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高橋四丁目の居酒屋万歩計「わくい亭」(わくいてい、居酒屋)

 都営浅草線・本所吾妻橋駅から徒歩660歩

 東京メトロ銀座線は浅草と渋谷とを結んでいる都内最古の地下鉄。上京して目黒のアパートに住んでいたころ、「地下鉄銀座線に乗るには渋谷駅の階段を3階まで上って」と教わった私は、担がれたと思ってむっとしたのだった。先ごろ若い娘に「渋谷は谷底だった」と教えると疑わしげな目でこちらを見るから、周辺を囲む有名な坂を挙げたりして、地名の原初は危険警報だと講じたら納得した。すると今度は手を叩いて受講の感動を露(あら)わにするから、そうたいしたことでもないから騒ぐでないと諭したのだった。
 その渋谷から銀座線に乗って終点のひとつ手前、田原町駅で降りて、ひと仕事を終えて吾妻橋を渡って本所に出た。こざっぱりとした白い暖簾(のれん)につと手をかざし、からからからと建てつけのよい戸を開けて、ごめんなさいよと声はかけないものの、そうして座って千代の光を一杯いただいて、一工夫ある焼き物や、二工夫ある揚げ物などをつまんでいる。昔、上司だった年上の友も、「わくい亭」のような、きちんとした店がお好きな方だったから。
 70年代から20年間ほど、日本の映画界を元気に駆け抜けた洋画配給会社日本ヘラルド映画は、ソフトポルノの先駆「エマニエル夫人」や、ライオンが人を食った(のではないか)というキワモノ残酷ドキュメント「グレート・ハンティング」や、哲学的戦争映画の嚆矢(こうし)となった「地獄の黙示録」など、あきれるほど多彩なジャンルを果敢にこなす業界の異端児で、異端児が必要とされない時代になるとみるみるうちに失速した。会社もこちらもまだ駆け出しのころ、宣伝部という部署で5年間ほど、その方に映画と歌舞伎と新派と松竹新喜劇と新劇と落語とミュージカルとオペラの、手ほどきをうけた。

 年上の友は、慶応中等部時代にNHKのラジオドラマに出演したり、後輩である現市川猿之助丈を脇役にして舞台で主演したり、旗揚げした劇団四季と深くかかわったり、芸能とつかずはなれずして大人になっている。芸能は飲食と近しい。鮨(すし)と蕎麦(そば)は江戸のスナックだからそれぞれ、つまむ、たぐる、と言って食べるとは言わない、などという食の基本的な用語もこの方に教わった。わたしが恵比寿ガーデンシネマの支配人になると、「東京中でどこか、ニューヨークのウディ・アレン(俳優・監督)の新作を常打ちするような奇特な小屋(映画館)はないものかねえ」とつぶやかれ、「ブロードウェイと銃弾」(95年)以降、通算10年にわたる連続上映のヒントも頂いた。
 戦時下の落語家たちが時局柄不謹慎な噺(はなし)を埋めた噺塚(はなしづか)がある田原町本法寺は、年上の友故筈見有弘氏の菩提寺でもある。今日は十三回忌の法要に伺った。遺族が建てられた卒塔婆と、参会者が柄杓で水を手向けた墓石を、驟雨(しゅうう)がざっと見舞って過ぎた。さてしかし、いっかな止もうとはしない本所の雨は、もはや雨濯(うたく)と呼ぶべきものかもしれなかった。

予算3000円。
東京都墨田区本所3-22-12

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