6月1日付で調教師免許を取得したのに伴い、先日、20年間のジョッキー生活に幕を引いた鈴木啓之調教師(大井)は「小筆先生に拾われていなかったらとっくに引退していた」と話す。
小さいころからの夢をかなえジョッキーになったが、スタートからつまずき、夢と現実のギャップに悩んだ。「騎乗馬が少なかったり、描いていたイメージとだいぶ違ったりして。2年目くらいで一度(ジョッキーを)あきらめかけたことがあった」そんなとき、何かと気にかけてくれた故小筆昌調教師のもとへ。ジョッキー人生の歯車が噛み合い始めた。
そして1991年、第37回東京ダービーをアポロピンク(牝、大井・小筆昌厩舎)で制し、ジョッキーとしての夢「ダービージョッキー」になる。だが、これも師の力添えなしには成し遂げられないものだった。「馬主さんは『ダービーは的場(文)さんで』と言ったんだけど、先生がそれをキッパリ断って乗せてくれた。ときには馬主さんとケンカしてでも乗せてくれる。そんな人だった」よき師との出会いは、よき弟子をすくすくと育んだ。
また、54回の歴史の中で4頭しかいない牝馬の東京ダービー制覇を成し遂げたアポロを筆頭に、「なぜか牝馬に縁があった」と言う。それだけに、これまで一番勝てなくて悔しかったレースは東京プリンセス賞。ジョッキーで果たせなかった夢は調教師としてかなえるつもりだ。
今後は高橋三師の下で開業準備を進め、栗東トレセンなどにも足を運びながら調教師修行を積む。「調教師としても感動と夢を追いかけたい」人は縦糸、馬は横糸。人馬との出会いが鈴木の夢を紡いでいく。