ご覧の通り、化石の写真である。なにやら小さい骨とヒレのようなものが確認できる。
石化しているのは魚だろうか…?
この化石は山口敏太郎が数年前に手に入れたもので、木箱には「親鸞上人」と記されており新潟県豊浦町で見つかったものとも書かれているようだ。
木箱には承元元年(1207年)に親鸞聖人がひとこと「魚骨よ、石になれ」喋ったところ、魚が石になったという。
魚を一瞬にして石に変えるなんて、まるでゴーゴン3姉妹のメデューサのようである。その伝説を解く鍵は木箱に書かれた新潟県豊浦町という場所にある。
この木箱に書かれている承元元年、1207年後鳥羽上皇によって親鸞聖人は越後へ流罪になっているのだ。
親鸞聖人と越後には「越後七不思議」という不思議な逸話が残っており、そのうちのひとつに「焼鮒」というお話がある。
なんと親鸞聖人が焼いた魚を見て「私の説いている教えが正しければ、きっとこの鮒が泳ぐでしょう」と念仏を唱えると、見事に焼いた鮒が生き返り木のな かに隠れてしまった、というものである。実際にその数百年後、折れた切り株には確かに鮒の形が残っており、今も残されているという。
さて、山口敏太郎事務所にある魚の化石であるが実はこの「焼鮒伝説」の舞台の近隣に「魚岩」という魚の化石が多く見つかる場所がある。
ここでは親鸞聖人が食後に魚骨をなげ捨てたという伝説があり、「魚岩の碑」が立っている。(親鸞は「非僧非俗」といって坊さんであるが肉も魚も食べるし結婚もした)
化石の取れる地層のため、土から魚が現れるなんて当然、昔の人は知らないわけで、これが「魚岩」の親鸞聖人伝説に繋がったのではなかろうか?
去年6月に山口敏太郎事務所がリアルライブにて紹介した天狗の爪も古代爬虫類のモササウルスの歯の化石を天狗の爪と勘違いし伝えられたものであった。
ただの化石でも歴史のミステリーは無限にあるのだ。
(山口敏太事務所)