薩摩藩の五代才助を通じてロシア商人から船を購入していた龍馬。蝦夷地移住開発計画のためだったが、埋蔵金を掘り出そうという意図もあっただろう。それとともに、五代がフリーメーソンの一員だったことは、日本史のミステリーに色を添えることになる。
先週の当欄では龍馬と埋蔵金、さらに移住開発計画と薩摩、長州両藩の関係まで明かしたが、それだけではない。
当時の蝦夷地には、武田信玄がアイヌの人々から巻き上げた国家予算級の埋蔵金が眠っているという「お宝伝説」が、江戸初期から信憑性を持って伝えられていた。そのお宝伝説の財宝が眠るとうわさされた場所の近くには、お宝を守っているかのようなモニュメントがあり、伝説のモンスター化に拍車をかけていた。
地理的に遠く離れた九州の人々が抱く蝦夷地の印象は、宇宙人をイメージするのと似ている。薩摩で語られる蝦夷地に関する情報は「冬は寒い」以外、伝聞にすぎなかったはずだ。
伝聞だけなら、ほら話に終わっただろう。しかし、情報通で知られる大物浪人の坂本龍馬が、持ち前の会話術でお宝伝説を繰り広げれば、五代でなくとも信じておかしくはない。賢いながら疑り深く、薩摩の人々から忌み嫌われた五代。坂本を同じフリーメイソン仲間だと思っていたふしがあり、そのために協力したのだろう。
坂本龍馬は桂小五郎らが新撰組に襲われた池田屋騒動の後、身の危険を感じて薩摩藩内にかくまわれていたとき、皮肉にも日本の単独支配をもくろむ薩摩藩の意図に気がつく。さらにフリーメイソンの傍流にすぎない五代の師、グラバーよりもっと大きな力を持ったメイソンリーの意思が直接、長州藩、薩摩藩の上層部に影響を及ぼしていることを察知していたと思われる。
「近い将来、薩長が幕府に取って代わる流れは止められない、しかし、その後は薩摩と長州が戦うことになり、再び長州勢は反乱軍に貶(おとし)められる」
龍馬はそう読み、蝦夷地移住開発は長州に加担するための軍隊育成が最大の目的になる。九州から遠いという地理的条件と、豊富な資金(龍馬自身、お宝伝説を信じていたふしがある)。さらに日本を食い物にしようとしているフリーメイソンから距離を置き、ロシアの援助を受けながら第三極を形成しようとする。
近代国家に生まれ変わる、日本の指導者たちの広告塔でもあった龍馬が抱いた初めてともいえるオリジナルな理想の端緒でもあった。龍馬はそれから約1年後、暗殺されている。しかし、龍馬の抱いた理想はその後、明治政府に影響を及ぼし日本史に大きな足跡を残す事となる。