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芸能ニュース 2015年04月15日 12時40分
休業状態の香里奈の姉に熱愛報道
女優の香里奈の姉で、モデルで女優の能世あんなが9歳年下の俳優・平野勇樹と半同棲中であることを、発売中の「週刊女性」(主婦と生活社)が報じている。 能世は13年6月に5歳年上の俳優・重松隆志と結婚したが、昨年5月に離婚。同誌によると、能世は離婚から2か月後に出演した舞台で平野と共演。平野は脚本家の倉本聰氏が開設した「富良野塾」の卒業生とあって、演技力が高く、舞台の主演だった能世が熱心に演技の相談をするうちにひかれ合い交際に発展。 今年2月末から平野の自宅で半同棲状態で、能世は周囲に「すごくしっかりしていて、頼りがある」とおのろけ。一方、平野は周囲に「結婚するつもり」と話しているというのだ。 「前の夫の重松とは10年間の交際を経て結婚したが、わずか11か月で離婚。もともと、結婚生活には向いていなかったようだが、平野とは半同棲して様子を見ることにしたのでは。とはいえ、香里奈の姉でなかったら、まったく話題にならなかっただろう」(芸能記者) 幸せな姉をよそに、香里奈はすっかり表舞台から消えてしまった。 「昨年春、ハワイに語学留学中に知り合った台湾人の男性との交際が発覚。そこまでは良かったのだが、その男性と一緒だったパーティーで泥酔し“ご開帳”して眠り込んでいた“ベッド写真”を一部に掲載され、仕事のオファーがまったく入らなくなり、今や、キャスティングの会議でも名前があがらなくなってしまった」(テレビ関係者) 2月下旬には、都内で行われたファッションショーに出演。久々に公の場に姿を見せたがほとんど話題にならず。所属事務所のHPを見てもスケジュールは白紙の状態だ。 「事務所の幹部は『語学留学なんかさせなければ…』と嘆いていたようだが後の祭り。本人が海外でハメを外し過ぎたのがそもそもの原因なのだから仕方ない」(同) プライベートは順調な能世だが、妹・香里奈の今後を案じているに違いない。
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社会 2015年04月15日 12時15分
産経新聞社・加藤達也前ソウル支局長が帰国
14日、羽田空港国際線ターミナルの到着ゲートは、モデルのミランダ・カーが、来日するのを見ようとファン300人が詰めかけていた。そんな中、ミランダ・カーが到着する1時間ほど前、到着ゲート前では、別の人物を待つ取材陣の列があった。 その報道陣の目的は韓国・朴槿恵大統領の名誉毀損したとして在宅起訴された産経新聞社・加藤達也前ソウル支局長。韓国フェリー転覆事故の当日に朴槿恵大統領が、補佐官と密会したという朝鮮日報等の報道を、WEBニュースに掲載した事により、韓国検察が昨年8月に加藤氏に対し、大統領の名誉を毀損したとして在宅起訴し、出国禁止処分となった。出国禁止処分は、繰り返し延長されたが、4月15日の期限を延長する手続きが行われず、8か月ぶりの帰国となった。 到着ゲートから出てきた加藤氏は、今の心境を「ほっとしている」と時折笑みを浮かべながら答えていた。また、「帰れないという事は、とても厳しいものがあった」と出国禁止中の辛さを吐露していた。
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芸能ネタ 2015年04月15日 12時00分
吉高由里子 ラブラブ恋人と破局で傷心の芸能界電撃引退説
最近、芸能界に静かに広まりつつあるのが国民的女優に成長した吉高由里子(26)の電撃引退説だ。春以降に芸能界休業を発表し、そのままひっそり引退してしまう衝撃プランが密かに練られているという。 昨年の吉高といえば、NHK朝の連続テレビ小説『花子とアン』でヒロインに抜擢され高視聴率を連発。しかも、大みそかの『紅白歌合戦』で紅組司会を務めるなどまさに“吉高イヤー”の活躍ぶりだった。 ところが、すでに4月だというのに彼女の姿をテレビで見かけない。 「NHKを最後にパタリと吉高の姿を見ることがなくなってしまった。当初は『花子とアン』に出演して以来、1日も休みを貰っていなかったこともあり、本人の強い希望で長期の冬休みを取っているという話だったが、それにしても長過ぎる。一部では『体調を壊した』とか色々囁かれていますが、真相は本人が『仕事をしたくない』と駄々をこね、周囲を困らせているようなんです」(業界事情通) 結果、所属事務所も吉高に気を使い冬休みの延長を認めているようなありさまだという。そんな中、新たに飛び込んで来たのが、まさかの引退説だ。女優業に対するプレッシャーに追い込まれたという話も飛び交う中、真相を探って見ると意外な証言を入手した。 「燃え尽き症候群のようなことを話している業界関係者もいますが、真実は180度違う。