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芸能 2009年05月18日 15時00分
松ちゃんデキ婚相手の素顔
人気お笑いタレントの松本人志さん(45)が19歳年下で巨乳の元お天気お姉さんと“デキちゃった結婚”したことが18日までに分かった。 お相手はかねて交際が伝えられていた伊原凛さん(26)で年末に出産予定という。伊原さんは日本テレビ系「ズームイン!!SUPER」の元お天気キャスターで、現在は芸能界を引退して花嫁修業中。番組ではボリュームあるバストで人気を集め、ビキニ姿を披露するシーンもあった。 松本さんは所属する吉本興業を通じて17日、「お相手は一般の方になり現在妊娠中です。デリケートな時期なので、できるだけそっとしといてほしいです。記者会見はした方がいいかと思うのですが、照れくさいのでやめておきます」とコメントを発表した。 相方の浜田雅功さんは「おめでとうございます。あなたも人の親ですか。もう五反田には行けませんね」とコメント。風俗通い封印をうながした。 松本さんはこれまで、女優の常盤貴子さんやタレントの優香さん、女優釈由美子さん、SPEEDのhiroなどと浮き名を流したプレイボーイとして知られる。
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芸能 2009年05月18日 15時00分
常盤貴子に仲間由紀恵、浜崎あゆみまで…スターの知られざる“無名時代”
現在、押しも押されもせぬトップスターの地位を築いている芸能人の多くは、下積み時代を経験している。すでに忘れられてしまったかもしれない人気者の無名時代を振り返ってみよう。 今年のNHK大河ドラマ「天地人」にも出演し、いまや大女優となった常盤貴子だが、1993年に放送された連続ドラマ「悪魔のkiss」(フジテレビ)で“美巨乳”を惜しげもなく披露していたことはあまりにも有名。だが、それ以外にも、こんな伝説がある。 「『殿様のフェロモン』(フジテレビ)という深夜番組で司会を務めていました。内容はAV女優が高速で回るハケのついた水車を股間に当てられながらクイズに答えるといったようなエロいコーナーがめじろ押しで、最終回で彼女が『二度とバラエティーには出ません』と語ったほどでした」(芸能ライター) フジテレビの深夜番組といえば、もうひとり。現在はママさんタレントとして活躍している松本明子だ。 「『オールナイトフジ』という番組に出演した当時、新人歌手だった松本は、司会者に乗せられて放送禁止用語を大声で連発。その後2年ほど冷や飯を食らう羽目になってしまいました。松本は四国・香川の出身。その言葉が関東では放送禁止用語とは知らなかったようです」(芸能リポーター) “歌姫”の称号を欲しいままにしている浜崎あゆみにも下積み時代があった。 10代前半に「浜崎くるみ」としてデビュー後、鳴かず飛ばずのB級アイドルだった彼女が17歳の時にVシネマで禁断のシーンに挑んでいるのだ。 「タイトルは『麗霆子(レディース)!!総長最後の日』というもので、不良少女を演じる浜崎が体当たりの演技を見せているんです。ほかに水着での仕事もやっていたし、2時間ドラマでは死体役までやっていたようです」(芸能ライター) “お嫁さんにしたいランキング”常連の安めぐみは2000年に発売された処女写真集で、ボクシンググローブで生のバストを隠すなど、かなり際どいショットを連発している。 「現在のフェロモンたっぷりの彼女のルーツを垣間見ることができます。マニアの間では着エロのパイオニアとして高く評価されています」(同) 意外なのが仲間由紀恵の過去だ。 「かつて小室ファミリーの一員としてデビューを果たしていたのです。その時点でブレイクしなかったのは言うまでもありません」(芸能リポーター) ともあれ、みんな苦労して大きくなったことがよく分かる。
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芸能 2009年05月18日 15時00分
テコンドーの達人! 新鋭女優ジージャの蹴りに負けない壮絶人生
