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芸能 2016年03月07日 11時51分
R-1ぐらんぷり2016 ハリウッドザコシショウが頂点
ひとり芸No.1コンテスト『Cygames R-1ぐらんぷり2016』で頂点に君臨したのは、苦節24年目のハリウッドザコシショウだった。今年は、過去最多の3,786人がエントリー。優勝賞金は500万円で、副賞としてはニューカレドニア旅行と、関西テレビ・フジテレビ系の全国ネットの冠番組が与えられる。 “ルール無用のお笑い超人”のキャッチコピーが付けられたザコシショウは、Bブロックのトップバッターで登場。“誇張しすぎたものまね”や“やりつくされたものまねをあえてやる”シリーズで、スタジオの空気を瞬時に変え、すさまじい爆発力を見せた。ファイナルステージでは、Aブロックを制した小島よしお、Cブロックで勝ちあがったゆりやんレトリィバァと激突。森進一やSMAP・木村拓哉、長渕剛など誇張してマネ、圧倒的な大差をみせつけた。 振り返れば、ここまでの道のりは長かった。デビューは大阪の吉本興業で、02年あたりまでは「G☆MENS」というコンビを組んでいた。ところが、泣かず飛ばずのまま解散。得意だった絵を生かして漫画家を志したが、4コマ漫画を持ちこんだ出版社の編集者から、「4コマ漫画がこんなにつまらなかったことはないよ」と言われ、断念。ピン芸人に転向した。 ギャラが安いお笑いライブでは食っていけず、家賃が滞納。所属事務所(SMA)が運営するお笑いライブハウス・Beach vで生活した時期もあった。08年ごろ、コアな人気を誇っていたお笑い番組『あらびき団』(TBS系)でマニア受けして、プチブレイク。のちに結婚。しかし、番組終了と同時に再び仕事が減少し、42歳になった今も水道検針のアルバイトをやめられずにいる。 吉本時代の同期である陣内智則やケンドーコバヤシ、中川家がどんどん売れていくなか、およそ3年前から“R-1”で勝つためのネタづくりに変えていった。「3分の中でものまね3個くらい入れてたら受からなかったけど、ほかのコンテストを見たら、ボケをいっぱい入れ込んでたので、いっぱい入れた構成にしたんです」。できるものまねは、「2兆個(笑)」。今回は、持ち時間3分の1stステージで8個、最終決戦で6個のものまねを詰め込み、とにかく笑わせた。作戦だった。 「YouTubeとTwitterでものまねを上げてるんですけど、なぜやったかというと、今年の“R-1”予選を勝ちたいがため。世間の目をこっちに向けたかった。有吉(弘行)くんや宮迫(博之)さんがリツイートしてくれると、その画像に対して何千リツイートかあって、予選に来る人も俺のことを知らない方がいなくなった」。これも作戦だった。“R-1”の決勝者進出記者会見があった日からこの日までは、ひたすらエゴサーチ。自分がどう思われているかの情報を収集しまくった。昨年は白ブリーフでの出場だったが、今年は黒色に黒いテンガロンハットに変えたのも、メディア対策だった。 「昔は深夜番組で出オチだったり、ワンポイントでしか笑いが取れなかった。それじゃダメだと気づかせてくれたのが、“R-1”。こういう芸風だから獲れないと思ってたんですけど、今回突破できたので、芸人として成長できたんじゃないかなと思います」。 文字通りの大器晩成。ザコシショウは今年6月、双子のパパになる。(伊藤雅奈子)
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芸能 2016年03月07日 11時45分
安座間美優 美容の秘訣は「十割そば」
モデルの安座間美優が6日、東京・渋谷などを女性5000人が走るマラソンイベント「第6回渋谷・表参道 Women's Run」に合わせて行われたミネラルウォーター「エビアン」のPRイベントに出席した。 安座間は、ゴール地点となった、国立代々木競技場に設置されたエビアン特設ブースで女性ランナーたちに拍手などを送り応援し、完走者に「おめでとうございます」と笑顔で声をかけるなど、会場を盛り上げた。 イベント後に行われた会見では、美容の秘訣についての質問を受け「グルテンフリーにこだわっているので、最近、十割そばを家で作るようになった」とコメント。また、運動でも健康を保っているそうで「私の場合、日焼け対策も必要なので、長袖、レギンス、首に巻くものは必ず身に着けます」と語った。 ちなみに運動する際の格好については「女性はピンクのスポーツウエアがいいですよね」と話していた。(雅楽次郎)
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芸能 2016年03月07日 11時38分
R-1ぐらんぷり2016 チャレンジャー枠も激戦だった!
