-
スポーツ 2008年05月08日 15時00分
ハッスル ボノちゃんが新軍団結成。ボノちゃん部屋開業した
地響きが起こりそうだ! 24日の「ハッスル・エイド2008」(東京・有明コロシアム)では母インリン様との母子対決が決定しているボノちゃんが7日、都内のハッスル道場で会見。“親方”として“おかみさん”よしえちゃんこと吉江豊とともに「ボノちゃん部屋」の開業を宣言。ハッスルの舞台に新たな軍団の誕生だ。 部屋を立ち上げたボノちゃん、よしえちゃんは早くも新弟子としてあーちゃんこと荒谷望誉を呼び寄せ、高田モンスター軍はおろかハッスル(H)軍にも宣戦布告。13日の「ハッスル・ハウスvol.36」(東京・後楽園ホール)ではH軍との初激突も決まり「全部ぶっ潰してやる」と鼻息を荒くした。 それにしてもアンコ型の3人が並ぶと見ているだけで地響きが起こりそうだ。超強力な新軍団の誕生でハッスルに新たなドラマが始まりそうだ。
-
スポーツ 2008年05月08日 15時00分
戦極 中尾“KISS”芳広は藤田和之以外に眼中なし!
「戦極〜第二陣〜」(18日、東京・有明コロシアム)でBIG・ジム・ヨークと対戦する中尾“KISS”芳広が7日、都内のジムで練習を公開した。奇天烈特訓を披露した中尾はあらためて藤田和之との対戦を熱望。リング上からの“投げキッス”を予告した。 この日の練習ではヨークのお面を付けたトレーニングパートナー4人を後ろ回し蹴りで吹っ飛ばした中尾。「完全KOを狙う」と意気込んだ。 また、あらためて藤田との対戦に熱い思いを吐露した中尾。「同じレスリング出身だし、いつも似ていると言われ、ナンバー2だと思われてる」と藤田は目の上のタンコブらしく「やっぱり一番を目指したいので」と語る。「中尾VS藤田を、という声があがるようにもっていきたい」とした上で「まずはヨークに勝って対戦を要求したい」と野望を口にした。 さらに「身長、体重が一緒なヒョードル選手ともやりたい。そのためにもまずは藤田選手との試合を」と元PRIDEヘビー級王者のエメリヤーエンコ・ヒョードル戦をも訴えた中尾。天下獲りを見据え、まずはヨークをリングに沈めるハラだ。
-
その他 2008年05月08日 15時00分
戦極 パブリックビューイングのチケットプレゼント
戦極は18日の「戦極〜第二陣〜」を全国主要都市でパブリックビューイング開催することが決定した。 東京(新宿バルト9)、千葉(エクスワイジー・シネマズ蘇我)、新潟(Tジョイ新潟万代)、大阪(梅田バルク7)、広島(広島バルト11)、鹿児島(鹿児島ミッテ10)の5会場で、4500円(1ドリンク付き)で4月1日より各劇場窓口で発売中。 そこで本紙読者に、東京、千葉、2会場のペアチケット各5組10人ずつをプレゼントします。 ※プレゼントの応募は締め切りました。
-
-
レジャー 2008年05月08日 15時00分
東京湾C ダービーヘーの最終切符はギャンブルオンミーがゲット!
