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レジャー 2010年01月19日 17時00分
噂の騎士(ナイト)第38回 『居候キャバ嬢、ツユだくルミコ』
「おならなんかじゃないからね」、一昔前に流行ったとんねるずのギャグじゃないっつ〜の。部屋中に響く“ちなら”でオレのチンチンも今晩は若干引き気味。特殊なクリちゃんを刺激すると決まって、ブブッとアソコから奇妙な音を発する。 歌舞伎町の居酒屋で拾った酔っ払いキャバ嬢のルミコ。そのままオレの部屋までついてきて、居座ってからもう2か月弱。10代のギャルと毎晩卑猥なHが出来てラッキー、と思ったのも最初の2週間。いつの間にか、自分の身の回りのものを運び込みやがった。よくよく話を聞けば、去年の年末に岐阜から上京したばかりで、暫く友達の家に居候していたらしい。おい、コラぁ、オレの部屋はワンルームなんだぞ。そんな大きなエクササイズボールは使ったら空気を抜いとけよ。彼女が住み着いて普通に狭い部屋の機能が更に悪くなった。でも今やルミコはオレにとって大事な財布のような、いやもっと大きな銀行のような存在だ。殆ど毎日店に出勤しているので、15日ごとに20枚以上の一万円札をオレに運んできてくれる。先週の週末は、叙々苑で特選カルビを腹いっぱい食わせてもらった。部屋には大き過ぎるが32インチのLEDテレビも、圧力IH炊飯器もルミコからの貢物だ。 そしてほぼ毎日セックスしている。雨の日も風の日も、生理中の2日目も、酔っ払って帰宅してゲロ吐きそうになってもだ。ルミコのアソコの毛は丁寧に揃っている。近頃ブームでブラジリアン・ワックスというらしい。真正面から見たら波平さんのちょび髭だ。それからクリちゃん、これがとてもジャイアント。舐めると直ぐに興奮して伸び、赤ちゃんのチンチンくらいの大きさに瞬時で成長する。時々俺はコレを凝視できない。もしルミコが男だったら、絶対にオレのより大きなモノを股からブラ下げてるだろうからだ。おまけに滝のようなラブジュース、もしかしてオシッコかもしれないが、下になったオレの口に注ぎ込まれる。そしてルミコは自分がイクまで許してくれない。元々腰痛が持病の俺には高速ピストンは無理なため、仕方なく口を使ってイカせるように努力する。そうすると、更に大きくなったデカクリが俺の鼻の穴につかえて息苦しい。しかもそのうちルミコの大量のラブジュースに浸かった俺の歯は腐っていくかもしれない。 きっとその辺の野良犬よりも行きずりのセックスが好きなこのオレでも、この状況は厳しくなってきた。そろそろ出てってもらおうかなあ。しかしルミコ銀行を失うのは現状ではあまりに惜しい。そうだ、あと1週間様子を見よう。この間に考えよう。ちょっと、待てよ。先週も先々週も同じこと言ってなかったかなあ、俺。まあ、いいか。*写真は本文とは関係ありません【記事提供】キャフー http://www.kyahoo.jp/
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社会 2010年01月19日 16時00分
男と女の官能事件簿 熟年不倫で美人ヨガ講師を殺害(1)
2004年1月2日、名古屋市千種区でヨガ教室の講師をしていた石田京子さん(53)が、「犬山市のお寺に初詣に行ってくる」と言い残したまま戻らず、そのまま行方不明となった。 家族や知り合いも、京子さんが失踪する理由などまったく思い当たるものはなかった。また、人柄の温厚な京子さんは、ヨガ教室でも慕われており、知人や友人関係でもトラブルになった形跡はない。 ただし、事件に深く関係していたと見られる人物は、早い時期から浮上していた。当時、京子さんと交際していた米川源次郎(61)である。 米川は地元の新聞社に勤務し、整理部次長にまで出世して、事件の前年に定年退職していた。そして、6年ほど前に趣味である山歩きを通じて京子さんと知り合い、彼女が教えるヨガ教室にも通うようになる。そして、京子さんと男女の付き合いを始めるようになっていく。 しかし、彼女と知り合って交際を開始した頃、米川には妻子がいた。そして、2001年頃には家族と別居し、名古屋市内のマンションに移り住んで京子さんとの交際を満喫していた。 ただし、彼女との交際は続けていたものの、離婚はしていない。 