「マッハ!」でアクション映画界に“ムエタイ・ムーブメント”を巻き起こした、タイのプラッチャヤー・ピンゲーオ監督の新作「チョコレート・ファイター」が23日から新宿ピカデリーで公開される。激しいアクションで埋め尽くされた本作に体当たりで挑んだ、主演女優ジージャー(25)に“痛い”裏話を聞いた。 2003年公開の「マッハ!」で、東洋のアクション映画といえば香港カンフー…という“常識”に楔(くさび)を打ち込んだピンゲーオ監督。05年「トム・ヤム・クン!」以来だが、地元タイでは「レッドクリフ1」の2倍以上の興収を記録したというから恐れ入る。 そのピンゲーオ監督が主人公のゼン(禅)に抜てきしたのが彼女。本作でデビューする若干25歳の新進女優だが、与えられた役は想像を絶するもの。常人離れした反射神経と柔軟な身体運動能力の持ち主で、強烈なキックで頑強な男どもをなぎ倒していく。まず、素人には不可能や役回りだ。 「一緒にテコンドーをやっていた友人と一緒にオーディションを受けました。当時は大学進学を控えていたので学費などを稼ぐのが目的で、女優になるためではありません。でも、いざ受けてみたら合格。ただ、その後は予想に反してというか、超えていたというか…」 合格したといっても即、映画に出演できたわけではない。ピンゲーオ監督とアクション指導のパンナー・リットグライは演技より、むしろ格闘家の素質を買っていた。 「それから4年間、この映画に向けてずーっとトレーニング(笑)。テコンドー以外にもムエタイ、体操、武器を使ったアクションなど勉強の毎日。私、オリンピックに出られるんじゃないかって思えるぐらい(笑)」 オーディションを受ける前はテコンドーの師範で食べていたほどの腕前。ピンゲーオ監督が目を付けるのも当然と言えるだろう。 「実は私、8カ月で生まれてきた早産児だったんです。生後しばらく保育器に入れられていたほどで、子供のころは年に4回も入院するぐらい病弱。心配した母が私を丈夫にするため、11歳のときテコンドーを習わされたんです。それに道場に習えば友達もできるということで。最初は友達5人で始めたんですが、中でも私が一番イヤがってました。でも、いざ行ってみたら意外に面白くて。今じゃ私以外、誰もテコンドーやってない(笑)」 わずか2年、13歳で黒帯を締め、14歳で師範代として後進の指導にも当たることになった。 「テコンドーの先生として最初は学費とおやつ代を稼いでました。その後、父が亡くなると、おやつ代は生活費に変わりました。そんなとき、リットグライ先生の知人からオーディションを受けるよう勧められて」 戦いの舞台は製氷場や食肉処理場、ビル4階の手すりのないベランダなど、一歩間違えば大ケガしかねない場所ばかり。だが、彼女は一切スタントを使っていない。 「さすがに途中へこたれそうになりました(笑)。特にベランダでのアクションシーンは本当に4階で撮影しました。実は私、高所恐怖症で(笑)。対戦相手の皆さんが下にポンポン落ちるけど、みんなよく生きているなぁーって本当に関心しました」 さすがにぶっつけ本番で臨むのは無理。何度も入念にリハーサルを重ねた。どうりで準備期間に4年も要するわけだ。 「ベランダのシーンは、1日目は慣れてないので地上を台本どおり歩くだけ。2日目は地上で殺陣の練習と、日を追って徐々に高い階へと移していきます。撮影開始から終わるまで全部で2〜3カ月ほどかかりました」 激しいアクションの連続だけに無傷で済むわけもない。その様子は本編終了後にNGシーンとしてまとめられている。 「いろいろ痛いNGシーンはあるんですが…。私、睡眠時間がなくて、ほとんど寝ないで撮影していたんです。体は起きているのに頭の中は寝ているような。そんなボンヤリとした状態のとき、相手のキックを受け損ねて左目を直撃! これが一番痛かったですね」 本作にはゼンがブルース・リーやジャッキー・チェンらの映像を参考にアクションを学ぶシーンが出てくる。こうしたスターへのオマージュに、日本の中年男性はある種の郷愁を抱くだろう。 「彼らのDVDを見ながら型を練習しました。70年代から21世紀にかけてのスターのマネをして、本作を見た人に彼らと同じだと判断してもらえる、その域まで近づけろ…それが監督から与えられた課題でした」 日本のヤクザとタイ最大マフィアの抗争が激化する中、日本人のマサシとタイの女ジンの間に生まれた娘、それがゼン。マサシの帰国後、自閉症を患うゼンをジンはひとりで育てるが、末期の白血病に。母の治療費を工面するため、ゼンは焦げ付いた借金を回収すべく貸し付け先で大立ち回り…という物語だ。 マサシ役を演じているのは、「マッハ!」以来のピンゲーオ監督ファンという阿部寛。 「阿部さんはプロの俳優として、とても尊敬できる人でした。福岡でラストシーンを撮影した際、高級な着物を頂いて、とてもうれしかった。私も何か用意しておけばよかったな(笑)」 “ジージャー”ヤーニン・ウィサミタナン 1984年3月31日生まれ。タイ・バンコク出身。カセンバンディット大学美術学部卒。11歳でテコンドーを習い始め、14歳で2段を取得して師範代に。18歳で3段。高校3年生のときパンナー・リットグライ監督の映画「七人のマッハ!!!!!!!」のオーディションを受け、才能を見出される。
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芸能 2009年05月18日 15時00分
皇后さま激励に紀香感激!