きのう6日に開催された『Cygames R-1ぐらんぷり2016』には、過去最多となる3,786人がエントリー。19時開始の決勝戦に先駆けて、同日14時半からは、東京・時事通信ホールで「復活ステージ」が実施された。準決勝で惜しくも敗退した33組が、決勝戦のA、B、Cの各ブロックの最後のチャレンジャー枠に入るため、持ち時間3分でしのぎを削った。 最初のブロックで場内温度を一気に高めたのは、サンシャイン池崎。浸透しつつあるハイテンション漫談で心理テストを行い、自慢の「イエーイ!」を叫びまくった。続くブロックで爆発したのは、“マセキ芸能社の最終兵器”ルシファー吉岡。スキンヘッドの怪しげな吉岡は、14年に開催された『第5回 あなたが選ぶ! お笑いハーベスト大賞 〜出てこい! 未来のレジェンド芸人〜』で優勝して、業界が大注目。その腕前は折り紙つきだったが、今回は、男性の下半身に特化したギリギリのネタで、満場の客を沸かせた。観客の平均年齢がやや高めだった運も、味方に付けた格好だ。 3つめのブロックでは、12年度の覇者である三浦マイルドが登場。医者とアウトロー、プロ野球の監督とコンビニ店員、塾の先生と闇金融業などを例に挙げ、“どっちも言いそう”なセリフをテンポよく話した。このブロックには、藤崎マーケットのトキも登場しており、相方の田崎ともに藤崎は、コンビ芸人で唯一一緒にこの舞台を踏んでいる。昨年末は、漫才日本一決定戦“キングオブコント”でも決勝戦にたどりついたふたり。一発屋芸人と呼ばせない執念みなぎる好結果だ。 終盤になるにつれて混戦の様相を呈し、全裸芸人のアキラ100%が異常な注目を浴び、決勝戦の常連となっているヒューマン中村が安定感を誇示。昨年、「復活ステージ」から決勝戦に勝ちあがったマツモトクラブや、すでに知名度抜群のあばれる君、永野らもウケた。 当日の観客と審査員によって投票され、上位3人が夢の晴れ舞台に進出できる。結果、マツモト、ルシファー、サンシャイン(上位順)がその片道切符を手にして、フジテレビ系のステージに立った。(伊藤雅奈子)
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芸能 2016年03月07日 11時28分
映画「星ガ丘ワンダーランド」 佐々木希と木村佳乃が丸裸!?
映画「星ガ丘ワンダーランド」の初日舞台挨拶が5日、東京・新宿バルト9で行われ、主演の中村倫也はじめ佐々木希、市原隼人、木村佳乃、柳沢翔監督らが出席した。 同作品はとある田舎町にできた遊園地の繁栄と衰退をベースに突然母を失った2人の兄弟と、突然に母がやってきた2人の姉弟、そして美しい母をめぐる彼らの人生をファンタジックかつ美しい映像で紡いだ心温まるストーリー。 佐々木は主演を務める中村との共演について聞かれると「何度も共演している頼れる先輩です。安心して飛びこめるというのはこういう事なんだなと改めて強く思いました。スタッフ、キャストへの気の配り方なども勉強になりました」とコメント。 絶賛された中村は「チーム真ん中の柱なので自分と自分の周りにいる人たちが皆充実して笑いながらやれたら良いなと思いました」と話した。 この映画のテーマになっている落し物にちなみ人生最大の落し物、忘れ物について問われた佐々木は「親戚の叔父さんにお小遣いを頂き、そのお金でサイフを買いました。その後にトイレに行きサイフを忘れてすぐに取りに行きましたがありませんでした。悲しかったです」と今思い出しても悲しいという思い出話を披露。 最後の挨拶で中村は「皆さんに胸を張ってお見せ出来る映画が出来ました」と自信の発言。続いて「僕もそうですが、佐々木希や木村佳乃の丸裸が映画に出ていると思います」とドッキリ発言に後ろにいた佐々木は中村の背中を叩き赤面。 映画『星ガ丘ワンダーランド』は全国公開中
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アイドル 2016年03月07日 11時10分
AKB48グループ 岩手で復興支援ライブ
