テンプル大学卒、ハーバード・ビジネス・スクールでMBA取得といった学歴が真っ赤なウソだっただけではなく、彼が代表を務める世界的ネットワークを持つコンサルティング会社の活動実態さえ疑問が呈されている。
さらには高校時代のあだ名が、“ホラッチョ”だったという。あの端正なマスクと甘い低音ボイスの下には、ウソで塗り固められた人生が隠されていたわけだ。
しかし、私は今回の事件で一番問題だったのは、ショーン氏を重用したテレビ局のスタンスだと思う。ショーン氏のテレビ局での評価は高かった。「彼のコメントはきわめて的確だ」とテレビ局のスタッフは、口を揃える。だが、その「的確」が問題なのだ。
ショーン氏のコメントは、常にもっともらしいものだった。同時に、注意深く聞いていると、彼のコメントには世間の常識に反するもの、VTRを作ったスタッフの意図に反するもの、そして政府の痛いところをつくようなものが、一切なかった。
だから、彼のコメントを受けて視聴者から苦情が殺到したり、スタッフが放送局の経営陣から叱責されたり、官邸から圧力がかかったりすることは一切なかったはずだ。それを「的確」なコメントと言っているのだ。しかし、コメンテーターにきちんとしたバックグラウンドがあれば、世間の常識と異なる、あるいは政府に不都合なコメントが自ずとこぼれ出てくるはずなのだ。
それは『報道ステーション』のコメンテーターを解任された元通産官僚の古賀茂明氏と比べれば、明らかだろう。
古賀氏は官僚として政策決定の裏の裏まで知り尽くしていた。だからこそ、説得力のある政府批判を発信し続けていた。古賀氏の主張は、突き詰めると徹底的な行政改革と平和主義の2点だけだった。ただ、そのことを分かりやすく、具体的に言うだけで、テレビから追放され、その代わりにイケメン・コメンテーターが登場するというのが、今のテレビ業界の実態なのだ。
フジテレビ系の『とくダネ!』で、ショーン氏と金曜コメンテーターを務めてきた中瀬ゆかり氏は、ショーン氏を擁護しているが、私は中瀬氏のように編集者としての長いキャリアに裏打ちされた教養がある人が、容姿にかかわらずやるのがコメンテーターだと思っている。
ちなみに、3月18日の『情報ライブミヤネ屋』で、MCの宮根誠司氏は、ショーン氏について「肩書がなくても顔と声だけで十分」としたあとに、「森永卓郎とツーで置いといたらどんな感じになるんかな」という提案をした。それに対してコメンテーターのガダルカナルタカ氏は、「森永さんはバックグラウンドはあっても、ビジュアルがね」と応じた。
繰り返す。コメンテーターに必要なのは、ビジュアルではない。真実を抉り出す力なのだ。