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生稲晃子、乳がんの闘病生活振り返る「一番信頼できる友達には伝えたほうがいい」

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生稲晃子

 2011年に乳がんを発症した女優の生稲晃子が29日、都内で行われた「ピンクリボンフェスティバル2019」でトークショーを行った。

 乳がん検診の大切さを伝え、患者を支えていくことを目的とした同フェスティバルの中、「乳がんと向き合うために」と題し、朝日新聞科学コーディネーターの高橋真理子氏と共に壇上に立った生稲は、5年間に渡って手術と再発を繰り返し、乳房を全摘の後、再建し現在に至っている。現状については、冒頭で「今のところ何もなく来ています。大丈夫」と報告し、人間ドッグでがんが見つかった際の心境を振り返りつつ、「最初にがんが見つかった時より再発の時の方がショックだった」と当時の心境を紹介した。

 2度目の再発は医師の触診で見つかったといい、「先生に何かがあると言われ、これがどうしても気になるということで調べてもらったら、悪性だとわかった。その時のショックは最高の地点に到達していました」と生稲。「今までより最悪のことを考えないといけないと思いました。もっとつらいことが待っているかもしれないとなんとなく感じました」と述べ、その後、乳房の全摘を決意。「先生から『この後同じことがまた起きたら危険かもしれません』と言われて、子供が小さかったので死ぬわけにいかないって。先生に言われたその日に全摘をしようと決意しました」と回顧。当時まだ5歳だった娘にもがんのことを報告した。

 闘病生活で一番つらかったのは、世間に隠していたことだとも話し、全摘の後、乳房の再建手術をするのに2年かかったといい、「その2年の間に公表しようかなと思いました」と再建手術後、2週間後に週刊誌で公表した。身近なママ友に関しては、「ママ友二人だけに話をしていた」とも明かし、「手術の時に言ったんです。全摘の時。怖かったので、もし万が一何かが起こってしまったら、娘が友達のママに助けてもらえるかもしれないって、一番近い友達に話をしました」と回顧。

 「大きく驚かれることはなかったです。気づいてあげなくてごめんねって言われたんです。わたしを本当に心配してくれているんだっていうのが伝わってきて嬉しかった」と振り返り、「手術が終わって病室に花を届けてくれた。それは造花なので今でも部屋に飾ってあります。本当に感謝しました。(がんになったら)一番信頼できる友達には伝えたほうがいいと思います」と客席へ呼びかけた。

 乳房再建については、「あの時ベストな選択だと思ってやりました」と言うが、その後、人工乳房が悪性リンパ腫になる可能性が高いとの報道が出た。生稲はそれでも「再建は後悔していないです。悪性リンパ腫になる可能性があることは後で分かったこと。それを今さら後悔してもしょうがない。右胸を見なければ今は自分が乳がんであることを忘れるくらい。(そういう問題が出たことで)もう一度体のチェックをする機会に恵まれた」と前向きに捉えることにし、その問題とも真摯に向き合っているという。

 最後に「乳がんになったことをよかったと思っています」とも発言。「乳がんになった後、ものすごく基本的なこと、自分が周りに支えられて生きていることを学ぶことができました。あと、普通に生きることがとっても大切なことだとも気づきました。乳がんになったのは貴重な経験。ある意味この病気に感謝しています」と感慨深げに話していた。

(取材・文:名鹿祥史)

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