AKB48グループは、「誰かのために」プロジェクトの一環として、3月6日(日)、岩手県民会館でコンサートを行った。 6日(日)、岩手県盛岡市にある岩手県民会館大ホールで、AKB48グループ計26名のメンバーによる復興支援ライブを行った。招待した地元の方や、各地から訪れた約1,500人のファンと楽しいひとときを共にした。会場ロビーには山田町のジオラマやAKB48の被災地訪問のポスター、写真などが展示され、ライブ前にはこれまでの被災地訪問活動5年の歴史として映像VTRが上映されるなど、開演前から様々な催しを準備。また、地元で活動している二人組アイドル「石巻ミルキーガール」が前座で登場したり、岩手県のゆるキャラ「わんこ兄弟」、仙台から「青空応援団」も参加。一緒にライブを盛り上げていた。 また、3月11日当日は、AKB48、SKE48、NMB48、HKT48、NGT48 各劇場での復興支援特別公演を行う。詳細は後日発表予定。
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芸能 2016年03月07日 11時08分
山寺宏一が「おはスタ」を卒業「最高に幸せな時間でした」
声優でタレントの山寺宏一が1997年から務めているテレビ東京の子ども向けバラエティー番組「おはスタ」の司会を卒業することが分かった。7日の番組で発表された。 「超重大発表」として、4月から番組を「大リニューアル」することが発表され、さらに、1997年10月の番組スタート当初から18年半に渡ってMCを務めた「やまちゃん」こと山寺が番組を卒業することが明らかにされた。山寺は、「全国の小学生と同じ時間を生放送で共有できるということが本当にやまちゃんにとっては最高に幸せな時間でした」と語った。
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レジャー 2016年03月07日 09時00分
【第53回弥生賞】マカヒキ無傷の3連勝
競馬の皐月賞トライアル「第53回弥生賞」(GII・芝2000メートル、6日中山競馬12頭)は、ルメール騎手のマカヒキ(56キロ、2番人気)が、最後の直線で先頭に立った断然人気のリオンディーズをゴール寸前でクビ差交わして優勝。無傷の3連勝で初重賞制覇を達成。本番に向けて大きく弾みを付けた。1分59秒9。3着エアスピネル(56キロ武豊騎手、3番人気)2馬身。以上の3頭が皐月賞優先出走権を獲得した。 マカヒキは父ディープインパクト、母ウィキウィキの牡3歳馬(鹿毛)。馬主は金子真人ホールディングス(株)。戦績=3戦3勝。主な勝ち鞍=重賞初勝利。ルメール騎手、友道康夫調教師とも初勝利。「配当」単勝(11)260円複勝(11)110円(10)110円(4)110円枠連(7)(8)220円ワイド(10)(11)120円(4)(11)160円(4)(10)130円馬連(10)(11)220円馬単(11)(10)440円3連複(4)(10)(11)190円3連単(11)(10)(4)830円*レース結果については、必ずJRA公式発表でご確認ください。
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スポーツ 2016年03月06日 13時00分
新日本の育成プロジェクト『LION'S GATE』を紐解く4つのワード
「他団体選手の招聘を含めて、ファーム(2軍)のようなモノを作りたい。イメージ的には小さな興行をやっていくと考えてもらってもいい。ファームの所属選手や、いろんな他団体を含めたトライアル、負傷欠場していた選手の再チャレンジの場所だったり、いろんなモノを試す場になればいいと思うし、いまの新日本は非常にレベルが高いリングなので、いきなりは上がれない場合もある。国内でこういう場が少なくなっているので、トライアル、チャレンジの場を作っていきたい」 昨年7月に行われた新日本プロレスの戦略発表会で、木谷高明オーナーはこのように「ライオンズゲート計画」をブチ上げた。その第1弾となる「LION'S GATE PROJECT 1」が先月25日に新宿FACEで開催され、467人(超満員札止め)のファンを動員。通常興行に比べて、チケット料金は安く設定され、逆に試合数は9試合と多く組まれたが、どの試合も内容が素晴らしく順調な船出を飾ったと言っていいだろう。次回大会も5月19日に同所で開催されることが会場で発表された。 