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お笑い界の“変わり種”たけし軍団(前)

 お笑い業界広しといえど、愛車が白のロールス・ロイス・ファントムであるのは、ビートたけしだけだ。そこで、2週にわたって、業界一のアウトサイダーで結成されている、たけし軍団を分解していこう。前半は、軍団員についてだ。

 たけしと残りの人生を歩みたいと願った者たちだけが集まった、たけし軍団。1983年、草野球チームを作りたいという理由で結成され、名乗った。実は今年は、30周年のメモリアルイヤーだ。名前のルーツは、石原軍団。パクった。述べ人数は、およそ100人。うち、たけしが50〜60人もの芸名を考案した。

 構成は、1軍〜3軍、その下の若手枠、そして外国人部隊という4層+1枠。一番弟子は、元宮崎県知事の東国原英夫(当時は、そのまんま東)だ。

 東が知事になり、その名が空位になったことで「二代目そのまんま東」を襲名したのは、ベナン共和国出身のゾマホン。当時は、東京・高円寺で4畳一間のボロアパートに住んでいたが、現在はなんと、駐日ベナン共和国大使に就任。運転手つきのリムジンを持ち、大使館に住むという栄転をとげた。もちろん、東と同じく離脱組。軍団内では現在、のちに国を動かすほど出世するかもしれない「三代目そのまんま東」を、募っているという。

 ダンカンやラッシャー板前、ガダル・カナル・タカなど創設期のメンバーは1軍。2軍はたけし軍団セピアと呼ばれ、こちらは一世風靡セピアのパクリ。3軍は浅草キッドブラザーズと呼ばれ、こちらは東京キッドブラザーズのパクリ。パクリの元ネタが解散するという、らしいオチもしっかりついている。

 ちなみに、浅草キッドブラザーズのチームリーダーは当然、浅草キッド。NHKは「玉袋筋太郎」としての出演を20年間許さず、出演時は「知恵袋賢太郎」に変更していたというのも、今ではテッパンのオチである。

 次回はそんな軍団員たちの、過酷な仕事に迫っていこう。(伊藤由華)

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