“ルール無用のお笑い超人”のキャッチコピーが付けられたザコシショウは、Bブロックのトップバッターで登場。“誇張しすぎたものまね”や“やりつくされたものまねをあえてやる”シリーズで、スタジオの空気を瞬時に変え、すさまじい爆発力を見せた。ファイナルステージでは、Aブロックを制した小島よしお、Cブロックで勝ちあがったゆりやんレトリィバァと激突。森進一やSMAP・木村拓哉、長渕剛など誇張してマネ、圧倒的な大差をみせつけた。
振り返れば、ここまでの道のりは長かった。デビューは大阪の吉本興業で、02年あたりまでは「G☆MENS」というコンビを組んでいた。ところが、泣かず飛ばずのまま解散。得意だった絵を生かして漫画家を志したが、4コマ漫画を持ちこんだ出版社の編集者から、「4コマ漫画がこんなにつまらなかったことはないよ」と言われ、断念。ピン芸人に転向した。
ギャラが安いお笑いライブでは食っていけず、家賃が滞納。所属事務所(SMA)が運営するお笑いライブハウス・Beach vで生活した時期もあった。08年ごろ、コアな人気を誇っていたお笑い番組『あらびき団』(TBS系)でマニア受けして、プチブレイク。のちに結婚。しかし、番組終了と同時に再び仕事が減少し、42歳になった今も水道検針のアルバイトをやめられずにいる。
吉本時代の同期である陣内智則やケンドーコバヤシ、中川家がどんどん売れていくなか、およそ3年前から“R-1”で勝つためのネタづくりに変えていった。「3分の中でものまね3個くらい入れてたら受からなかったけど、ほかのコンテストを見たら、ボケをいっぱい入れ込んでたので、いっぱい入れた構成にしたんです」。できるものまねは、「2兆個(笑)」。今回は、持ち時間3分の1stステージで8個、最終決戦で6個のものまねを詰め込み、とにかく笑わせた。作戦だった。
「YouTubeとTwitterでものまねを上げてるんですけど、なぜやったかというと、今年の“R-1”予選を勝ちたいがため。世間の目をこっちに向けたかった。有吉(弘行)くんや宮迫(博之)さんがリツイートしてくれると、その画像に対して何千リツイートかあって、予選に来る人も俺のことを知らない方がいなくなった」。これも作戦だった。“R-1”の決勝者進出記者会見があった日からこの日までは、ひたすらエゴサーチ。自分がどう思われているかの情報を収集しまくった。昨年は白ブリーフでの出場だったが、今年は黒色に黒いテンガロンハットに変えたのも、メディア対策だった。
「昔は深夜番組で出オチだったり、ワンポイントでしか笑いが取れなかった。それじゃダメだと気づかせてくれたのが、“R-1”。こういう芸風だから獲れないと思ってたんですけど、今回突破できたので、芸人として成長できたんじゃないかなと思います」。
文字通りの大器晩成。ザコシショウは今年6月、双子のパパになる。(伊藤雅奈子)