これまでも新日本は「夢☆勝ちます」「ライオンズロード」「NEVER」などヤングライオン(新日本に所属している若手選手)はもちろんのこと、他団体やフリーの若手選手にも門戸を開放して育成を目的とした興行を開催してきたが、ブシロード体制になってからは初の試みとなる。今回のプロジェクトは“ファーム(2軍)”“所属選手”“他団体”“再チャレンジ”という4つのワードがポイントと言えそうだ。第1回大会では、それらを紐解く要素がたくさん散りばめられていた。 第1試合前には、アマレスの育成チーム「ブシロードクラブ」からプロレスデビューに向けて歩み始めた岡倫之と北村克哉が、レスリングのエキシビションマッチを行った。両選手ともにレスリング元全日本王者の実績を持っており、2人のヘビー級選手にも見劣らない肉体と潜在能力の高さを見たファンからは、即戦力として期待する声が数多く上がっていた。この試合でレフェリーを務めたのは、自身もアマレスの育成チーム(当時新日本が設けていた「闘魂クラブ」)からデビューした永田裕志。永田は「LION'S GATE PROJECT」のプロデューサー的な役割も担っている。 「この2人の潜在能力を、皆さん見ていただけましたでしょうか? 2月から新日本プロレスの道場に入って、目下、猛トレーニングをやっている最中であります。いずれこの『LION'S GATE』の舞台で2人はデビューすることになりますので、皆さん、その時までご声援よろしくお願いします」 試合後にマイクを持ち、岡と北村のデビューの場が通常興行ではなく『LION'S GATE』であることを明らかにした永田。興行終了後に改めて2人のデビュー時期について聞かれるとこう語った。 「僕は入門して4か月だったので、そういうの考えたら、どんどん早くていいんじゃないですかね。中西(学)さんなんて1か月半ですから。なんにもできないのに、急遽抜擢されて。受け身もできないのに、それでも壊れずにシリーズを完走しちゃった。(スコット・)ノートンやトニー・ホームやバンバン・ビガロとやっても(笑)。そういう怪物性が北村や岡にもある気はする。ただ、受け身とか最低限のものは覚えてくれないと、人材を壊すことになるので、習得すべきことは早く習得させたいですね」 “青い目のヤングライオン”ジェイ・ホワイトに胸を貸したプロレスリング・ノアの小川良成は、試合後にこんなコメントを残した。 「俺が新日本に上がるなんて想像もできなかったので、ちょっといい刺激をもらいました」 試合前にはノア期待の新人、清宮海斗と対戦する田口隆祐に小川が「しょっぱいから厳しくやってくれ」と話していたことも、田口のコメントから明らかになっている。 第1回大会は全試合で新日本vsノアというカードが組まれ、リングアナやレフェリーも両団体からそれぞれ務めた。第1試合では本城匠のデビュー戦の相手を“他団体”のマイバッハ谷口が務めたというのも異例である。現在のノアは昨年より新日本から乗り込んで来た鈴木軍と激しい抗争を繰り広げており、前日の後楽園大会で鈴木みのるに勝利し、杉浦貴が持つGHCヘビー級王座への挑戦権を獲得した中嶋勝彦は、鈴木に破壊された右腕の怪我を押しながらもガチガチにテーピングをして強行出場。ジュース・ロビンソンと今大会ベストバウト級の試合を行った。 「いつもの緑のマットとは違う熱が、ここにはあると思う。ぜひ2回目も開催してほしいですね。価値のある刺激が、このマットにあると思います。ノアも負けてられない」 試合後の中嶋はロビンソンとの対戦を振り返った後に『LION'S GATE』の継続開催を提唱した。中嶋に限らず、若手選手に胸を貸した両団体のトップ選手は新人選手との闘いを純粋に楽しんでいるように見えた。カード的には新日本vsノアという図式であるにもかかわらず、対抗戦というムードはなく、出場選手たちが団体の枠を超えてこのプロジェクトの趣旨を理解した上で試合に臨んだことが、大会を成功に導いた大きな要因ではないだろうか。 「試合の前の日、当日の朝までずっと、俺は『LION'S GATE』で何が必要か考えて、答えが出ないまま大会を迎えた。それで第1試合からずっと観てたら、ひたむきさとかがむしゃらとか、俺がとっくの昔に忘れてしまったこと、それを若い選手が見せてくれた。これが今日のテーマなんだって改めて思い知った」 これは天山広吉とのテンコジタッグで、平柳玄藩&キャプテン・ノアと対戦した小島聡のコメント。