東京ダービーへ向けた最終TR「第22回東京湾C」は7日、船橋競馬場で行われ、2番人気に推されたギャンブルオンミー(牡3歳、船橋・佐藤賢厩舎)が番手から直線抜け出して勝利。騎乗した内田博騎手は今年3月にJRAに移籍して以来、初めての南関東重賞制覇となった。 「あまり早く抜け出すと力を抜くし、まだ能力を出し切れていない」勝ってなお、内田騎手が課題を挙げるのは期待の裏返しか。一方、佐藤賢師は「ようやく馬に実が入ってきた」と素質が萌芽し始めた愛馬に目を細めていた。
-
レジャー 2008年05月08日 15時00分
NHKマイルC 本紙・橋本記者が汚名返上に燃える2歳王者を直撃
3歳マイル王に君臨するのはどの馬か?戦国ムードに包まれる「第13回NHKマイルC」(JpnI 東京芝1600m 11日)のカウントダウンが始まった。有力馬は五指に余るが、美浦黄門こと本紙・橋本千春記者が白羽の矢を立てたのは、昨年の2歳王者ゴスホークケン。復帰戦の12着惨敗で株を下げているが、巻き返しを期す陣営のムードは最高潮。「状態は朝日杯FSとそん色ない。自分のリズムで走れば結果はついてくる」と話す新進気鋭の指揮官・斎藤誠師を直撃インタビューした。 −−NZTは12着と残念な結果に終わりました。まずは、その復帰戦から振り返ってください。 斎藤誠師「考えられる敗因は3つあります。まず、1つ目はスタートして2、3完歩目にトモを落とし、トップスピードにすぐ乗れなかったこと。2つ目はレース直後に分かったことですが、右前脚を落鉄していました。そして、3つ目は前日の雨。緩い馬場は不得手ですからね」 −−10kg増については? 斎藤誠師「成長分もありますが、調教を進めていく段階で動きがシャープになってきたのを見ると、やはり太かったようですね」 −−最終追い切りはどこに主眼を置いてやりましたか? 斎藤誠師「1週前に上がりを中心にビシッとやって、体はできているので、7日は馬の気に任せて息の使い方の確認と、伸び伸び走れることに主眼を置いてやりました。全身を使ったいい走りをしていたので満足しています。直人(伊藤直騎手)も『朝日杯FSのデキに戻っている』と言ってくれました。点数ですか? 90点はやれますね」 −−もまれる競馬をした経験がない点は? 斎藤誠師「以前は横から馬が来ると逃げていたように、“ノミの心臓”だった(笑)。でも、休養を挟んで精神的に成長して大人になり、そういった不安は解消しているので(馬込みに入っても)大丈夫」 −−最後に意気込みをお願いします。 斎藤誠師「さまざまな不確定要素があるけど、それは全馬同じことだし、デキの良さでカバーしてくれるでしょう。あとはいかにリズムよく走れるかに尽きます。能力さえ出し切れば自ずと結果はついてくると信じてます。応援してください」
-
-
レジャー 2008年05月08日 15時00分
NHKマイルC 爆発か沈黙か!? ダノンゴーゴー 敵は自分自身
自分との闘いに勝てるか。「第13回NHKマイルC」(JpnI 東京芝1600m 11日)の追い切りが8日行われ、ダノンゴーゴーがシャープな動きを見せた。快勝したファルコンSの末脚を振り返るまでもなく、底力はGI級だ。唯一の課題は折り合い。燃えやすい気性でマイルの流れをどう耐えて、直線の爆発につなげるか。ためれば、伸びる。 「この距離がどうか」と橋口師はうなった。燃えすぎる気性。ダノンゴーゴーにとっては、1600mですらまどろっこしく感じるのだろう。 前走のNZTもそうだった。スタートをわざとゆっくり出して、道中は最後方。折り合い名人の武豊が細心の注意を払ったにもかかわらず、それでもやはり行きたがっていた。ただ、それでいて力も示している。3、4コーナーで大外を回って0秒4差。追い込みが利かず、内が止まらなかった当時の馬場状態を加味すれば、底力は相当なものだ。 確かに前々走のファルコンSは圧巻だった。小回り中京を最後方から、そして大外を回って楽々と差し切った。あの爆発力をマイル戦でも発揮できれば、ここでも十分通用するはずだ。 デキもいい。4月30日の1週前追い切りは栗東坂路で800m52秒5→38秒0→12秒7、4日にも54秒4→13秒4をマークしている。 「ラストまでしっかり動いて、脚色が乱れなかった。いい状態を保っている」と師も納得のフットワークだった。 「ファルコンSの内容から左回りはむしろいいだろうし、末脚を生かせる直線の長いコースも合っている。とにかく道中鞍上とケンカせず、タメが利けば」 自分との闘い。それを乗り越えれば、自ずと栄冠は見えてくる。 【最終追いVTR】アイアングリーン(3歳未勝利)と併せられて、中間地点から徐々に加速。最後の1Fで仕掛けられると鋭い伸びで2馬身先着を果たした。追ってからの反応も抜群で、文句なしの仕上がりだ。