女優・藤原紀香(37)が先ごろ、都内で行われた「全国赤十字大会」に出席した。 今年3月、陣内智則との離婚を決意した直後に訪れたケニアの視察を報告。赤十字のスタッフとともに現地の人々にトイレ、ゴミ捨て場の設置を指導したことを話し「村の女性たちが『ダンサ』と、(現地の言葉の)最上級の感謝の気持ちを言葉にしてくれたことがうれしかった」と振り返った。 また、名誉総裁をお務めの皇后さまから「皆さまのために、広報特使の仕事を頑張って続けてください」とお声をかけられ、「赤十字の活動を知られていない皆さまに伝えていきたいです」と笑顔を見せた。
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芸能 2009年05月18日 15時00分
ビリー隊長 今度はムエタイDVD発売!?
タイ人監督プラッチャヤー・ピンゲーオの最新作「チョコレート・ファイター」の試写会が先日、都内で行われた。上映前には、“ビリーズ・ブートキャンプ”のビリー隊長ことビリー・ブランクスと、今年1月に入籍した知子夫人、空手家でアイドルの小林由佳が登壇した。 ビリーは、知子夫人と小林とともに、ムエタイをほうふつさせるハイキックを取り入れたエクササイズを披露。 イベント終了後、ビリーは0歳の長女アンジェリカちゃんを抱えながらマスコミ取材に応じ、「(娘には)ぜひ護身術を教えたい。でも、何よりハッピーで平和をもたらす子供になってほしいな」と語った。現在は大阪在住で、7月に自身のスタジオをオープンさせる。
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芸能 2009年05月18日 15時00分
苦節8年 演歌歌手・山内惠介が初のワンマンホールコンサート
デビュー8年目を迎え、8枚目のニュー・シングル「恋する街角」が好調のイケメン演歌歌手・山内惠介(25)が先日、東京・台東区の浅草公会堂で「恋するコンサート」と題した初のワンマンホールコンサートを開いた。 約1000席の会場は、デビュー当時からの熱烈なファンで満席となり、全24曲を熱唱した。また、事前に知らされていなかったバースデーケーキが突然、ステージ上に運ばれてきて、大感激。ファンたちからひと足早い誕生日(5月31日)の祝福を受け、うれしそうな顔を見せた。 もうすぐ26歳になる彼の夢は「『恋する街角』を大ヒットさせることがいまの一番の夢です」と、新曲の大ヒットに意欲満々で、20代に実現させたいことは「3つあって、ひとつ目はNHK紅白歌合戦に出ること、ふたつ目はコンサート・ツアーをやること、3つ目は海外旅行でフランスに行くこと(これまで海外には、韓国と香港の2カ国に行っている)」だとか。年齢を重ねるごとに成長しているようだ。
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社会 2009年05月18日 15時00分
経済偉人伝 早川徳次(シャープ創業者)(44)
自信を持って開発した早川式繰出鉛筆だったが、全く注文を取れない日々が続いた。けれども徳次は必ず売れる日が来るという期待を持っていた。徳次が回った中に東京・銀座の伊東屋という店がある。伊東屋は日本一の小売文具店だった。 はじめ徳次は6種類の繰出鉛筆見本を持って伊東屋を訪ね、番頭に会ってもらった。番頭は徳次に、いろいろと改善すべき点を指摘した。徳次は次の週には指摘された個所を忠実に改良して再訪した。それでもまだ受注には至らない。 その後、徳次は月に平均6種類ずつ新たに改良を加えた繰出鉛筆を作っては伊東屋に通った。半年がたち、見本の種類も36種類になった。徳次には、この大きな店と何日かかっても取引したいという固い意志があった。 通い始めて6カ月後、ようやく伊東屋の主人から一度会おうという通知をもらった。早速、徳次は見本の36本を持って出かけて行った。雪の降る年の瀬のことだ。この日、徳次は主人から見本の全種類を各1グロス(12ダース)ずつという注文を得た。商品が優れていたためではあるが、徳次の商品に対する誠実な態度が主人の心を動かしてもいた。 徳次は鍍金(メッキのこと)の耐久性を摩擦実験という形でおこなっていた。1日1回使用するとして3年で大体1000日。1度に3回ずつ鍍金部分を布で磨き、それを1000回重ねてみて変色がなければ10年の耐久性があるという考え方だ。伊東屋の主人が鉛筆のニッケル鍍金が剥(は)げることはないかと徳次に質問したが、その際、徳次はこの実験の結果をもって「鍍金なので剥げないとは断定できないが、どれくらい持つかと言われるならば、私のところの実験では10年持つことになっています。そう申し上げても信用していただけないかもしれませんから、3年間は完全に剥げないことを保証いたします」と即答した。 伊東屋の主人は徳次のこの返答にひどく感激し先ほどの全種各1グロスという注文を出してくれたのだ。 (経済ジャーナリスト・清水石比古)