全9試合の中でこの試合だけチャレンジマッチという形ではなかったため、小島は試合直前まで己のテーマを見出すのに苦労したようだ。永田、中西とともに第3世代のテンコジだが、かつて開催されていた「夢☆勝ちます」には、彼らもヤングライオン時代にチャレンジする立場で出場している。通常興行でなかなかアピールする場がない第3世代にとって、『LION'S GATE』はあの頃とは違う意味で“再チャレンジ”できるチャンスなのだ。 「これから若い人材を、いろんなところから引っ張ってきたいと思います。最後は僕を打ち破って、若い選手が勝つのがいいんじゃないかと。ただ、僕の壁を打ち破るのは相当厳しいので、そこは覚悟しないとダメ」 メインでノアの北宮光洋と対戦した永田は、第1回大会をこのように総括した。永田としては、団体を問わず胸を貸すことに関して「いろんな選手とやるのはやぶさかではない」という。普段交わることがない他団体の若手選手にとって、永田を筆頭とする経験豊富な新日本の第3世代と対戦できることは財産であり、まさに第3世代の存在が『LION'S GATE』の価値を高めていくことになる。 興行面においてはプロ野球のファームのように、いずれは通常興行の日程に関係なく別動隊として『LION'S GATE』を開催していくのがベストだろう。新日本の大会が開催されている会場から離れていれば、同日開催でも問題ないだろうし、年に数回、後楽園ホールで“親子”興行を昼夜で開催しても面白い。『LION'S GATE』には、選手の育成に加えて、プロレス人口を増やすために小規模な地方会場でのシリーズ開催など、フットワークの軽さも期待したい。(増田晋侍)<リアルライブ・コラム連載「新日Times」VOL.8>
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アイドル 2016年03月06日 12時00分
AKB48メンバー 卒業後の進路は十人十色
初代総監督にして不動のリーダー、AKB48・高橋みなみの卒業がいよいよ間近に迫ってきた。2005年10月30日、24名のオーディション合格者を発表して以来、アイドル史上に例のないほどの人数が所属し、数えきれないほどのメンバーが卒業していったAKB48。グループ卒業後も続く、一人ひとりの人生。その道程も、一人ひとりさまざまだ。「元AKB」は今、どのような道を歩んでいるのか。主要メンバーの「その後」を振り返ってみよう。 AKB48初の卒業者は、創設メンバーのひとりでもある宇佐美友紀。秋葉原AKB劇場で初公演を行った2005年12月8日から翌年の3月31日まで、活動期間は4か月弱と短いものだった。アナウンサー専門学校在学中にアナウンサーやキャスター、リポーターなどを経験し、AKBのオーディションも「MC志望」で応募した宇佐美。グループでは最年長で、メンバーから頼られる存在だったが、「やっぱり、喋る仕事がしたい」と卒業を決意。アイドルとしては早過ぎる卒業だったかもしれないが、現在、イベントMCやTVリポーター、ラジオパーソナリティーなどで活躍する彼女を見る限り、早めに方向転換できたことは正解だったように思える。 ただ、すべての元AKBが、宇佐美のように目指していた道で活動していけるわけではない。アイドルが卒業後に、もしくは脱アイドル後に進む進路としては、やはり「女優」が最も一般的だろうか。AKBでも女優に転身する者は多い。しかし、華々しい活躍をしている者は決して多くはない。 AKBに限らず、アイドルが女優に転身する際の障壁となるのが、2つの“目”だ。固定観念と言い換えてもいい。ひとつは、業界や世間の目。アイドルとして名声を得た者ほど、卒業後、常に「元アイドル」という肩書きがついてまわる。その先入観が邪魔をして、演技に対する正当な評価が得られないことは多々ある。 もうひとつの障壁となる“目”は、意外かもしれないが、ファンの目だ。本来、卒業後のアイドルを支えていくべき存在なのだが、新たな道が必ずしもファンのニーズと一致するわけではない。新しい活動スタイルを受け入れられずに興味を失ってしまう者や、なかには、逆に“アンチ”へと回ってしまう者も。そんななかでは、前田敦子や大島優子など、かつてのトップメンバーはドラマに映画にと相応の結果を出している。