-
その他 2008年05月08日 15時00分
競輪穴男列伝 44歳になってもまくりでしぶとさ見せる萩原操
実にしぶとい。44歳になっても時にまくるのが萩原操(三重・51期)の凄さだ。奈良記念の二次予選Bで若手の坂本匡洋(大阪・91期)の先行をひとまくりした実績が示す。 名古屋FIでは小川将人(愛知)の先行を差し、熊本FIでは辻力(石川)のまくりを差し、取手FI準決では弟子の西浦仙哉を使って快勝している。競りになったときの粘りはいままでのように粘っこくないが、どんな展開でもバックから仕掛けようという気力は凄い。 デビューしたのが昭和58年。父親・誠も追い込み選手として特別競輪では活躍した。当然のように父と同じ道を歩んだ。 昭和59年には地元松阪でA級優勝、昭和61年10月には豊橋でS級優勝した萩原は昭和60年の一宮オールスターからGI、GII戦に出場、同年の新人王でも(8)(3)(4)と優参して実力を見せる。平成4年の競輪祭では(3)(2)(2)(4)でついにGIの優参を果たした。決勝は吉岡稔真(福岡)の圧勝で終わったが、しぶとく4着に食い込んでいた。さらに平成10年の一宮オールスターを(3)(3)(3)で優参、山口幸二(岐阜)一丸安貴(愛知)馬淵紀明(愛知)の連係作戦で神山雄一郎(栃木)吉岡稔真を抑えて中部作戦を成功させ山口幸二のGI初制覇をアシストした。 萩原の良さは中部の連係をしっかり保つことだが、仮に中部の目標がない時でも、必ず仕掛けてくる。それだけにバンクの大きさは関係なし。33でも500でも仕掛けにかかり、粘っこいまくり追い込みで上位を脅かしている。 後輩の指導も熱心で日本選手権と全日本選抜を獲った海田和裕(65期)をコーチ、粘りのある先行に仕上げたし、先行一本で伏兵振りを見せる西浦仙哉(73期)の師匠でもある。 51期のS1は萩原の他に戸辺英雄(茨城)青木佳辰(愛知)の3人だけになってしまったが、その中で萩原は今年750万円(4月末現在)を獲得して、戸辺に100万の差をつけているほど頑張っている。 競走生活25年、295勝をあげている萩原、当面の目標は300勝。FI戦なら準決は勝てるだけに「目標到達」の日は近い。残念ながら高松宮記念杯の斡旋はないが、函館GIIIまで時間は十分、穴男ぶりを見せてくれるだろう。
-
その他 2008年05月08日 15時00分
ケイリン徒然草 「3角まくり」でファンを魅了した白鳥伸雄
昭和40年5月5日、川崎競輪場は押しかけるファンで超満員だった。最終日、消防定員が2万5千人くらいしかない川崎に、なんと4万7千人のファンが詰めかけた。当時は特別競輪の場外はない。 溢れかえったファンで危険となり川崎の施行者はバンクの内側に緊急措置でファンを入れた。その目の前で白鳥伸雄は高原永伍(神奈川)の先行を3角から仕掛けて見事にタイトルを獲った。 喜んだファンは白鳥を胴上げ。競輪では例のない光景が繰り広げられた。そのシリーズ6日間の入場人員は25万7567人。平均4万人以上が川崎に詰めかけたのである。その時白鳥は37歳だった。 22歳で競輪界に入った白鳥は当時の選手年齢からいえば「遅い」部類だった。 「強くなったのはデビューしてから10年目の昭和35年ころかな。もちろん練習は人よりやっていたし、勝つための作戦も考え続けていた」 昭和34年、立川の全国都道府県で優勝したが、西武園で大本命になりながら、タイヤがはずれて棄権した時には騒擾事件になった。それがかえって白鳥の競輪に対する意欲をかき立てた。 昭和40年の川崎オールスター、同年の高松宮杯、昭和42年の秩父宮妃賜杯、白鳥の「3角まくり」をみるためにファンはつめかけていた。 「3角まくりというけど、踏み込むタイミングは番手次第だったんだよ。番手が悪い時にはホームからでも踏んでいた。すべてが3角まくりじゃなかった」という話を引退して報知新聞の評論家になった時に聞いたことがある。 「こどもを抱いたことはなかったね。腰に悪いから」というくらい、競輪に集中した白鳥は昭和42年の後楽園・日本選手権2次予選で敗退するとあっさり引退してしまった。 「これからはスピード競輪になる。とてもかなわないよ」というのが引退の理由だった。引退まで820勝。そのまま走り続ければ千勝はしただろう。だが、白鳥はそんな欲をぽんとすてた。 日本選手権では昭和38年の一宮で1着失格、昭和39年の後楽園でも1着失格をしているが、11番手からまくって敢闘賞を貰ったときに「なんで敢闘賞なんだ。勝つのは当然だったよ」という自信溢れる話を聞いたことがある。白鳥の話題はまだまだある。