実は京子さんが失踪したその当日、家族に「初詣には米川と一緒に行く」と告げていた。 警察も当初、米川が何らかの事情を知っているとみて任意で話を聞いていた。だが、米川は「初詣には自分の家族と行くことになったので、京子さんとは一緒に行っていない。彼女とは大晦日に名古屋市内で会ったのが最後。事件当日は、彼女に『初詣には一緒に行けなくなった』と携帯電話で話しただけ」などと述べた。 事件当日、米川にアリバイはなかった。だが、そのすらすらと供述するその話し振りに、捜査員も強い姿勢を取れなかった。何を聞いても、よどみなく答える。戸惑う様子もない。 そこで、警察は事件と事故の両面から捜査を続けていた。 しかし、地道な捜査の結果、やはり米川に疑惑ありとの見方が強くなっていった。そして、警察は再び米川を追及したところ、ようやく「京子さんを殺して遺体を山に捨てた」と自供した。 そして、10月15日の午後、愛知県犬山市善師野の山林で、変わり果てた京子さんの遺体が発見された。彼女が失踪してから、実に10か月が経過していた。(つづく)
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芸能 2010年01月19日 15時00分
意外に共通点の多い中山美穂と酒井法子
映画『サヨナライツカ』の公開が控えている歌手で女優の中山美穂。かつて月9主演最多を誇る人気タレントの彼女だったが、作家の辻仁成と結婚後に渡仏。現在はパリを生活の拠点としている。対し、昨年一連の薬物逮捕劇の張本人だった酒井法子もまた、中山と同時期にドラマや歌で活躍していた。40才前後という、年齢的にもほぼ同じで、愛する息子を持ち、同じように若い時期はアイドルタレントとして活躍した歌手で女優の二人。結婚で、一方は「セレブ」、片やもう一方は「犯罪者」という明暗を分けたが、その結婚にこぎつけた理由は、幼い頃の寂しい経験に伴い、意外に共通点が多い。 薬物に溺れていった酒井を擁護するわけでは無いが、屈託のない笑顔でお茶の間を明るくしていたアイドル・酒井法子の幼少期は、あまり恵まれていなかったと言えよう。 1971年福岡市に生まれるが、2歳の時に両親が離婚し、更に実母とも離れて暮らす。親戚の叔母の家(埼玉県)にいた小学校の6年生の時に実父が再婚。再び福岡で中学生活を送る。酒井がアイドルになった後、交通事故で死亡した父は暴力団関係者で、離婚再婚をくりかえした。叔母の家で一緒に暮らしていた弟は後に父と同じ道に進み、スキャンダルを恐れて酒井と会うことは無かったという。容姿が可愛く、学校でも友達の多い少女だった酒井は、複雑な家庭の事情で転校も余儀なくされ、母親がわりになる女性が変わる寂しさが常につきまとっていた。ドラマなどで見せる独特の孤独感は、みずからの経験から基づいている。 アイドルとして成功してから、恋愛につまづき、その後出会った男性が例の夫。彼は酒井が一番欲しがっていた「家庭」という、安定した居場所を提供してくれた。息子も生まれ、幸せだったに違いない。しかし、人並みの家庭で育っていなかった酒井が築く家庭はどこか他と違い、なにかが少しずつ狂っていったようだ。今でも酒井はせっかく築いた家庭だけは壊したくないようにも見える。 一方、やはり家庭が一番の居場所で、息子を可愛がる中山美穂。酒井の活躍に張り合うように、80年代後半から人気がうなぎのぼりだった中山は、強気な不良少女というイメージから、大人の女性、等身大のカワイイ女性など、様々な役を演じ、それぞれイメージに合わせた曲を主題歌としてヒットさせた。今考えると“とてつもない”アイドルである。なぜドラマで、こんなにイメージをガラリと変える事ができるかというと、彼女もまた、生い立ちが複雑で、様々な経験をして生きてきたからに他ならない。 中山は幼少期に両親が離婚。仕事で家を空けなければならない母にかわって彼女の面倒を見てくれた親戚の家など、様々な所に預けられ、当時母子の生活は苦しかったという。幼かった妹の忍はその事を覚えてない。後に母が再婚し、家庭に居場所がなくなった為に中山は少々荒れた。しかし、小学校の頃に母が入れた児童劇団で演技をする楽しみに気づいた彼女はドラマデビュー。「毎度お騒がせします」というドラマで激しい少女を演じ大人気になる。しかし、中山も「家庭の事情」で出来た、本来のものでない個性が一人歩きしてしまったため、不良少女も、大人っぽい女性も、年相応のキャピキャピ娘も、どれもしっくりこなかったという。