世代の違う、73歳の野村監督と55歳の落合監督がなぜ因縁のライバルなのか。不思議に思うかもしれない。が、世代を超えた、3冠&猛妻&知将と3部門にわたる興味津々のライバルだ。さらには、一時は中日監督の座を争った因縁まである。
1965年に戦後初の3冠王に輝いた南海・野村克也に対し、82年に史上最年少の28歳で3冠王を獲得したロッテ・落合。85、86年にも2年連続して3冠王に輝き、史上初の3度の3冠王という偉大な記録を作っている。2人とも文句のない成績を残しながら、野村監督は、女性問題で兼任監督の南海を追放され、「ワシは生涯一捕手や。ボロボロになるまでやるわ」と宣言してロッテ、西武と渡り歩いている。落合もロッテから中日、巨人、さらには日本ハムと転々としている。その間には労組・日本プロ野球選手会を脱会する騒ぎまで起こしている。しかも、FAの権利だけはちゃっかり行使してFA第1号として、よりによって中日からライバルの巨人に移り、周囲をあ然とさせている。
波瀾(はらん)万丈の野村、落合監督の野球人生の陰にいるのが、サッチー、ノブゴンと呼ばれる猛妻だ。亭主を自由自在に操る野村沙知代夫人と、落合信子夫人の手腕は優劣つけがたい。野村監督が南海を追放されたのも、沙知代夫人のチームへの介入が原因だった。
「女ができたらいつでも別れてあげるから。でも、家も車もすべて私のものだから、裸で出て行きなさい」。沙知代夫人はこう野村監督に宣告しているという。シーズン中なのに、自らの著書が出版されるからと、サイン会に亭主を引き連れてくるのだから、夫唱婦随ならぬ婦唱夫随ぶりは恐れ入る。
「それでも、野村監督はサッチーがいないと何もできない。ヤクルトの監督から始まり、すべてサッチーが芸能界の敏腕マネージャー並みの交渉手腕を発揮しているおかげで、73歳の今もユニホームを着られている」。球界関係者の誰もがこう認める。鶴岡一人、三原脩、藤本定義、水原茂に続く史上5人目の監督1500勝を記録した4月29日の記念の試合後には、もちろん沙知代夫人が登場して、堂々と祝福のキスだ。
一方の信子夫人の方も負けてはいない。落合監督の背番号66を着けて、ナゴヤドームに現れ、スタンドのファンと握手したり、記念撮影に応じたりと、無愛想な夫に代わり、ファンとのスキンシップ作戦を展開している。亭主には毎日のようにアドバイスを送り、総監督的な存在だ。巨人にFA移籍した際のエピソードがすべてを物語る。背番号6に執着した落合だが、篠塚(現巨人コーチ)も「愛着のある背番号だから譲れない」と譲渡を拒否。頭を抱えた長嶋監督は、究極の解決策を考え、信子夫人に電話。「僕の永久欠番の3番を譲るから」と伝えたのだ。「いくら何でも永久欠番の3番は恐れ多くて頂けません」と恐縮した信子夫人が、亭主に対し「長嶋さんがあそこまで思ってくれているのだから、66番で我慢しなさい」と言い渡し、一件落着したという。
サッチーかノブゴンか。球界ナンバーワン猛妻はどちらか、軍配を上げにくい。巨人大物OBはこう語る。「サッチーでしょう。信子夫人は料理を作るし、上手だというからね」と。