-
トレンド 2008年05月07日 15時00分
歌舞伎町の生きる伝説 神藤亜紗子ママインタビュー
5月12日(月)に新装オープンする歌舞伎町のクラブ「プリヴェイル」。オーナーの神藤亜紗子ママはバブル景気以前から今にいたるまで、歌舞伎町で数々の高級クラブを渡り歩いてきた伝説の人物。その驚きに満ちた武勇伝の数々を明かしてもらった。 最初に勤めたのは1983年ごろ、大型アルバイトクラブ「レオ」という店だった。当時は女子大生ブームの真っ直中、ホステスはアルバイトの若い女の子ばかりで、後に「キャンパスクラブ」という形態で世間に広まっていく。 「動機は単純、お小遣い稼ぎでした。週3回ぐらいでいいかなぁって思ってたら、入店した日から毎日来てくれって言われて。結局、3年間1日も休むことがなかったですね」 しかし当時のママは、なんとまだ女子高生だった。 「自宅に住んでいたので両親には内緒でした。うちの両親は寝るのが早くて、夕方の5時ぐらいには夕飯を食べて7時ぐらいには寝てしまうんです。なので、両親が寝てからソッと家を抜け出し、お店に通ってました。家は玄関を通らず直接2階から階段で外へ出ていけるようになっていたんです。だから、明け方に帰ってきてソッと寝たふりするんです。でも、あるとき2階のドアにブザーが付いていて。私が外から帰ってきたら両親の部屋で鳴るようになってたんです。私が外出しているのを薄々知っていたんでしょうね」 女子高生時代には1日の指名数50本という大記録(?)を打ち立てている。その裏にはドラマがある。 「部活を終えてから店に出ると、出店時間の6時に間に合わなかったんです。けど、同伴出勤なら7時半からでOKだったんで、そのときは店の前の公衆電話からお客さんに電話して、同伴出勤をお願いしてたんです。でも、同伴してくれるお客さんが必ずいるわけでもないですし。そしたら向かいのボッタクリの店のキャッチのお兄さんが『何してんの?』って声を掛けてきて。『同伴してくれるお客さんを探してるの』って言ったら『ちょっと待ってな』って、そのへんを歩いているおじさんを連れてきてくれて(笑)。店の前の公衆電話から電話している私を、いつも見てたんだそうです。しかも部活帰りなもんで、バスケットボールを何個も抱えながら電話していた…なんてこともありました。だから『こんな女子高生が何やってんだろう?』って、不思議に思ってたらしいんです。で、話を聞いてみたら、ここで学校帰りに毎日バイトしていると。真面目な娘だなって感心したらしくて。以来、ちょくちょくお客さんを回してもらいました。中でも一番世話になったのは、ある年の大みそか。途中から入ってきた女の子に私がナンバーワンの座を取られてしまって。12月30日で指名数の差が11本もついたんです。大みそかは休もうと思ってたんですが、それだけ差を付けられるとシャクだし、逆転できるとは思ってなかったけど出勤することにしたんです。そしたら、大みそかに働いてる私を見たお兄さんが『こんな日まで働いてるなんてスゴイね』って声をかけてきて。実はかくかくしかじかで…って言ったら、また『分かった』って。そしたら、お兄さんがドンドンお客さんを連れてきてくれて。その数なんと50組、人数で言うと100人近かったかな(笑)。これ、今だに私の1日の指名数の記録です。しかも営業中に『あと何人要る?』って電話までしてくれて(笑)」 かと言って、そのお兄さんは「俺と付き合え」とか「金寄こせ」なんて一言も言わなかったそうだ。 高校を卒業し、そのまま水商売の道に進むのかと思いきや、なんとコンピュータの専門学校に進学。同時に家を出てマンションを借り、一人暮らしを始める。 「当時はコンピュータなんて全然なくて、今にして思うと早すぎた選択でした(笑)。一日の生活サイクルは昼は学校、夕方6時から12時までは『レオ』、さらに別の店で朝の4時まで雇われママをしてました。朝は24時間営業しているポーカー喫茶とかで勉強して、そのまま学校に行ってました。いつ寝てたんだろ?(笑)」 学校を2年でキチンと卒業。その直前に「レオ」を辞め、スカウトされた高級クラブに“移籍”する。