そこで出会った夫の辻がやはり、家庭という居場所をくれて、息子を授けてくれた。映画では大胆なラブシーンに挑んでいるが、「母で妻」という一面が本来の中山美穂として一番しっくりくるそうだ。映画公開を機に自分のルーツを語り始めた中山の表情はとても落ち着いている。 アラフォー世代の青春時代に輝いていたミポリンとノリピー。テレビの向こう側の笑顔からは想像もできなかった二人のアイドルたちの寂しい幼少期があった。もしそれが無ければ、人気スターとしての地位も、それゆえの受難も無いのかもしれない。しかし彼女たちは、平凡な一女性として生きるのが難しい境遇だったからこそ、アイドルになれたのかもしれないが…。
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スポーツ 2010年01月19日 13時30分
「時代」を彩った男と女・あの人は今 元柔道選手・山口香さん
人気漫画『YAWARA!』(浦沢直樹原作)のモデルと言われた山口香は1964年12月28日、東京・豊島区で生まれた。当時では珍しく、幼少の頃から、柔道を極め、黎明期の女子柔道界において、早くから注目される存在となった。別名『女三四郎』はあまりにも有名だ。 中学時代の78年、13歳で『全日本体重別選手権』のタイトルを奪取し87年まで10連覇。84年には『第3回世界選手権』金メダルと、19歳にして世界の頂点に立つなど、視界良好であった。 「しかも山口は『全日本〜』で分かる通りクラス(体重別)が殆ど変らなかった(1〜2回は50キロ級で3〜10回は52キロ級)。思春期で体質が変わりやすい時期も徹底的に自分を追い込みウェートコントロールしたのです。まさに“柔道命”であった訳です」と、当時を知るスポーツデスク者は語る。 とはいえ、高校時代…「お年頃」の山口には、実は周囲に言えない悩みを抱えていたという。 「日本の柔道女王と言っても、その“肩書”は同年代の男子は無関心で興味が無い。しかも当時、山口は美人で結構、モテたのです。勿論、彼女には意中のオトコがいました。“いっそ、柔道を止めて普通の女の子に戻り、キャンパスライフをエンジョイした方が私の為になるのでは…”と、本気で考えていたようです。何と人知れず柔道を続けるか、止めるかの岐路に立っていた時期があったのです」(週刊誌記者) 意外にもストイックではなくミーハーな一面があった山口だが、このフランクさが、彼女を世界のトップにさせた要因では無いだろうか。「決して気負わず、決して焦らず」−−彼女のスタイルは今、行き詰っている日本スポーツ界において、もっとも必要な心構えだろう。 それはさておき、10代後半から20代前半はまさに、山口のピーク時。前述の『全日本〜』10連覇をはじめ、『世界選手権』は80年の第1回(第4回大会まで変則開催)から87年の5回大会まで銀メダル4回(前述したが83年第3回大会は金メダル)と驚異的な成績を残す。 そして、全国民の期待を一身に背負って出場した『ソウル五輪』(88年)…国民の多くは彼女の実績から「金」を期待したのだが、結果は「銅」。23歳といっても、10代から女子柔道をけん引してきた山口にとって、この頃は、競技人生の晩年。当時、柔道関係者が「2年前に五輪があれば、間違いなく金メダルを獲っていた」と嘆いていたのが印象深かった。 翌89年、筑波大学大学院体育学修士課程修了が決定すると現役引退を表明。その後は、柔道界のみならず、タレント活動まで進出、マルチな活躍を遂げている。 その最たる例が山口自らモデルとなった漫画『YAWARA!』の劇場版作品への出演だ。89年公開の同作品で山口本人が登場したのだ。 「山口は現役時代の87年にも『アメリカ横断ウルトラクイズ』でウイニングアンサーを務めた過去があります。こう考えると、今の田村亮子が歩んでいる道を山口が開拓したと言っても過言ではないでしょう」(事情通) 98年、武蔵大学人文学部助教授になった山口は07年、同大学の教授に昇格。08年には母校・筑波大学大学院人間総合科学研究科准教授に就任。全日本柔道連盟女子強化委員も兼務し、現在に至っている。
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芸能 2010年01月19日 12時30分
どうした滝クリ?
