物語の舞台は近世ヨーロッパ風の世界である。ただし、多くの架空歴史作品と同じく、習俗や技術が部分的に現代的になっている。世界は突如出現した巨人に支配されていた。巨人は圧倒的に強く、人間を捕らえて食べてしまう。追い詰められ、僅かに残された人類は高さ50メートル以上の頑丈な城壁を作り、その中で暮らしてきた。しかし、その城壁をも破壊する大型巨人の出現により、人類は存亡の危機に追い込まれる。
捕まえた人間を生きたまま食べる巨人がグロテスクである。間抜け面をしている巨人の外見が一層恐怖を引き立てる。巨人は基本的に知性がなく、圧倒的な力で無意味に人間を殺戮し、補食する。それが絶望感を増大させる。
物語世界には多くの謎がある。巨人の正体は何なのか。巨人はなぜ、人間を補食するのか。王政府は何故、外界の情報を規制するのか、などである。独特かつ精緻な作品世界の設定が本作品の大きな魅力である。
しかし、それに終始する作品ではない。主人公の周囲には次々と事件が降りかかり、息をつかせない。文字通り、人類の存亡をかけた緊迫感が存在する。また、キャラクターも個性的である。情けないキャラクターも含め、人間のリアリティがある。
著者は当初、ジャンプ編集部に作品を持ち込んだが、「『漫画』じゃなくて『ジャンプ』を持って来いって言われた」という。ジャンプとしては大きな魚を逃したことになるが、確かにジャンプ的な作品ではない。もしバトルが王道のジャンプで連載したならば、主人公が修行で鍛えた必殺技を駆使して巨人を撃破する展開になっていたかもしれない。
一方で、3巻まで読み進めると、当初とは異なる要素の比重が高くなっている印象がある。それは主人公エレン・イェーガーの精神内部の動きである。もともとエレンは人類が城壁の中で安住することに疑問を抱き、巨人の駆逐という激しい怒りを抱いていた。この点で分かりやすい人物であり、人類の存亡を賭けて巨人と闘う物語の主人公にふさわしい。
しかし、物語が進むにつれ、エレンの過去の記憶や家族生活、精神世界の葛藤が物語の鍵になっていく。これは社会現象となったアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』を想起する。巨人化したエレンは、ネット掲示板ではエレンゲリオンと呼ばれているが、それは外見の類似性だけではないだろう。
人類の存亡がかかったストーリー展開でありながら、最後は主人公の精神的成長で終わらせる物語は『新世紀エヴァンゲリオン』だけでなく、岩明均の『寄生獣』や浦沢直樹の『20世紀少年』にも見られる。『進撃の巨人』がどのような展開に進むのか、目が離せない。
林田力