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トレンド 2009年05月18日 15時00分
高橋四丁目の居酒屋万歩計(3)「佐原屋」(さはらや、居酒屋)
「佐原屋」はJR御徒町駅のガード下にある。山手線の内回り外回り、京浜東北線の北行南行が行き交っている。暖簾(のれん)を潜ればしかしそれを忘れるほど、店内は静かなのだ。がたんごとんという音が聞こえてこない。 訳があった。店はガード下にあるが、プラットホームのちょうど真ん中に位置しているため、ホームに各電車はゆるゆる停車する態勢で入ってきて、ゆるゆると発車してゆく。 だから静かなのだ。カウンターの、長いほうの板を取り仕切るおばさまも、観察しているとゆるゆるの停・発車を心がけている。急ブレーキ、急発車は体に悪いし事故のもと。おばさまは、わかっていらっしゃるのである。そのおばさまが、今は使用していないが昔は2階があって、それも騒音のクッションがわりになっているかも、と教えてくれた。 JRつながりがもうひとつあった。国鉄時代、列車の横腹に収納されていた行き先表示板が飾ってあって〈鹿島神宮―佐原〉。店の初代が千葉県の佐原出身なのだった。わたしは血族関係の一親等、二親等まではついてゆけるが、それ以上は混乱するたちなので、千代田区東神田と荒川区の三河島にあるという、暖簾分けした佐原屋の親戚関係は聞いても頭に入らなかったが、台東区のこの本店がもともと酒の卸しをしていたこと、とにかくここが本家であると念押しされた。 ご常連がいずれも健啖(けんたん)家ぞろいで、揚げ物、天ぷら系統を召し上がっているので便乗してみた。豚ぷら、めごちとも結構でありました。箒(ほうき)の実であるとんぶりは秋田の県産品だが、まぐろのやまかけなどにあしらわれていた。温泉玉子は口直し用に、100円。 アメ横では、スポーツ店の放出する耐久性の高いダンボールの配給をうける、路上生活者の長い列が出来ていた。その脇を、外国人観光客がカメラ片手ににぎにぎしく行き交っている。ひとり暮らしらしいおばあさんが、ブツ千円、ブツ千円という声に誘われて魚屋に入ってゆく。今はいい。今はまだいいけれど、ガード脇の煌々(こうこう)たる灯が消えて、威勢のいい掛け声が消えて、御徒町駅や上野駅の終電が果てて、しーんと静まり返ったときのこの町の底知れない深淵におびえて、みんながはしゃいでいた。ここは同じガード下でも、東京駅や有楽町駅のようには整備されていない。整備する必要がないから、今後もこのままなのだろう。予算2200円東京都台東区上野5-27-5
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トレンド 2009年05月18日 15時00分
高橋四丁目の居酒屋万歩計(2)「くら島」(くらしま、居酒屋)
「くら島」のくらは、暗と書く。客商売だから、ばか正直にまさか戸籍通りの名を名乗るわけにも行かず、漢字を開いてひらがなにした、などと邪推してはならない。午前10時、三越開店のお時間ちょうどに、デパートにお入りになったことがありますか。儀杖兵を閲兵する元首じゃあるまいし、あのずらりとそろっておじぎしている前を、平然と行き過ぎるような方とはお友だちになれない。なりたくない。あれが好きになったら、ココロの病気を疑ったほうがいい。その伝でいえば、この店に集う方々とはお友だちになれそうな気がする。むろん声などかけないけれど。 一見だろうが十見だろうが、そしてたとえ百見だろうが、客をまったくかまおうとしない店主は、かつてこの店に出入りしたらしい故田中小実昌氏(作家)や故吉村平吉氏(風俗評論家)や、現役でご活躍の小林のり一さん(俳優)らに目もくれず、背中で注文だけを聞いて黙々とモツを焼いた(であろうと思われる)。それあってこそ、ひとりで安心して、なんにも考えずに酒が飲めようというものではございませんか。 らっしゃい、という威勢のいい店に行きたいような夜は、どこか心眼が曇っている。