新しい時代を前に「平成」のプロ野球を振り返る。
■平成が進むとともに動きを見せる野球界
平成が始まった今から30年前。1989年シーズンのまばゆい風景は今なお輝きを放ち続けている。
近鉄バファローズ・オリックスブレーブス・西武ライオンズの三つ巴の争いとなったパ・リーグのペナント争い。あの「10・12」と呼ばれた近鉄と西武のダブルヘッダーは現在でも折に触れて語られるほどの激闘であり、その結末は王者・西武が完膚なきまでに叩きのめされた衝撃的なものだった。また、セ・リーグ覇者である巨人との戦いとなった日本シリーズ、3連勝で悲願の日本一まであと一歩に迫った近鉄を巨人が4連勝で逆転するという、こちらも劇的なシリーズを展開した。「平成元年」は多くの野球ファンの脳裏に刻まれるシーズンだったことは間違いない。
その後、野球界は大きな時代のうねりに包まれていく。
1993(平成5)年にはFA制度が制定され、トレード以外での主力選手の移籍が活発化することに。さらに同じ年、ドラフト制度に逆指名が導入され、その後も自由獲得枠や分離ドラフト(いずれも現在は廃止)など、それまでの形から大きく形を変える。そしてこの選手の移籍・入団における新たなルールにより各球団の勢力図にも影響を及ぼすこととなる。
■訪れた国際化の波
そして野茂英雄がアメリカ・メジャーリーグ挑戦のために海を渡ったのが1995(平成7)年。
日本人として初めて本格的にメジャー球団の一員としてアメリカの地を踏み、パイオニアとしての目覚ましい活躍を果たした。近鉄退団、ロサンゼルス・ドジャースとの契約にたどり着くまでは当時、さまざまな波紋を呼んだものの、以降は野茂に次いでアメリカを目指す日本人選手が続出。もはや日本のプロ野球の枠に収まらず、メジャーという最高峰の舞台を選手のみならずファンも求め始めたのもこの頃だ。
国際化という意味でもう一つ大きな出来事も。1998(平成10)年、オリンピックをはじめとする各主要国際大会へのプロ選手の参加が可能となり、12月のバンコクアジア大会では韓国が結成したプロ主体の「ドリームチーム」に、アマチュアのみの日本代表が惨敗、翌年のオリンピック予選からついに日本のプロ選手が送り込まれるきっかけとなる。現在、常設されている「サムライジャパン」に象徴されるように、日本代表チームはオリンピック、さらにはWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)などの国際大会において、プロ選手主体で世界の頂点を目指す時代に突入した。
■新たな時代の扉とともに
平成も半ばとなった2000年代に入ると、日本球界の骨格が揺らぐ出来事が相次いだ。
2004(平成16)年に起きた近鉄とオリックスの合併に端を発した球界再編問題、さらに同時期に発覚した裏金問題はいずれも野球界に大きな影を落とした。史上初となる選手会のストライキ決行、東北楽天ゴールデンイーグルスの新規参入決定や現在両リーグで行われているCS(クライマックス・シリーズ)の原型であるプレーオフ制度が取り入れられたのもこの年。翌年からは両リーグによる交流戦も始まった。試合数も増加する中、ペナントを争うグラウンド上の景色も変わり、投手の分業制の細分化など選手の起用方法も少しずつ時代に沿ったものとなっていく。
30年に及んだ平成という時代、野球界が残した足跡は深く、そしてさまざまな変革を行ってきた。新時代を前にし、「平成」の象徴とも言えたレジェンドがグラウンドを去った今、新たなスーパースターの誕生と、そして何より、胸躍るような名勝負がスタジアムで見られることを強く望む。日本のプロ野球は新しい時代の訪れとともに、また一つずつ、歴史を積み上げていく。(佐藤文孝)