特に大島は、卒業の年に出演した映画『紙の月』で、第38回日本アカデミー賞優秀助演女優など各賞を受賞。翌年には、『銭の戦争』(フジテレビ系)で連ドラ初ヒロイン、『ヤメゴク 〜ヤクザやめて頂きます〜』(TBS系)で連ドラ初主演。同年の秋には、稲垣吾郎主演『No.9 -不滅の旋律-』で本格的な舞台への初出演。また、現在放送中のNHK連続テレビ小説『あさが来た』にも、のちの「平塚らいてう」役で出演することが発表されたばかりだ。 もともと、演技だけでなくバラエティー的センスにも長けている大島は、番宣などでテレビ出演した際の立ち回りが上手く、一般層の好感度も着実に上げている。その証拠に、卒業後のCM出演数は元AKBでは群を抜いており、マイナビニュースが行った「AKB48卒業メンバーで最も活躍しているのは?」というアンケートでも断トツの1位だ。 大島優子や前田敦子の活躍には、AKB時代に手にした知名度が大きなプラスとなっているのは言うまでもない。在籍時、大島・前田ほどの人気や知名度はなかったものの、卒業後はドラマ、映画、舞台にコンスタントに出演し、「勉強熱心で存在感がある」と業界内での評価を上げているのが秋元才加だ。 最近では、15年8月に卒業した川栄李奈の活躍ぶりが著しい。特に、主演を務めた舞台『AZUMI 幕末編』では、激しいアクションも堂々とこなし、周囲の予想を大きく上回る好評を得ている。4月からスタートするNHKの朝ドラ『とと姉ちゃん』や秋公開の映画『デスノート2016』など、話題作への出演も次々に決まり、卒業によってステップアップを果たしたメンバーと言えそうだ。 アイドルにとって、最も経験値が高いはずの「歌手」の道は、女優以上に険しいのが実情だ。AKBでは、板野友美が在籍中から引き続きソロ歌手として活動しているが、卒業後にリリースしたシングル3枚ではオリコン3位、6位、6位と芳しい成績は残せていない。この結果も女優と同じように、AKB時代のファンが求める「板野友美」とのズレが要因のひとつと言えるだろう。 そういった意味では、今年1月の卒業発表時に「演歌一本でやっていく」と宣言した岩佐美咲のように、あえてアイドル色を払拭するのも長く生き残っていくためには、ひとつの手かもしれない。11年、演歌に強い老舗芸能事務所に移籍したことも、卒業後の進路に大きな影響を与えているだろう。演歌歌手へと転身し成功した元アイドルには、長山洋子、城之内早苗などがいる。 バラエティータレントという方向性も“ありがち”ではあるが、単なるお飾りではなく、大島麻衣のように数本のレギュラーを持つ売れっ子となるのは容易ではない。SDNではキャプテンを務めていた野呂佳代が、今、バラエティーで再ブレイクを果たしているのも、ダチョウ倶楽部・上島竜兵とのキスネタをこなすなど、アイドルとしての過去を捨てるぐらいの気概があればこそだ。 なにも芸能界に縛られる必要はない。「元AKB」というブランドを巧みに活用し、「実業家」として成功している例もある。卒業後、アパレル会社やネイル・エステサロンの経営で大成功。そのプロフィールのおかげで、在籍時よりもタレントとしての活躍が増えている川崎希。第1回じゃんけん大会でセンターポジションを勝ち獲った内田眞由美は、在籍時にオープンさせた焼肉店のオーナー業に力を入れている。 趣味や特技を生かし、転身を成功させたメンバーも。AKBのオープニングメンバーであり、SDNにも所属した戸島花は、人気マンガ『ヒカルの碁』の影響ではじめた趣味の囲碁を生かし、囲碁番組の司会、日本棋院の囲碁大使、囲碁雑誌での連載など、「囲碁タレント」として活躍中。日本国憲法の暗唱を特技とし、憲法の入門書を共著で出版した「憲法アイドル」の内山奈月も、アイドル以外の道を選んだようだ。 12年、インドネシアのジャカルタを拠点とする姉妹グループJKT48に移籍し、今年2月27日に年内卒業を発表した仲川遥香。彼女が選んだ「その後」も異色だ。普通ならば、JKT卒業後はファンの待つ日本へ飛んで帰り、再びAKBとして活動したいと思いそうなものだ。しかし、あえて日本には戻らず、幅広く海外で活動していくという。現地では、出演CM約30本、テレビのレギュラー番組も持つほどの売れっ子だったようだが、それでも日本に戻らないという選択は勇気のいる決断だったろう。 姉妹グループも含めれば、今後卒業を予定しているメンバーは、すでに発表されているだけでも14名。卒業ラッシュはまだまだ続きそうな気配だ。高橋みなみをはじめ、それぞれがどのような道へと進んでいくのか。もちろん、芸能や実業での成功を目指すだけでなく、学業に専念し、社会常識を身につけ、ごく普通の女性として幸せをつかむという道も、おおいに有りだ。【リアルライブ・コラム連載「アイドル超理論」第18回】