ましてターさんなどという甘い声を聞きたくなるような夜は、心に鵺(ぬえ)が鳴いている。わたしは断じて銀座のクラブなどというものは好きではない。「アルドンサ」だけはもう一度行きたいけれど…。 カウンターに置きっぱなしの、かねて気になっていた沖縄の香辛料をモツヤキにかけてみることにした。小瓶の中味は薄茶色、シマトウガラシではない。 これが効いた。築地場外の鮪丼屋で、練りワサビを追加注文して訝(いぶか)しがられたこのわたしが、辛さに往生して、シェパード犬のようにベロを口外に出した。 後から効くのは、冷酒と親の小言だけではない。口内の炎上はいっかな収まらない。わたしは思わず口数少ないお手伝いのおねえさんに、コレハズイブントカライモノデスネエ、と訴えた。おねえさんは、わたしが文句を言っていると思ったらしい。ご亭主に報告した。報告を受けたご亭主は、コレハ辛イゾ、とでも紙を張っておきますかと笑っている。 わたしは、ハラナイデオイテクダサイ。カケタヤツヲミテイルタノシミガヘルデショーニ、と申し上げるのがやっとだった。冷やしトマトをそういう。 残らず食べて、やっと人心地した。隣席の方が心配して「ダイジョーブデスカ」と声をかけてくれた。なんだ、普通のいい店じゃあないの。 帰りがけにコップに書かれている文字を読むと、「ムズカシイ話は明日にしてね」。 いまはムズカシイことを、考えることさえできない。予算1400円東京都港区新橋3-10-4
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トレンド 2009年05月18日 15時00分
高橋四丁目の居酒屋万歩計(1)「サケショップ福光屋」(さけしょっぷふくみつや、居酒屋)
音羽屋尾上菊五郎が、5月の東京・歌舞伎座さよなら公演で「加賀鳶(かがとび)」の鳶頭梅吉と悪党のあんま・道玄の二役を初演で演じている。「加賀鳶」は正式の狂言名を「盲長屋梅加賀鳶(めくらながやうめがかがとび)」といって、世話物の名手河竹黙阿弥が五世尾上菊五郎にあてがきしたもの。粋を絵に描いた火消しの勢ぞろいする絢爛(けんらん)たる幕開けで知られている。 加賀百万石前田家の江戸屋敷を守る火消し人足、加賀鳶。なりは長半纏(ばんてん)に革羽織。喧嘩(けんか)っぱやいのも、うりのひとつ。今日も町火消しと湯島天神の境内でもめて、血の雨が降ろうとしている、というのが筋書きだ。江戸時代にもてた男といえば、火消しに相撲に役者。うちでは、火消しが一番人気だった。 加賀の古都、石川県金沢の酒蔵福光屋が、5年前に自社ブランドのショールームを開いた。ところは、若者はニコタマと呼び、年寄りはフタゴと濁って発音する傾向にある東京南西部の高級繁華街、二子玉川の玉川高島屋S・C。いま建築中の新商業施設とは、地下と2階でつながることになっている。玉川高島屋はショッピング・センターを自称しデパートとはいわない。そしてS・C(えすしー)と呼ばせて、ショッピング・センターと呼ばせない。頭の下げ方が巧みなのである。 ここで飲める。 「加賀鳶」を飲める。 地下の食料品売り場を行き来する奥さま方と目が合う面映(おもはゆ)さだけしのげば、なかなか快適な空間がこしらえてある。「加賀鳶」ブランドは10種類。 最高級品純米大吟醸千日囲い(要は3年物)に張られている錦絵が、歌舞伎「加賀鳶」の勇ましい鳶の出立ち(いでたち)なのだ。 カウンターで、ブランドの上位から3番目の純米大吟醸藍と、6番目の山廃純米超辛口をいただく。あては平河豚粕漬けなどの3点盛り。「加賀鳶」の特徴は酸味である。有料利き酒をしたら、舌は酒を割る水で洗うことになっていた。この心遣いはうれしい。 さてすべての「加賀鳶」のなかで、粋であるだけでなく、偉いと感服してわたしも飲んでいる、赤ラベルの「加賀鳶純米翔」をご紹介したい。目印は瓶に襷(たすき)がけされている表札「キレの辛口」。目と目が合ったら家まで連れて帰っていただきたい。 一口含んで鼻腔(びこう)から空気を抜けば、酒の甘さを支えているものが酸味だということが分かる。そして酸味は、自分はけっして甘さや旨(うま)みに変化せずに、酸味のまま立ち消えるいさぎよいやつだということも分かる。その「粋」を、1升(1.8リットル)1785円で楽しめる。よっ、福光屋。予算1400円東京都世田谷区玉川3-17-1 玉川島屋S・C B1
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