吉高は人間関係に悩み、仕事に対する意欲を失ってしまったんです」(芸能プロ関係者) きっかけとなった事件が2つあるという。その一つが今年1月付で辞めてしまったマネージャー問題だ。 「この女性マネージャーのA女史は吉高をデビューからずっと支えてきた人物で、出世作となった映画『蛇にピアス』('08年)のオーディションを受けさせ、人気女優に育て上げた。2人は姉妹のように本当に仲が良かった。でも、A女史が長野県の実家に帰り、市長である父親のサポートをするとして事務所を辞めてしまった。吉高はこの一件からいまだに立ち直れない状態なんですよ」(関係者) こんな吉高に追い打ちを掛けたのが、ロックバンド『RADWIMPS』の野田洋次郎との破局話。 「現在同棲中といわれているが、最近になって吉高が部屋を飛び出したという。今年6月に公開される映画『トイレのピエタ』の主演に抜擢された野田はほとんど家に帰ってこない。すれ違いの生活がずっと続いていた」(芸能プロ関係者) さらに吉高を土壇場に追い込んだのが同映画で共演する宮沢りえとの怪しい関係だった。 「宮沢と野田がデキてると一部週刊誌が報じたことから、吉高がヒステリックになってしまったんです。以来、2人の間にケンカが絶えず最終的に別れてしまったというんです…。吉高は大切な人が2人も去った二重のショックで仕事に対するやる気を失ってしまった」(事情通) 裸で出直して。
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スポーツ 2015年04月15日 12時00分
【甦るリング】第3回・悲運ながらファンに愛された真“デスマッチの祖”ラッシャー木村の晩年
晩年、ユーモラスなマイクパフォーマンスで人気を博したラッシャー木村(2010年5月24日没=享年68)は、とても悲運なプロレスラーだった。若いプロレスファンにとって、木村は「マイクで面白いことを言うコミックレスラー」的な印象だろうが、古くは“金網デスマッチの鬼”と呼ばれた男だ。 日本プロレス界において、“デスマッチの祖”といえば、“邪道”大仁田厚のイメージが強いだろうが、デスマッチを世に知らしめたのは紛れもなく木村だ。大相撲・宮城野部屋の幕下力士だった木村は、十両昇進まであと一歩に迫っていたが、1964年9月場所を最後に廃業。同年10月、力道山没後の日本プロレスに入門した。 ところが、66年、豊登の付き人を務めていた関係から、アントニオ猪木をエースに推した新団体・東京プロレスに移籍。ここから、木村の悲運なプロレス人生がスタートしたといえる。いかつい顔をしている木村だが、とにかく温厚で人が良く、何かを頼まれると「NO」とは言えない性格だったといわれている。 しかし、その東プロはあっけなく67年1月末に事実上崩壊。日プロに戻ることが許されなかった木村は、東プロと提携していた国際プロレス・吉原功社長に誘われるがまま、同団体に移籍。プロレス入りから、わずか約2年半で、3つ目の団体に所属するハメになる。東プロからのオファーを断っていれば、後に日プロのスター選手になっていたかもしれない。そう考えると、「NO」と言えなかった木村の悲運を感じる。 国際プロ移籍後、頭角を現した木村は69年4月、サンダー杉山とのタッグでTWWA世界タッグ王座を奪取。同年8月には米国武者修行のチャンスをつかむ。70年8月に凱旋帰国すると、同年10月、ドクター・デスを相手に日本初の金網デスマッチを敢行した。今でこそ、大日本プロレスなどのインディー団体では当たり前のように行われているデスマッチだが、当時は画期的で、全国のプロモーターから要請が殺到。以降、木村は頻繁にデスマッチを闘い、“金網デスマッチの鬼”が、その代名詞となる。 そんな木村にチャンスが巡ってきたのは、国際プロの絶対的エースだったストロング小林の離脱だった。74年2月、新日本プロレスの猪木に挑戦するため、小林が同団体から去ったのだ。エースが不在となり、吉原社長は当初、小柄なマイティ井上をエースに指名した。だが、75年4月、井上がマッドドッグ・バションに敗れて団体の至宝であるIWA世界ヘビー級王座を奪われると、木村がバションを破って同王座に初戴冠。以降、81年9月に団体が解散するまで、6年半にわたってエースとして君臨した。しかし、常に全日本プロレスのジャイアント馬場、新日本の猪木と比べられる立場になり、損な役回りとなってしまった感は否めなかった。 国際プロと全日本との交流関係から、75年12月に全日本が開催した「オープン選手権」に出場した木村は、馬場とシングルマッチで初対決。両団体のエース同士の対戦とあって、当時は大変な話題となったが、試合と関係ないアブド−ラ・ザ・ブッチャーが乱入し、木村を流血させると、そのダメージが響いて木村が敗れるという不運な結末となった。