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その他 2016年03月06日 11時00分
【幻の兵器】敗戦までに完成は3隻…「潜高型(せんたかがた)」実戦にも参加できなかった原因
第二次世界大戦前から大戦前半まで、潜水艦の水中速力は各国とも7〜9ノット程度で、それ以上の水中速力を発揮する潜水艦は非常に限られた存在だった。また、水中の潜水艦は水上航行中に充電した蓄電池の電力で電動機(モーター)を動かし、さらに電動機がスクリューを動かすのだが、蓄電池の電力は限られているため最大速力で水中航行を持続させることも非常に困難だった。もちろん、たとえ電力が残っていても艦内酸素が欠乏すれば乗員の行動に支障をきたすため、潜水艦といえども作戦行動の大半は通常動力で航行可能な水上で実施しており、特に反撃の可能性が少ない通商破壊戦においてはその傾向が強かった。 だが、潜水艦を通商破壊兵器とみなしていた諸外国と異なり、日本海軍は潜水艦を艦隊決戦時の補助戦力とみなしていた。とはいえ、同時に日本海軍は太平洋戦争開戦前の各種演習における結果から、潜水艦による敵主力艦隊への追尾や攻撃が極めて困難なことも実証的に理解していた。すでに演習では、日本海軍の敵主力艦隊を目標とする潜水艦戦術そのものに対する批判的初見さえ見受けられたのだが、現場の部隊においては「困難であっても各人が工夫して任務を完遂」するという決意で問題を克服することとなっていた。 というのも、有力な敵艦隊に対する水中襲撃を可能とすべく水中高速潜水艦の研究に着手しており、太平洋戦争前には七一号艦と呼ばれる実験艦を計画して様々な試験を行っている。この七一号艦は基地防衛用の小型潜水艦という建前で極秘に建造され、当時としては画期的な21ノットもの水中速力を発揮したが、実用性に問題があったことなどから実験のみに留まったという経緯があり、日本海軍は根本的な解決方法を見いだせなかったのだ。その後、水中高速潜水艦の研究は停滞したうえに、対米開戦が必至となったことから、必然的に通常型潜水艦の整備が優先されていった。 ところが、ソロモン方面において日本海軍の潜水艦はたびたび米空母機動部隊を捕捉しているものの、水中速力の不足等から攻撃に失敗しており、連合艦隊においても問題視されていた(注1)。そのため、軍令部は1943年に水中高速潜水艦の設計を要求し、潜高型(せんたかがた)という名称で建造を決定した。資料によっては、当初は25ノットの水中速力が要求されたが、計画を具体化する過程で計画水中速力は20ノットに減じたとしている。計画速力の低下を招いた原因は、減速ギアが大きな騒音を発したために電動機と推進器を直結したこととされているが、開発の詳細については不明点も多く、さらなる研究が必要だろう。 訓練や実戦において得られた教訓から、潜高型は七一号艦や甲標的(洋上で母艦より発進して敵主力艦隊を襲撃する水中高速潜水艇)の経験を踏まえて開発され、高速航行中の敵艦隊への肉迫攻撃を目的としていた。また、後述するように潜高型は水中充電装置や水中巡航用の補助電動機を備えておらず、艦内容積が小さくて酸素の絶対量が少ないこととあいまって、長時間の水中航行にはあまり向いていない構造だった。 その他、後述するような事情で変更されたものの上甲板を鉄製とするなど、艦橋を始めとする構造物を可能な限り滑らかにした上、潜航中は対空機銃も船体に格納するなどして水中速力の向上に努めた。とはいえ、艤装(ぎそう)員長が回想しているところでは鉄製の上甲板が急速潜航時に残存空気の排出時間が予想を上回ったため、速力の低下をしのんで木製甲板にしたとある。その上、完成後にいわゆるシュノーケルのような水中充電装置(航走中は充電できないが、停止状態なら水中でも充電可能となる装置)を追加装備するなどしたため、最終的な最大水中速力は17ノットにまで低下している。 