20歳ごろの話だ 「入店したら、店で着る洋服を買って来いってポンと100万円を渡されて。高級クラブは違うなーって思って、一着15万円の洋服を7着も買ってきたら、後で全部給料から引かれましたけど(笑)」 その後も高級クラブからの誘いは引きもきらず、折しも時代はバブルの絶頂期。店を移るたびに収入もうなぎのぼりだった。 「月1000万は普通でしたね。当時、お客さんからブランデーをロックで一気に飲んだら1万円あげるって言われてグッと飲み干して。おかわりしてまた1万円。結局10杯ぐらい飲んで、お札を胸の谷間に差し込んで。でも、酔っぱらってトイレに行くと、席に帰ってくる間に全部落っこちて無くなってるんですよ(笑)。あと、アイスペールにボトル1本を注ぎ入れて、回りに1万円札10枚くっつけて、飲み干したら全部あげるよって。もちろん飲み干しました(笑)。そんな毎日でしたね」 チップだと言って100万円、ヘルプの女の子ですら10万円。ある店でナンバーワンの女の子が入院したら、お客さんのお見舞い金が700万円。本当にすごい時代だったと語る。 「お客さんが宝石箱持参で来店して『潰れた店からもらってきたやつだから、好きなの取れ』ってこともありました。あるとき、初めてのお客さんから王冠大のエメラルドのネックレスをもらったことがあるんです。そのお客さん、本当はお気に入りのママにあげるつもりだったんだけど、そのママがもっと大きなネックレスをしてたんで、あげるわけにいかなくなって私に回ってきたみたい(笑)」 現金で1億円たまったら店を辞め、自分で店を開いて人に任せようと思っていたそうだ。そして24歳のとき、自分の店を開店する。 「ところが月の赤字が500万円超(笑)。1億なんてアッという間に消えて無くなりました。私は『バブルが弾けて客が来なくなった』って思ってたんですが、実は従業員たちが使い込んでたんです。ファミレスで1回で10万円も飲み食いされたことも。そんなに何食べたんだって(笑)、怒るというより呆れました」 また1億円を稼ごうと再び店で働き始めた。そして26歳のとき、地元の中野新橋に一軒家を購入。家を買うホステスというのも珍しい。そして、再び1億円がたまった。 「祖母の一周忌に家族会議があって、遺産相続で長男に会社、次男と長女に2世帯住宅を一世帯ずつ。そして私には…なにもなし(笑)。1億円で実家を立て直そうと思っていたのに、その仕打ちは何!って怒ったら、あなたはもう家を持ってるじゃないって(笑)。もう、実家とケンカ状態ですよ」 宙に浮いた1億円の使い道に困った亜紗子ママ。ヤケになったか、なんと麻雀にハマってしまった。 「お客さんの紹介で雀荘に行く機会があって。私はズブの素人で、待ち受けている方々はプロの皆さん。毎日10万ぐらいずつ負けてました。レートは普通なんですが、一回の額が大きかったし、通った期間も長かったので、気が付いたら1億円が溶けてなくなってました(笑)」 とはいえ、お金のために働き続けてきたわけではない。愛想がいいわけでもなければ口が上手いわけでもない、そんな自分がなぜ歌舞伎町の高級クラブでトップクラスにいられたのか、自分でもよく分からないと告白する。 「実は一昨年の12月に乳ガンだと診断されて。早期に手術したおかげか、取りあえず今は大丈夫。でも、人生観が変わりました。生きている間にやりたいことを全部やっておこうって。それにせっかくオーナーになったんですから、この店に全力投球です」 クラブ「プリヴェイル」はセット料金3万円の高級店。場所は風林会館向かいのビル7階。ママの話を聞けるだけでも、価値があるかも知れない。▼「プリヴェイル」 新宿区歌舞伎町1-3-11梅村ビル7F
-
-
スポーツ 2008年05月07日 15時00分
来シーズンの高額契約を狙う楽天・野村監督のしたたかさ