両者は78年2月に再戦したが、この際は馬場に足四の字固めを掛けられた木村がロープエスケープするも、なぜかレフェリーがブレイクを認めず、不可解なリングアウト負け。 時を経て、2人は85年6月に3度目の一騎打ちをしたが、木村の足がロープに掛かっていたにもかかわらず、レフェリーが3カウントを叩き、またしても悲運な敗退。木村は馬場戦に関しては、ほとほと運がなかったのだ。国際プロが81年9月に解散すると、吉原社長は新日本との全面対抗戦を画策。しかし、井上ら多くの選手は全日本への参戦を選択。吉原社長の意向に従ったのは木村、アニマル浜口、寺西勇の3人だけだった。 そして、同年9月23日、忘れられることはない伝説の東京・田園コロシアム大会。木村は新日本に宣戦布告するため、リングに上がったが、律儀にも「こんばんは」とあいさつし、ファンの失笑を買った。まさしく、木村の人の良さが垣間見られたシーンだったが、これは「こんばんは」事件として、後世に語り継がれることになる。木村は浜口、寺西と「国際はぐれ軍」を結成し、新日本に乗り込んだ。当時の新日本はブームの真っただ中とあって、木村は究極のヒールに仕立て上げられた。国際プロはマイナーな存在であったため、新日本で猪木と抗争を繰り広げていた期間は、木村にとってプロレスラーとしてのピークといえたが、ヒールとしての役回りは決して本意ではなかったであろう。 その国際軍団も、浜口、寺西が長州力率いる維新軍に加入したため解散。1人になった木村は84年、新日本のお家騒動のさなか、営業本部長だった新間寿に誘わるまま旧UWFの旗揚げに参加。同団体は「後から猪木が行く」との前提での設立だったが、猪木は新日本に残留。前田日明を中心とした格闘路線となり、木村は元国際プロの剛竜馬とともに離脱。新日本に戻る道もあったが、木村は自身の意思で全日本移籍を決意。後に木村は「自分の意思で動いたのは、これが初めてだった」と語っている。同年暮れの「世界最強タッグ決定リーグ戦」で馬場のパートナーとして参戦した木村は、馬場を裏切って、剛らと国際血盟軍を結成。以後、馬場らと抗争を繰り広げていくことになる。 だが、時を経て、馬場にタッグ結成のラブコールを送ると、馬場を「アニキ」と称して、義兄弟コンビを結成。百田光雄らとのファミリー軍団と、永源遙らの悪役商会との試合は全日本の前座の名物となり、アットホームでユーモラスなマイクパフォーマンスで沸かせるようになる。 馬場の死後、三沢光晴らに追随し、00年にノア旗揚げに参加。03年3月までファイトしたが、体調不良により長期欠場に入り、04年7月、ビデオレターで引退を表明した。引退後は体調を崩し、車イス生活を余儀なくされていたという。お人よしなばかりに周囲に誘われるがまま、団体を転々とした木村の流転のプロレス人生。国際時代はエースの座を張り、新日本では猪木の敵役を務めたが、木村が最も「らしさ」を発揮できたのは、ベビーフェイスに転向し、マイクパフォーマンスでファンを喜ばせていた時期かもしれない。 確かに不器用でファイトスタイルは地味なプロレスラーであったが、その実力は本物だった。プロレス界のトップを獲ることはできなかったが、ラッシャー木村という偉大なプロレスラーがいたことを忘れることはできない。(ミカエル・コバタ=毎週水曜日に掲載)
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アイドル 2015年04月15日 11時45分
HKT48・指原莉乃とソックリと話題になった3人のアイドル
アイドルの域を飛び出したバラエティ対応力から、他のアイドルとは一線を画す存在としてグループを引っ張るHKT48の指原莉乃。そんな指原は、自身のことを“ブス”と自虐的に語り、総合プロデューサーの秋元康から、“ゲロブス”といじられることもある。自身の容姿をネタにすることは、もはや彼女の伝統芸でもあるが、そんな指原と顔が似ていると話題になるメンバーが、これまで実は3人いた。 まずは、NGT48のキャプテンにも指名された北原里英。北原と指原はAKB48の5期生として同期でありデビュー日も同じ。北原は愛知から、指原は大分からと同じように地方からグループに加入しており、経歴も似ているところが多い。そんな二人は加入当初のレッスンで、“顔が似ている”という理由でペアになることが多かったという。その後、二人は所属事務所も一緒になった。ただ、北原は、テレビ番組のウソ発見器を使った企画で大島優子から、「指原莉乃に似ているといわれるとショックだ」と質問されると反応してしまったことがあった。その時に一方の指原は、「あんまり私のことを知らない人が“きたりえ(北原)大好きです”とか言ったりします。その時は、もちろん、はい、ありがとうございます! って言ってます」とのエピソードを披露していた。 続いて、NMB48の“釣り師”として話題になることが多い渡辺美優紀。