天然記念物に指定されている「はまぼう」の群生地があり、シーズンには美しい白い花が見られるでしょう。さらに少し足を伸ばすと、安珍清姫で有名な道成寺や、天狗が建てたといわれる興国寺があり、和歌山の妖怪伝説に触れることもできます。公園のある日高港は釣りの名所でもあり、多くの釣り人が訪れるので、こういったトイレのある休憩施設があれば、とてもありがたいのではないかと思いました。 観光名所というよりも、観光の合間のちょっとした休憩に立ち寄るにはもってこいの空間ではないかと思います。いつまでも、誰からも愛される公園であって欲しいです。(sel 山口敏太郎事務所)参照 山口敏太郎公式ブログ「妖怪王」http://blog.goo.ne.jp/youkaiou
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社会 2010年01月15日 16時00分
男と女の官能事件簿 見栄だけのイケメンに殺されたセレブ美人妻(3)
早苗さんが遺体で発見された後、根本は警察の取り調べに彼女を殺害したことや、彼女の携帯電話を使って現金を要求していたことなどをすべて認めた。 犯行の経緯は、およそ次の通りである。まず、8月10日の午前10時半頃、根本は自分から連絡して早苗さんを自宅まで車で迎えに行った。 そして、わずか数時間後に安芸区内の路上に停めた車内で早苗さんの首を絞めて殺害。その際、まず両手で首を絞めた後に、さらに布製のガムテープをねじってヒモ状にしたもので締め上げて、早苗さんを絶命させた。 それから根本は、夜になるのを待って遺体を黒いポリ袋に詰めてから、広島県熊野町にある山道のガードレール下に投げ捨てた。 その後になって、早苗さんの母親にメールを送って現金を要求。夫に銀行口座に入金させた後、JR福山駅近くをたまたま通りかかった男性に「トラブルがあって自分では現金を下ろせない」などと言って頼み、ATMから引き出させたのだった。 だが、この男性の証言と早苗さんの携帯電話から、根本は居所を特定される。 殺害の動機について、根本は当初、「自分の仕事について早苗さんから『定職についていない』と指摘された。これがもとでケンカとなり、腹が立ってとっさに彼女の首を絞めて殺した」などと供述していた。 しかし、確かに早苗さんの遺体には、首にヒモのようなもので絞められた跡はあるものの、抵抗したような外傷はなかった。また、事前にガムテープのヒモを用意し、殺害後に整然と身代金要求をするなど、とっさの犯行にしては手際がよかった。そこで警察がさらに追求したところ、「早苗さんを殺してカネを奪うつもりだった。クルマの購入や遊ぶカネが目当て」と認めた。 根本は無類のクルマ好きで、犯行に使ったのもドイツ製の高級輸入車だった。そして、カード会社や消費者金融などから数百万円の借金があることも判明した。 2004年12月17日、広島地裁は根本に殺人や死体遺棄、恐喝などの罪で、懲役18年を言い渡した。これに対して根本は控訴したが、2審でも「卑劣極まりない犯行。情状を勘案しても1審判決が重いとはいえない」として1審判決を支持、控訴は棄却された。 根本にとって、早苗さんはただのカネヅルでしかなかった、ということであろうか。(了)
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スポーツ 2010年01月15日 15時30分
「時代」を彩った男と女・あの人は今 元ボクサー・ピューマ渡久地さん
沖縄県石川市(現・うるま市)出身の元日本フライ級王者・ピューマ渡久地。興南高校卒業後、日本大学農獣医学部に進学するが、ボクシングに専念するため中退する。 鬼塚勝也、辰吉丈一郎とともに『平成の三羽ガラス』と呼ばれ、90年前半の日本ボクシング界をリードしてきた。戦型は右のファイタータイプ。 高校入学と同時にボクシングを開始。金城真吉監督の元、メキメキ頭角を現し、87年のインターハイで準優勝(フライ級)。同年開かれた沖縄・海邦国体では沖縄代表としてチームの優勝に貢献した。 アマチュア時代の戦績は58戦53勝5敗。まさに驚異的な実績を持ち「今すぐプロに転向しても日本のトップレベル」と関係者もその素質の高さを評価していた。 88年5月、プロデビュー。パワフルなボクシングを持ち味とし、全日本新人王(MVP)、A級トーナメント優勝(MVP)、日本プロスポーツ大賞・内閣総理大臣新人賞…など、あらゆるタイトルを獲得。賞を総なめした。 尚、東日本新人王トーナメント決勝では、後のWBC世界フライ級王者・川島郭志を6回TKOで撃破した。 「この試合は圧倒的に川島有利と言われていました。前年の高校インターハイで川島が渡久地に完勝しており、その差は縮まっていないと目されていたからです」と、当時取材したスポーツ紙記者は語る。 90年3月、実に10戦目で渡久地はフライ級日本王座戦にチャレンジし、見事KO勝ち。続く8月に行われた初防衛戦もKO勝利で、デビューからの連続KO勝利を日本歴代3位になる11に伸ばす偉業を成し遂げたのだ。 渡久地のボクシング人生はまさに順風満帆であったように思えたが90年11月、2度目の防衛を終えた後に一転する。 「3度目の防衛戦が91年3月に行われる予定だったのでしたが、その直前に失踪したのです。当然、日本王者ははく奪され、JBCから無期限のライセンス停止処分を受けたのです」と、前出・スポーツ紙記者。 当時、売り出し中であった勇利アルバチャコフ(当時はチャコフ・ユーリ)との対戦はファンならずとも注目の1戦であっただけに渡久地の失踪には衝撃が走った。 「失踪理由は所属ジムとの金銭トラブル…スパーリング中に相手と喧嘩になり骨折した…などと言われていますが真相は不明。有力なのは躁鬱説ですが、これも決め手に欠けているのです」(前出・スポーツ紙記者) 無期限のライセンス停止から2年半、93年4月ついに復帰する。初戦の相手は元WBAフライ級世界王者で現役世界ランカー、へスス・ロハス(ベネズエラ)だった。 さすがにブランクが響き往年のキレを失った渡久地は9回TKOでプロ初黒星を喫し、8月に行われた2戦目も敗北する。 それでも渡久地は拳を交わし続け、95年1月23日、復帰5戦目で日本フライ級王者・岡田明広と対戦。日本王座戦に挑み、10回判定で勝利。約4年ぶりに王者へ返り咲いた。 96年8月26日、両国国技館で“因縁の”WBC世界王者・勇利アルバチョフと世界戦に挑む。これが渡久地にとって初の世界戦であったが9回TKOで撃沈。世界の壁を痛感した渡久地だが、JBCはこの試合が高レベルであったと評価。96年の年間最高試合として選出した。 その後、日本王者を返上し勇利の所属する『協栄ジム』に移籍するなど、試合よりも“お騒がせネタ”を提供してきた渡久地。関係者が語る。 「彼は『協栄』に移籍後5連勝し、WBA世界スーパーフライ級王者・飯田覚士と世界戦が決定(98年12月)していたのですが脳梗塞の疑いが判明。試合が中止になったのです。結局、この診断は事実ではなかったのですが、これで選手生命が終わったのです」 99年10月に再度復帰するが、もはや渡久地に気力は無かった。3回TKOで完敗…引退を決意し、表明した。 私生活では93年8月5日に生田聡美と入籍。2女1男の父。東京・東麻布に『ピューマ渡久地ボクシングジム』を設立し初代会長に就任。現在は名誉会長として後進の指導に力を注いでいる。 07年度、東日本ボクシング協会理事を歴任。 ※プロ通算成績は23勝(19KO)4敗。