1965年生まれのさくらさんは、太田光とは同学年、田中裕二は一学年上と、同世代といえる関係である。爆笑問題の2人は『ちびまる子ちゃん』(フジテレビ系)のアニメ放送がスタートした直後に、さくらさんと会っていた。
当時「イカ天」がブームであり、さまざまなバンドとお笑い芸人がコラボするイベントが行われていた。だが、双方の客層はかぶっておらず、「何回かやって成功した試しがないものだった」と太田はふり返る。劇作家のケラリーノ・サンドロヴィッチ主催のイベントに出演し、バンド演奏の幕間にコントや漫才を披露するも、案の定まったくウケなかった。
楽屋に戻った太田は悪態をつく。そこにケラと話している「小さい女の子がいて、それがさくらももこさんだった」が、太田はそこでも「何がさくらももこだバカヤロー。金ばっか儲けやがって」と毒づいたようだ。当時の爆笑問題は、ようやくテレビに出はじめた無名の若手芸人である。当然、こちらのことを覚えていないと思っていた。
ところが、10年以上が経ち、爆笑問題は『ちびまる子ちゃん』のエンディングテーマとして『アララの呪文』(ちびまる子ちゃんwith爆チュー問題)のオファーを受ける。レコーディングの現場でさくらさんと再会した爆笑問題は、ライブの話を持ち出すと、強烈に覚えていたようだ。すでにさくらさんは爆笑問題を知っていたが、緊張して声をかけられなかったという。太田は「嬉しかったなあの時。そんな風に知ってくれていたんだ」と振り返り、「(さくらさんとは)接点なんて全然なかったけれども、フジテレビから冷たくされた『爆チュー問題』をいまだに覚えてくれている人がいるのは、(「ちびまる子ちゃん」のエンディングテーマに起用してくれた)さくらさんのおかげだね」と述べ、「寂しいな本当にね」と故人を悼んだ。
これを受け、ネット上では「そんなつながりあったのか」「やっぱり人が死んじゃうのは切ないね」といった声が聞こえる。いつもはギャグを交えながら話す太田であるが、この日は終始しんみりとしたモードでありショックを隠しきれない様子だった。