小悪魔キャラの彼女も一時、「指原に似ている」と話題になったことがあった。ファンからは、「静止画は似ている時もあるが、笑顔が全然違うので動画では似てない」、「生で見たら全然似ていない」、「完璧に仕上がった指原と絶不調のみるきー(渡辺)なら似てなくもない」など様々な意見が議論され、「みるきーに失礼」と憤慨する渡辺のファンも。そんな渡辺のファンに対して指原のファンは、「全国的な知名度では指原の方が上なんだから、ありがたく思うべき」と応戦。ファン同士の論争となっていった。 さらに、最近、指原に似ていると話題になったのが、乃木坂46の白石麻衣だ。乃木坂46の中心メンバーであり、ファッション雑誌「Ray」の専属モデルでもある白石は、「今、女子が一番憧れる女の子」と紹介されることもある。二人が似ていると言われるようになったきっかけは、白石がモデルをつとめたヘアカラー商品のパッケージ写真の一部が指原と激似だと、ファンの間で話題になったことからだ。白石は先月のイベントで、そのことを報道陣から指摘されると、「そうなんですか? ぜんぜん知らなかった。申し訳ないです」と恐縮していた。 以上、3人のアイドルがこれまで指原と似ていると話題になったアイドルたちである。ただ北原里英、渡辺美優紀、白石麻衣ともタイプがまったく異なるメンバーであり、指原と似ていると話題になったことはあるものの、その3人が似ていると言われたことはまったくなく、共通点も見つけられない。そんな3人と似ていると話題になる指原は、やはり不思議な魅力も持ったアイドルなのかもしれない。
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芸能ニュース 2015年04月15日 11時45分
高部あいが高橋克典を「お父さんのようです」
テレビ朝日・木曜ミステリー『京都人情捜査ファイル』製作発表記者会見が14日、東京・六本木のテレビ朝日で行なわれ、主演の高橋克典はじめ、松下由樹、松平健、尾美としのり、高部あい、鈴木貴之、渡辺邦斗、石丸謙二郎らが出席した。 高橋、松下、松平という人気実力派俳優の3人が初タッグを組み、実在の警察組織『犯罪被害者支援室』で奮闘する警察官たちの姿を描く。 木曜ミステリーは初主演となる高橋は「非常に大変で重要な部署です。真っすぐ誠実に演じていきたいと思います」と意気込みを語った。 星野佳世役の高部は「佳世はアグレッシブで勝ち気な女ですが、時にはチャーミングに皆から愛されるキャラクターになりたいと思います」とニッコリ。また主演の高橋について問われると「すごく暖かくて、お父さんのようです」と答え、高橋は苦笑い。
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芸能ニュース 2015年04月15日 11時45分
吉瀬美智子が初めてのママ役
女優の吉瀬美智子が14日、都内でキャノンデジタル一眼レフカメラ「EOS Kiss X8i」新CM発表会に出席した。 13年7月に長女を出産した吉瀬は「子供が出来たのでカメラを買おうと主人と相談して、主人が買ってきたカメラがキヤノンでした。その後にキヤノンのCMのお話が来てびっくりしました」とニッコリ。 CMで運動会で我が子を撮影するママ役を演じた吉瀬は、「ママ役は初めてでした。ちゃんと撮れるかドキドキしながら撮影に入りましたが…、きれいに撮れて安心しました」と語った。 イベントで吉瀬は自らキャノン EOSで撮影した1歳8か月になる愛娘の写真を初披露した。最後に「ママに優しい機能もたくさんあります。良い写真を撮って思い出を残して下さい」とPR。
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芸能ニュース 2015年04月15日 11時45分
マリエ「こんなに短くしたのは人生で初めて」
ランコム80周年プレス発表会が14日都内で行われ、モデルのマリエが登場した。 今年の1月に髪の毛を切ったというマリエは「こんなに短くしたのは人生で初めてですが、新しい自分を見つけたくて自分で切りました」とニッコリ。50cmから60cmは切ったという。「自分にしかない美的感覚を信じているので自分で切ってます。初めのうちは鏡を見ると違う人がいるのかと何度も驚きました」と苦笑い。 イベントではランコムの新パリジェンヌミューズ カロリーヌ・ド・メグレ、ランコム 新メイクアップ クリエイティブ ディレクターのリサ・エルドリッジとトークショーを行ない、「憧れの2人なのでお会い出来て光栄でした」と目を輝かせた。
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芸能ニュース 2015年04月15日 11時45分
ミランダー・カー ファンに神対応!
