現在の日本では考えられないことかもしれないが、その段階ではぼや程度だったこともあって一斉避難は始まらず、試合もテレビ中継も続行されていた。ところが、わずか数分で炎は客席の屋根に達し、みるみるうちにメインスタンドの屋根全体へ燃え広がっていったのである。炎上したヴァレリー・パレードスタジアムは、当時すでに築76年と老朽化が進んでいた上にスタンドも木製だったため、試合後は改修工事が予定されていた。その矢先に火災が発生したのである。
スタジアムの屋根はゆるやかな切妻型で、せり上がった客席の最後部と接続するような構造だったため、炎の熱気がそこへ滞留していった。おまけに木造屋根に塗布されていたコールタール状の防水防腐剤が熱気で蒸発し、可燃性のガスとなってスタンド内にこもっていった。立ち込めた可燃ガスがスタンド内で連続的に発火し、ごく短時間で客席すべてが炎に包まれた。
火の手が大きくなると、若いサポーターは「なれたしぐさで」仕切りを乗り越え、素早くピッチ上へ避難したが、客席には多くの老人や子供、女性がとり残されていた。巨大なかまどと化したスタンドでは、高温の熱風が彼らの衣服や頭髪に引火して阿鼻叫喚の火炎地獄が出現したのである。その模様はテレビで生中継され、全英を震撼させた。
火災の死者は56名に達し、現在でもなお英国史上最悪のスタジアム火災となっている。また、優勝セレモニーが行われたこともあり、犠牲者にはクラブ元会長や選手の知人などが多数含まれ、中には一家全滅やそれに近い悲劇に見舞われた家庭もあったという。そして、ブラッドフォード全体が悲しみに包まれた時、ある噂が流れた。
得体のしれない人物が、犠牲者に「最終戦は見に行かない方がいい、スタジアムには行かない方がいい」と忠告していたとの噂が…。
(続く)