「選手がいくらでもおる巨人を倒すのはアリが巨象に挑むようなもんや。だが、弱者には弱者の戦い方がある」と野村監督がID(データ重視)野球で打倒・巨人をアピールすれば、長嶋監督はこう反論した。「ノムさんは優勝する度に、川崎、岡林、伊藤智など主力投手を壊している。選手は球団の財産だ。一監督が優勝するために潰してはいけない。オレは絶対にそんなことはしないよ」と。
因縁対決は壮絶だった。93年はヤクルト・野村監督がリーグ連覇。94年はV9巨人以来ということで注目されたヤクルトの3連覇を阻止、最終戦で中日と勝った方が優勝というあの10・8決戦を巨人・長嶋監督が制した。95年、今度は野村監督が雪辱。96年には長嶋監督が流行語大賞にも輝いた「メークドラマ」を達成。翌97年はヤクルトが4度目のリーグ優勝。まさに1年ごとのペナント争奪だ。
「長嶋がヒマワリなら、ワシは月見草や」という名文句を吐いた野村監督と長嶋監督の死闘は球史に新たな1ページを加えた。その裏での長嶋監督の長男・一茂氏(現巨人軍代表特別補佐)を巡る場外バトルもすさまじかった。「長嶋さんが監督に復帰したのだから、一茂君を巨人に移籍させてやった方がいいだろう」という、当時のヤクルト・桑原潤オーナーの決断で、一茂氏は長嶋監督が復帰した93年、ヤクルトから巨人に移籍した。
「なんでマスコミは長嶋と王のことばかり大きく取り上げるんや。ワシが三冠王になっても小さな扱いやのに」と反発する、根っからのアンチ長嶋・野村監督の一茂氏イジメが目に余り、桑原オーナーが温情トレードを敢行したのだ。当然のごとく野村監督は「親子で同じチームというのはおかしいやろ。長嶋は何を考えているんや」と噛みついている。
しかし、その野村監督が三男・克則(現楽天コーチ)をヤクルトに入団させたのだから、言行不一致もいいところだろう。楽天監督になれば、また連れて行き、コーチに就任までさせているのだから、長嶋氏のことを言えた義理ではない。ヤクルト関係者がこう言い切る。
「本音を言えば、ノムさんは克則と同じユニホームを着ることには抵抗があるんだよ。だけど、総監督サッチー(沙知代夫人)の命令だから、逆らえない。『旦那はどうなってもいいけど、克則は目に入れても痛くない』と、克則命を公言しているサッチーだからね。ヤクルト入りも楽天入りもサッチー総監督の指令ですよ」。
実は、一茂氏の巨人入りも亜希子夫人(故人)の強力な圧力があったのは、知る人ぞ知る公然の秘密だ。「ヤクルト・桑原オーナーの厚意に感謝した長嶋さんだが、父子鷹には消極的だった。ナベツネさん(現巨人球団会長)も反対していたしね。でも、亜希子さんが『一茂を巨人に入れなければ、食事も作りません』と宣言。長嶋さんもギブアップした」。長嶋人脈の球界関係者がこう明かす。月見草もヒマワリも山の神には勝てなかったのだ。