江戸時代後期頃、東北、関東、東海、四国などで、墓石が磨かれる怪異が随筆に記されている。愛知県名古屋市で実際に起きた石塔磨き事件は『名陽見聞図会』では、このように記載されている。
天保3(1832)年2月1日、就梅院(名古屋市千種区東山元町)の石塔が綺麗に磨かれ、墓石には朱書きまで入れられるという怪奇現象が発生した。このような怪異は就梅院の界隈だけではなく、名古屋城下の方々の寺でも同様な現象が見られた。就梅院の周辺には大勢の人々が集まり、大変な騒ぎになっていた。切支丹の仕業とか、千年も生きた妖狐の仕業だとか、まことしやかな噂が流れていた。
石塔磨きの噂を聞いた大谷万作という武士が、城勤めの非番の日に檀那寺へ聞き込みに出掛けた。そして、石塔磨きについて、住職に詳しく聞くことができた。この寺では、今回の石塔磨き事件は発生していないが、3年前にも同様の出来事があったという。
ある夜、丑の刻(午前2時)に、住職はふと目を覚ました。月明りで照らされた墓所に汚い身なりの旅の僧が入ってきた。僧の後に奇妙な化物がくっついて歩いて来た。その姿は鼬のようで、真っ黒な長い髭を生やし、人間のような大きな耳がついていた。鼬のような化物は墓石に飛び乗ると、長い舌で舐め、次々と墓石を磨き上げていった。そして、旅の僧が磨かれた墓石に何やら呪文を唱えると、刻まれた家名だけが朱色に変わっていった。住職はガタガタ震えながら、その様子を見ていたという。
しかし、旅の僧は一体何者なのか、何故、縁も所縁もない家の墓にそのような所業をしたのかは不明である。
写真:「就梅院」愛知県名古屋市千種区東山元町5-18
(皆月 斜 山口敏太郎事務所)