ただ、事故後の調査や裁判において、遭難した女生徒の大半は「水深80センチ程度の浅いところを歩いている」際に、急に足元をさらわれるような流れを感じ、気がついたら流されていたと証言している。そのため、怪奇伝承で描かれる情景と実際の状況とは、かなり異なっているように見受けられる。この、事故と怪奇伝承との微妙な相違はいつ、どのような過程を経て生じたのであろう?
まず、怪奇伝承の端緒となった証言については、事故から年月が経過していることもあり、記憶の誤りあるいは上書きの可能性が高い。現場の状況から、遭難した級友から離れていたのなら浅くて泳げないし、泳げる深さの範囲にいたのなら遭難者から10メートルも離れていないためだ。また、事故の翌日に行われた衆院法務委員会の答弁において、山口喜雄警察庁警備部長(当時)が「原因につきましては南から北への潮流と突然の大波に巻き込まれて、沖合いに標示してあります危険標識区域外に流されて深いところに落ち込んで遭難したものと認められます」と答弁している。初期段階の不正確な情報がこのような形で権威付けされ、遭難者の記憶へも影響を及ぼした可能性が高い。
テレビを始めとする映像メディアでは、水中を歩いていて溺れる様子に「絵的な説得力をもたせにくい」ためか、大半は泳いでいる最中に溺れる姿を描写している。ただし、事件を漫画化した丘けいこ作「海をまもる36人の天使」(集英社1968年初版)においては、筋書きはかなり脚色されているものの「脚が立つ程度の浅瀬で、突然の大波に流される」様子を描いており、媒体の特性に拠る部分も少なくないようだ。
その他、ネットの記事などでは「死亡した生徒達が泳いでいたのは、当時から危険水域であった」と、根拠は不明にもかかわらず犠牲者にも責任があったかのような記述すら見受けられる。つまり、歩いていたか泳いでいたかは記録と娯楽の相違や演出の都合、あるいは事実関係の取材と「単に地域住民やネットのうわさを集めただけ」の違いで、泳いでいる描写は「メディアの生み出したイメージ」といえよう。
では、事故が怪奇伝承と結びついた背景や、時期はいつなのであろうか?
(続く)