しかし、事故直後に基地司令官の予定者が交通事故で死亡したり、まだ37歳だった防空レーダ担当者が心臓発作で急死するなど、確信に迫る情報を持つ軍関係者の不審な死が相次いだこともあり、調査は極めて難航した。さらに1988年にラムシュタイン基地で発生したアクロバットチームの衝突事故においては、イタビア機の事故に際して緊急出動したと噂されるパイロットらが死亡したばかりか、緊急脱出に成功したにもかかわらず、なんらかの作為で死に追いやられたパイロットもいるなどと、スキャンダラスに語る人々が現れた。
結局、イタリア政府は1989年に「イタビア機は撃墜された」との見解を表明し、イタリアの検察当局は空軍などを起訴したものの、最初の判決では証拠不十分で無罪となり、その後2007年には上級審でも軍は無罪との判決が下った。また、事故当時の首相だったフランチェスコ・コシガ氏はフランス機がイタビア機を撃墜したとの見解を示し、フランス政府へ賠償を求める動きもあった。しかし、イタリア政府を相手取った損害賠償請求裁判が別に起こされ、2013年にはイタリア政府の責任を認める判決が確定した。
しかしながら事件の詳細、特に肝心の「誰がなんの目的でミサイルを発射したのか?」については、現在に至るまで全く明らかになっていない。イタビア機が撃墜されるきっかけとなったリビア軍機の領空侵犯と、それにともなうミサイル発射にしても、侵犯したのは1機か2機かすら明らかになっていないのだ。そのため、撃墜されたリビア軍機の他に宇宙人の飛行物体も同じ空域を飛行しており、イタビア機を撃墜したのは宇宙人との説を唱える人々もいる。
その他、近年では旧ソ連時代に諜報活動へ従事したとされる人物の情報として、リビア機の領空侵犯を支援するためにソ連が電波妨害を行った、あるいはミサイルの目標識別を混乱させ、民間機を撃墜させたとの陰謀論まで飛び出し、謎はよりいっそう深まりつつあるのだ。(了)