加えて、潜高型の航続距離は各種伊号潜水艦の2割から3割程度で、中型潜水艦と同程度しかない。このことから、例えば南洋諸島の基地近海で敵艦隊を迎撃するような開発意図を持っていたと推測されており、少なくとも通商破壊作戦には全く不向きであることは明らかだった。 ともあれ、以上のように潜高型は甲標的の拡大型ともいえる構造で、極短期間に設計を完了している。早くも1944年には呉工厰で起工し、戦況が緊迫の度合を高めていく中で建造工事そのものは急ピッチで進み、翌45年には竣工している。同じく戦時下で急増された丙型や乙型潜水艦の建造期間は概ね18か月前後かかっていたが、潜高型は電気溶接とブロック工法を全面的に採用したことから大幅に建造期間を圧縮した。さらに、潜高型に大きな期待を寄せていた軍令部は20隻もの同型艦を追加建造することとしているが、敗戦までに起工したのは8隻に過ぎず、完成したのはわずか3隻で実戦にも参加できなかった。 大きな期待を寄せられていた潜高型ではあったが、実際に運用してみると様々な技術的トラブルが頻発してしまい、実用兵器として実戦に投入するどころではなかった。具体的には主機であるマ式一号ディーゼル機関の不調と水中安定性の不足、充電能力の不足、蓄電池の過熱や整備困難、また電池耐久力の不足など、いずれも潜水艦としては致命的な問題ばかりだった。中でも深刻だったのは蓄電池に関連する様々な問題で、電池の不具合によって潜高型は実用性を大きく損ねてしまったのである。 水中で高速力を発揮するためには大容量蓄電池が不可欠だったのだが、当時は手頃な大きさの大容量電池が存在していなかったのである。蓄電池の研究開発は横須賀工廠電池実験部と民間の湯浅蓄電池製造株式会社、日本電池株式会社が行っていたのだが、新規に大容量蓄電池の開発を行う余裕はないと判断され、甲標的に搭載していた超大容量蓄電池を流用することとなったのである。 しかし、甲標的用電池の搭載にはいささか無理があり、実に2068器もの蓄電池36群にわけて並列装備した上、艦内容積の関係から積み重ねたために温度差が生じて維持管理に莫大な手間がかかった。そればかりか、耐久力が小さいため再充電回数が限られており、実用性には非常に大きな問題があったのである。その他、潜高型は巡航用の電動機を備えておらず、常に主電動機を使用しなければならないという問題も抱えていた。また、前述の様に竣工当初の潜高型は水中充電装置を備えておらず、艦内容積が小さいこととあいまって、実際の水中行動時間は伊号潜水艦よりも短かったと推定される。最終的に、これらの問題点が解決されなかった事が潜高型の実用化を阻んだといえ、もし多数の同型艦が建造、配備されていても、連合軍の対潜能力が向上した第二次世界大戦末期においては、兵器として有効に活躍することはできなかったのではないだろうか。 ただし七一号艦の段階で日本海軍が水中高速艦の有効性に気づき、たとえ少数でも開戦時に実用段階の潜高型を保有、配備していたなら情況はかなり異なっていただろう。確かに蓄電池をはじめとする様々な問題はあるものの、基本的に潜高型は開戦当時の技術水準で実用化可能な兵器であり、ソロモン方面で史実より1隻でも多くのアメリカ空母が失われていたなら、連合軍は間違いなく極めて困難な事態に直面していただろう。(隔週日曜日に掲載) (注1):連合艦隊参謀長宇垣纏中将の日記である戦藻録には、昭和17年8月30日付けで以下のような記述がある(要点のみ)。前略〜物を見る事之にて十回めと云ふに何等実撃を加へざるは惜しき哉。潜水艦は通商破壊と諜報機関以外に価値無きものと識者の言うも宜なりと感ぜらるる。其の鼻をあかすの為にも一撃をこそ望ましけれ。〜後略 ■潜高型(せんたかがた)データ水上排水量:1070トン水中排水量:1450トン全長:70メートル最大幅:5.8メートル機関:マ式一号ディーゼル2基、2軸水上出力:2750馬力水中出力:5000馬力水上速力:15.8ノット水中速力:19ノット航続距離(水上):14ノットで5800海里航続距離(水中):3ノットで135海里安全潜航深度:110メートル兵装:魚雷発射管4門(魚雷10本)25ミリ機銃2門
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