フリーアナウンサーの滝川クリステルに地上波でレギュラーの仕事がつかない。昨年の9月に7年間キャスターをつとめたフジテレビの『ニュースJAPAN』を降板。フジテレビとの専属契約を解除した。降板以降はCMや映画の試写会のゲスト出演などでメディアに時々は露出するも、WOWOW以外でのレギュラー出演はない。“斜め45度の魅力”として一世を風靡した彼女、いったいなぜ起用がないのか? 「時期が悪すぎます」と話すのはテレビ局関係者。「確かに彼女の魅力は認めますが、各局とも今はフリーのキャスターから局アナへシフトしています。いくら人気があってもフリーアナにとっては冬の時代です」。さらに「『ニュースJAPAN』はほとんどストレートニュース中心の番組でした。彼女のアナウンス技術や仕切りに対しての評価は決して高くないです。結局は“お飾り”の存在となるでしょう。番組に“お飾り”を組み込むほど今のテレビに体力はないです」とも話す。 また、滝クリはそもそもキャスターをやるつもりがあまりないのではと話すの芸能事務所関係者。「CMなどイメージで稼いでいこうと考えているのでしょう」と推測する。しかし、「イメージには賞味期限があります。“斜め45度”のイメージもせいぜいあと3か月が限度でしょう」と厳しい見解を語った。 TBSからフリーになった小林麻耶も『総力報道! THE NEWS』の終了以降はレギュラーの話はない。フリーアナにとっては厳しい時代がやってきた。
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芸能 2010年01月19日 12時00分
芸能界震撼! 事実なのか? 都市伝説なのか? アイドル麻薬汚染の噂
某事務所が、芸能界において隠然たる力を持っていることは周知の事実だが、その権威を借りて、自由奔放に振る舞う所属タレントも、一部実在する。スタッフへのたわいのない悪戯、生意気な暴言などはかわいいほうだが、中には薬物の噂の絶えないタレントもいるのだ。 例えば、国民的な人気グループに所属しているメンバーのNは、収録中のハイテンションと、カメラが回ってない時のローテンションの差が前々から不自然だと噂されており、ほとんど睡眠をとらない今のスケジュールを維持するために、薬物を使用していると噂されている。確かに、必要以上なハイテンションのCMを見ると、薬でもキメているのではないかと疑ってしまう。 これまた同事務所の人気ユニットメンバーのTは、ややワイルドなやんちゃキャラが売り物だが、彼が怪しい巻き煙草をキメている写真が業界に流れ、騒然としたことは記憶に新しい。彼の周辺は、洋モクの巻き煙草に凝っているだけとのコメントを非公式に流しているが、共演者の大部分が彼の体から漂う甘い匂いに気がついている。つまり、麻薬特有の匂いである。彼は本当に麻薬に手を染めてないのだろうか。 かつては、自民党の大物代議士にケツ持ちをしてもらっていた某事務所だが、自民党政権が倒れた今、臭いモノに蓋をしてきたツケが出るのは間違いないと囁かれている。政権交代は、芸能界にも大きく影響を与えているのだ。
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芸能 2010年01月19日 11時16分
一躍注目浴びるTOSHIの妻とは
