28日の会見で、酒井被告の解雇を発表したサンミュージックの相澤正久社長。「23年間、一緒に頑張ってきましたが、反社会的行為は許されることではなく、断腸の思い…」と、苦しい胸中を語った。その表情には、盟友やまな娘といった「絶対的信頼」を寄せていた者から裏切られた深い失意が、確かににじみ出していた。
しかし、酒井被告の逃走から出頭までの期間、事務所の対応には首をひねらざるをえない場面もあった。当初、わざとらしくも感じる幹部のろうばいぶりに「何か隠しているのでは」とにらんだ関係者は少なくなかった。
「今回、初めて会見を開いたのが高相逮捕、酒井失踪の8月3日深夜ですが、報道陣に『事情説明をして』と追及されるまで、何が起こったのか全く把握していなかった。だから相澤社長の応対がわけの分からないものになってしまった」と語るのはスポーツ紙デスク。つまり、「事務所は本当に何も知らなかった」というのだ。
そればかりか、完全に事務所が“蚊帳の外”であることが、翌4日に裏付けされた。高相被告の母が酒井被告の捜索願を赤坂署に提出した日だ。捜索願が提出されたことを赤坂署から聞きつけた報道陣が事務所サイドの対応を求める。
「ところが、『一体何のこと?』みたいな感じで困惑しているのです。結局、高相の母は事務所に一切、相談しないで捜索願を提出したことが露呈してしまった」(前出・スポーツ紙デスク)
ここまで、酒井サイドが事務所を軽んじていた感は否めない。いったいなぜこうなったのか。民放関係者が事情を語る。
「酒井が事務所に不信感を抱き始めたのは1997年ごろ。当時、付き合っていた脚本家の野島伸司氏と別れたあたりからです。結婚秒読みだった2人ですが、事務所はあえて、結婚を妨害するかのように酒井を不眠不休の状態まで追い込んだ。結果、すれ違いが頻発して、酒井がフラれる格好で2人の恋が終わったのです」
そればかりではない。酒井被告が最も信頼していたチーフマネージャーの溝口伸郎氏が2000年、事務所内のトイレで首つり自殺を図ったのだ。自殺の原因として「タレントの売上向上とリストラを会社から命じられ、疲労困ぱいだった」とも言われる。酒井被告にとっては、この溝口氏の自殺が相当、堪えたようだ。
98年に、高相被告と結婚した酒井被告は、「次第に事務所とは距離を置き始め、事務所の考えなど全く聞かなくなり、まさに“女王様”だった」と、当時の事務所関係者が振り返る。さらに、「事実、今の酒井は(相澤)正久社長とは、コンタクトが取れるのですが(相澤)秀禎会長とは没交渉。相手にしません。会長は酒井の継母とは息が合い、連絡が取れるのですが、今度は社長が継母とダメ。こんな事情から結局、酒井のやりたい放題になってしまった」。
昨年2月に発覚した左足首のタトゥーなど、その最たる例だろう。
「タトゥーは実は04年くらいからあって、トラブルを狙って彫ったと思いますね。酒井の教育熱心さを知っている事務所は、ママドルとしての売り出しを考えていた。ところが、衛星放送の子供向け番組に酒井を推したところ、左足首がネックになりボツ。酒井は、ほくそ笑んでいたみたい」(前出・関係者)
最近は、「拘束時間の長いドラマはイヤ。簡単に撮影が終わるCMか表情を作らなくていい声優の仕事以外はほとんどNG」(前出・関係者)だったという酒井被告。芸能人として大成できたのは相澤社長ら事務所あげての“愛”があったから。その恩をあだで返した酒井被告にはどんな未来が待っているのか。