モデルのミランダ・カーが14日来日し、羽田空港国際ターミナル到着口には、300人のファンが詰めかけた。 リーボックの新感覚ウォーキングシューズ「Skyscape(スカイスケープ) 」グローバルアンバサダーとして、15日に行われるイベントに出席するために来日。 詰めかけたファンに移動の疲れも見せず、時間をかけ握手をし、花束を受け取り、写真撮影やサインに応じファンとの交流を満喫していた。ミランダは、「どうもありがとう…ありがとうございます」と日本語で、ファンに感謝を伝え空港を後にした。
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その他 2015年04月15日 11時00分
専門医に聞け! Q&A 前立腺がんの経過観察
Q:腫瘍マーカーのPSAが急上昇したため、前立腺生検を行ったところ、腺がんが見つかりました。しかし、積極的な治療はしないと医師に言われました。私はまだ元気で、夜の方も現役なのに見捨てられたようで寂しいです。生検を勧めておきながら、なぜ治療をしてくれないのでしょうか。(76歳・団体臨時職員) A:がんの悪性度が低く、しかも患者さんの平均余命が10年未満なら、治療をせずPSAの観察だけで経過を見る場合もあります。 ご質問の方は76歳ですので、現段階の平均余命は10年弱です。医師は積極的に治療をするより、経過観察したほうが生活の質がよいと判断したのではないでしょうか。 前立腺がんでのホルモン療法はインポテンツの原因となりますし、性欲減退の結果、女性に興味がなくなる人もおられます。のぼせや肝障害などの副作用もあります。●生活の質を落とさない 70歳台でも前立腺生検をする意味は、がんの悪性度が高い場合、治療を検討する材料になるからです。低悪性度のがんで経過を観察している場合でも、PSAがどんどん上昇してきたときは、方針転換して治療が始められます。 ホルモン療法は2種類に分かれます。一つは、月1回もしくは3カ月に1回皮下注射し、睾丸からの男性ホルモン(テストステロン)分泌を抑え、前立腺がんの進行を止めるものです。 もう一つは、抗アンドロゲン剤というカテゴリーの薬で、毎日1錠服用します。ホルモン療法としては両方を併用するのが最も強力な治療ですが、副作用も出やすいのです。作用としては注射剤のほうが効果が大きいので、注射剤のみでの治療も可能です。 治療費は、自己負担3割の場合、負担額は注射剤は1カ月用で4万円強、3カ月用で7万円強です。経済的負担も大変です。 治療は、前立腺摘出術もあります。両側睾丸摘出術を併用すれば、注射剤は不要となります。しかし、睾丸摘出には抵抗がある人が多いため、前立腺の摘出だけにする場合が多いです。 さらには放射線療法もあるし、新しいホルモン療法も登場しています。 ご質問の方は夜の方も現役とのことですが、それを重視するなら、積極的な治療は避けたほうがよいでしょう。全身の健康状態や免疫を高めるような自然な療法を行うとよいと思います。牧典彦氏(小山病院院長)自律神経免疫療法(刺絡)や加圧トレーニング、温熱療法、オゾン療法など保険診療の枠に捕われずベストな治療を実践。小山病院(大阪市東住吉区)院長。