ロックバンド「X JAPAN」のTOSHI(44)が会見し、自己破産したことを明らかにした。自己啓発セミナーなどを手がける団体「ホームオブハート」から「莫大な税金と借金が課せられた」と説明。また「WANKU」の名で歌手活動中の香夫人(40)に対し離婚調停を申し立てたことも「ミクシィ」の日記で明かしている。香夫人は10年前からMASAYA氏(ホームオブハート主宰者)と那須で生活しているという。すでに夫婦生活は破たんしていたと語った。 そもそも香夫人とはどんな人物なのか。彼女は愛知県犬山市出身。1986年に松竹が主催する「ミス・レインボー」グランプリ受賞でデビュー。芸能事務所関係者によると「歌番組で3人の占い師に手相を見てもらった話が披露されたこともありました。当時からそっち方面の関心はあったのかもしれないですね」と声をひそめる。ただ、芸能界ではさほど目立った活躍はない。いわば売れないアイドルだった。そんな彼女に転機がおとずれたのは1993年。出演したロックオペラ「ハムレット」でTOSHIと出会い、1997年のバレンタインデーに結婚、その後はTOSHIの個人事務所を経営していた。 香夫人のブログには17日0時過ぎに『お詫び』とのタイトルで「ご心配をおかけいたしております…。本当に…申し訳ございません」との記事が掲載され、コメント欄には多くの激励の言葉が並ぶ。その12時間後に「いとしいお花畑」とのタイトルで再び更新され、自身の曲の歌詞とともに激励コメントへの感謝が書かれている。全面的にTOSHIの主張を否定する格好だ。 一連の騒動にはまだまだ不可解なことも多い。香夫人側が今後どう出るか注目だ。
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芸能 2010年01月19日 10時30分
X JAPAN・TOSHIとトム・クルーズに接点が浮上
X JAPANのボーカル・TOSHIが17日、都内の弁護士事務所で会見し改めて香夫人と離婚調停中であることや自己破産の申し立てを行ったことを報告した。 TOSHIによると、すべての収入は香夫人とともに参加していたMASAYA氏主宰の自己啓発セミナー団体の「ホームオブハート(以下HOH)」に流れていたという。同団体は多額の金銭を支払わされた被害者との民事訴訟も抱えているため、TOSHIは「困っている人にお金を返してあげてほしい」と訴えた。 会見中、TOSHIは一部で報じられた他の宗教団体との関わりについては、「1500%ない」と断言したが、かなり疑わしいという。 「昨年10月、TOSHIは都内でフランスのピアニストとともに講演とコンサートを行ったが、そのイベントの主催者は、トム・クルーズ、ジョン・トラボルタが信仰する宗教『サイエントロジー』の関連団体。そのころにはHOHと決別する意志を固めていたのでは」(週刊誌記者) 「サイエントロジー」とは教祖L・ロン・ハバード氏の教えを基に1954年に米・ロサンゼルスで設立。公称信者数は全世界で800万人と言われるが、違法な営利団体であるとの批判も根強いという。 「公表されているだけでも70以上あるカウンセリングコースを信者向けに開催。しかし、コースの全容やトータルでかかる費用、コース全体の修了に要する年月について明確に説明しないまま、高額を払わされる例が多くみられ、国内では1000万円以上払わされた人もいるという。フランスでは反セクト法による規制対象に定められている」(同) HOHでは広告塔として活動したせいで被害者を生んだTOSHIだが、たとえ宗旨替えしていたとしても、新たな被害者を生むことは避けてほしいものだ。
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スポーツ 2010年01月19日 01時00分
57歳の早すぎる死…小林繁氏を悼む
