主役は、タッキー&翼・滝沢秀明。キャリア22年にして、初の主演映画・初のホラー映画だ。
ところが、ちょっぴり不思議な縁もある。滝沢は95年にジャニーズ事務所に入所して、その年にフジテレビ系オムニバスドラマ『木曜の怪談』の『怪奇倶楽部』に出演しているが、デビュー作もホラーだったのだ。
当時の相棒は今井翼と、すでに退所している俳優の川野直輝。
“怪談トリオ”と名づけられた3人は、またたくまに関東のジャニーズJr.のリーダーになった。周知のとおり、今井は今の“伴侶”である。
そんな滝沢にとってのターニングポイントは、NHK大河ドラマ『義経』の主役にほかならない。05年、当時の史上最年少にあたる22歳(放映開始時)で大抜てき。およそ1年にわたって、主役の源義経を演じきった。この好演は各方面で高く評価され、『第14回 橋田賞』を受賞。『渡る世間は鬼ばかり』(TBS系)で知られる大物脚本家・橋田壽賀子が理事を務める橋田文化財団が、放送文化に貢献した表現者に授与する賞は、滝沢の勲章のひとつになった。
『義経』主役のウラには、仰天の経緯があった。発表されるおよそ1年前から、滝沢は自分が何のためにしているのかわからないまま、事務所から命令された習い事を習っていたのだ。それも、立ち回り、日舞、乗馬、弓矢、殺陣、所作とかなりの数のレッスン。もちろんその間、ほかの仕事も並行させていたため、かなりハード。1年間、これが毎日だった。
「俺は、(次のドラマで)何になるんだろう」と疑問を抱き、越年したころ、「明日、NHKに行ってください」とスタッフから言われた。到着した東京・渋谷のスタジオで目にしたのは、記者会見の概要書。『時代劇 義経』の文字が踊っていた。そこで初めて、自分が大河の主役になることを知ったのだ。
急転直下の展開。それまでのおよそ10年の芸能人生で、触れたことがなかった時代劇という分野。滝沢は狼狽を隠しきれず、そこから苦悩と葛藤、痛みも伴う怒濤の1年がはじまったのだ。
『義経』で俳優として開花。なみいる役者を束ねる長としての才能も発揮したため、ジャニー喜多川社長は、「和に特化した舞台をやらせたい」と滝沢のためにプランニング。翌2006年、主演舞台『滝沢演舞城』がスタートし、ジャニーさんが企画・構成・総合演出を担った。
2010年、現在のスタイルである時代劇ライブミュージカル『滝沢歌舞伎』となって生まれ変わり、10周年の節目イヤーには、ジャニーズ初の海外公演(シンガポール)を成功。今では、ジャニーズミュージカルの重要なワンパーツとなっている。
ホラーで繋がり、和でも繋がり。滝沢は、不思議な縁を呼び寄せてしまう役者のようだ。