楽天の野村監督がこのところ強気だ。開幕前の予想をはるかに上回る健闘を武器に、来シーズンの契約を高額で勝ち取る作戦に出ているという。三木谷オーナーを意識した勝負が始まっている。 「よう、入っとるわ。勝つからやで。エッヘヘ…」 本拠地仙台(Kスタ宮城)での試合前、ゴールデンウィークで超満員のスタンドを見渡しながら、野村監督は意味ありげに笑った。単純な言葉だが、担当記者の“翻訳”によると、こうなるのだ。 「意味深いコメントですよ。観客動員の増加と勝利の増加。もっとも大事な点をクリアしている状況ですからね。試合後に必ずマスコミの前で行うリップサービスとはまるで違う」。 “野村のぼやき”と思っていたら、フロントは後でエラい目に遭う、とも付け加えた。 野村監督の契約は今シーズン限り。来年以降は未定となっている。ペナントレースが始まる前、わざとらしく野村は言った。 「もう、監督はエエで」 シーズンに入っても、さも疲れたような態度をとっている。フロント幹部が嫌な顔をしたものだった。 「あれは野村監督一流のやり方。捕手時代、“ささやき戦法”で打者を煙に巻いた。それと同じで、まず相手、つまり球団に対してボールを投げ、どんな反応をしてくるか見ている。昨日はソフトバンクに負けたが、最近チームの調子がいいし、ファンも喜んでいるから、野村としては一気に攻め込みたいところだろう」(大物評論家) 野村監督の希望はもちろん再契約。事情通によれば「あわよくば、永久監督。あるいはGMで支配することを狙っている、と聞いている」。さらに「総額10億円契約は譲らない」という話も流れている。 「確かに、野村サイドからすれば、チームをプレーオフ進出(CSシリーズ)の可能性ありまで強くしたし、観客も増え、テレビの露出度も高く、監督以外にもセールスマン的な働きもしている。再契約となれば10億円は譲れないところでしょう」(広告代理店関係者) ところが、三木谷オーナーはビジネスマンだから、そう甘くない。 「野村の役目は終わった、と判断しているフシがあります。若い監督を迎えてフレッシュさを強調したいのが本音。もう後任監督を捜せ、との指令がフロントに出ている、という声もある」(ベテラン担当記者) しかし野村監督は再契約に向けて外堀を埋めつつある。まず試合後のマスコミサービス。「ノムさんのぼやき」といったコーナーがテレビ局にあるほど大受けである。毎試合、野村が画面に映るし、全国紙も“ぼやき特集”を組んでいるほど。次に本拠地の試合での勝率が異常に高く、地元では絶対の支持を受けている。 「野村監督はオーナーの感触によって戦い方を変えますよ。まずプレーオフには出ない。出て負けたら契約切れの口実を与えるだけ。もう少しでプレーオフというのが最高で、野村が来年も監督ならプレーオフに出るだろう、とマスコミやファンが期待する。そこで留任となる」(評論家) 三木谷オーナーは勝つのがお好き、ということは野村監督は先刻承知。今のところ、創立4年目で初の首位に立ったかと思えば、まっしぐらに最下位。その後もジェットコースターのような浮沈を繰り返しているが、野村ID野球の神髄はこれから発揮される。
-
レジャー
GI秋華賞追い切り速報 春の実績馬を脅かす不気味な存在 究極の上がり馬 サンドリオン絶好
2006年10月11日 15時00分
-
スポーツ
大みそか参戦ほぼ決定 芸能人対決 金子賢vs押尾学
2006年10月10日 15時00分
-
レジャー
GII毎日王冠 テレグノシス花道V
2006年10月07日 15時00分
-
レジャー
アイルランドT キンシャサノキセキ断然
2006年10月06日 15時00分
-
芸能
よしお兄さん、だいすけお兄さんの結婚を祝福「直接聞きました」 パパとしての喜びを語る
1999年11月13日 11時50分
-
芸能
マギー司郎「童貞は舞台に立たせない」
1990年12月15日 12時55分
-
芸能
中居正広がクレカ被害、詐欺師に対し「可哀想」
1990年11月15日 11時21分
-
芸能
a
1980年09月26日 22時06分
-
芸能
a
1970年09月27日 12時20分
-
芸能
a
1970年09月26日 22時43分
-
芸能
a
1970年09月26日 22時28分
-
芸能
a
1970年09月26日 22時10分
特集
-
豊ノ島、YouTubeチャンネルで若乃花とコラボ熱望 タレントとして相撲番組で「冠番組」持ちたい
芸能
2025年07月21日 12時00分
-
豊ノ島“ライバル”琴奨菊との思い明かす 業界には「いい物は残し、時代に併せて変わっていけば」と期待
芸能
2025年07月20日 12時00分
-
-
宮迫博之「雨上がり決死隊」再結成は「蛍原さん次第」 ドジャース始球式の裏話も明かす
芸能
2025年07月14日 17時00分
-
元ザブングル松尾陽介、沖縄で芸人のセカンドキャリアサポート 芸人引退に「心境の変化」
芸能
2025年04月28日 19時03分
-
カラテカ入江慎也、闇営業で得た教訓は「人と人をつなぐ怖さ」 反社の見極め方は「金の使い方」
芸能
2025年06月01日 12時00分