17日、福井市内の自宅にて、巨人・阪神のエースとして活躍した名投手・小林繁氏が、心筋梗塞による心不全で亡くなった。小林氏は福井市内の中学硬式野球チーム「オールスター福井」の総監督として、未来のプロ選手を育成する夢に燃えていた。 小林氏のキャリアを語る上でけっして外せないのが、言うまでもなく「空白の一日」を経た、江川卓氏との電撃トレードであろう。金子鋭コミッショナー(当時)が、「江川氏の入団が認められなければセ・リーグ脱退」を匂わせる巨人サイドの圧力に屈する形で、ドラフトで阪神に指名された江川氏の、トレードでの巨人入団を強固に後押し。小林氏が江川氏とのトレードを告げられたのは、春季キャンプに向かう空港でのことだった。 79年1月31日のその日から、小林氏と江川氏は数奇な運命に巻き込まれ、以降けっして交わることはないものの、お互いに酷似した現役生活を辿ることとなる。ともに肩痛が原因とはいえ、余力を残した印象を与えたまま、若くして引退した小林氏と江川氏。二人とも40歳までプレーし続けていれば軽く200勝はクリアできたろうが、納得いくピッチングができなくなったと自己判断した途端、記録への執着をまったく見せずに、あっという間に現役生活に見切りをつけた。その現役生活同様、いささか見切りの早すぎる死に様を見せた小林氏に、江川氏は何を思ったことか…。 巨人・阪神という二大人気球団でプロのキャリアを積み、いずれもエースとして獅子奮迅の活躍を見せた小林氏。周囲からのプレッシャーが他球団とは比較にならないほど甚大な両球団でトップを張り続けた経験を、今季より日本ハムの投手コーチ業で活かすはずであった。否、むしろその貴重な経験は、日本ハム球団はおろか、球界全体の財産となり得たであろう。早すぎた死が惜しまれる。
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社会 2010年01月18日 16時00分
男と女の官能事件簿 元彼との交際相手の親友を殺害したキャバクラ嬢(2)
それぞれの理由から精神的にすさんでいた香里と涼子さんは、睡眠薬や違法なドラッグなどの薬物に依存していく。 しかし、それによって2人はさらに荒れるようになり、友人関係がいっそう悪化していく。些細なことでも言い争いになったり、険悪な雰囲気が続いたりするようになっていく。香里が「クリスなんてやめよう」と言っても、それが原因でケンカになったりすることも少なくなかったらしい。 そうした状況で、香里は涼子さんから離れたがっていたとも見られている。だが、涼子さんのほうから「友達をやめたら、ただじゃおかない」などと脅されていたとも言われている。 事件後、香里は涼子さんを襲った動機として、「以前に交際していた男性と(涼子さんが)付き合っていたことが不愉快だった」と供述した。 しかし、それはきっかけのひとつに過ぎなかったのかもしれない。涼子さんは単に香里の元カレと、電話やメールのやり取りをしていただけとの見方も強い。 だが、事件が起きた頃には、2人の関係はかなり悪化していたため、その程度のことでも香里の神経を逆なでするには十分だった。 そこで事件前日、香里はその元カレに会って、「何で涼子と電話しているのよ」と問いつけたところ、これがもとで口論となる。これがストレスになってしまい、ヤケ酒をあおる有様だった。 その翌朝、偶然に出くわしたその元カレと、再び口論となってしまう。その直後、タクシーを拾うとそのまま涼子さんの実家へと向かった。まだ朝の6時である。 涼子さんの家では、母親が対応した。「涼子はまだ寝ている」と母親は断ったが、香里は無理やり家に上がりこんだ。そして、台所にあった包丁をつかむと、涼子さんの寝室に向かった。 部屋に入ると、涼子さんはまだ熟睡していた。香里は彼女を起こそうと頭や背中を何度もたたいてみたが、目を覚ます様子がまったくない。 香里は涼子さんが起きないことに苛立つとともに、彼女から受けた脅しや元カレとのことなどから、次第に怒りがこみ上げてきた。そして、寝ている涼子さんに馬乗りになると、手にしていた包丁を彼女の背中に思い切り突き刺した。 あわてて部屋に入ってきた父親に取り押さえられるまで、香里は十数回も涼子さんをメッタ刺しにし続けていた。かつての親友は、その時すでに亡くなっていた。(了)
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