また渡部以外にも佐々木はかつて、ジャニーズグループ『嵐』の二宮和也とも交際が一部週刊誌で報じられたが、二宮といえば、根っからのケチエピソードが有名である。その一部を紹介すると、“ファッションにはお金をかけない”“後輩と飲んでも財布を出さない”“美味しいと感じるのは安いもので、高いものは美味しいと思わない”など、嵐のメンバーでなければ、女性から敬遠されるような行動ばかり。それに対し、アンジャッシュ渡部は、美食を極めることに精魂を傾けるグルメ王であり、自宅デートが当たり前の二宮とは対極の存在だった。だからこそ佐々木は新たに現れた渡部に、心惹かれていったのかもしれない。
そんな佐々木が芸能界へ入るキッカケとなったのが2005年、地元・秋田の働いていたファッションビル内で声をかけられ、漫画雑誌に写真が掲載されたことだった。そこからグラビア企画『ギャルコンJAPAN』の初代グランプリを獲得。だからといって当時の彼女は、そのまま芸能界へ足を踏み入れるとは、まだ思っていなかったようだ。
「秋田のショップで働いてて、当然のように今までの生活が続くんだと思ってた。秋田から出るつもりもなかったんです」
だがその後、4,290人が応募したファッション雑誌『PINKY』のオーディションを受けてみると、そちらも見事、グランプリを受賞。本格的に芸能界へ入っていくこととなる。それはやっと自分の進むべき道が見つけられた瞬間だったのかもしれない。なぜなら、佐々木はそれまで様々なバイトを経験したものの、どれも長続きしなかった。その理由を以下のように語る。
「ココイチ、平禄寿司、ティッシュ配り、カラオケ、カフェ。なぜかほぼ痴漢されてやめた」
彼女は類い稀なルックスを持ち合わせていたことで、危険な状況に遭遇する頻度も多かった。だからこそ芸能事務所など、大勢の大人に守ってもらえる芸能界に入ったのは正解だったのかもしれない。そしてそこからはモデル、バラエティタレント、女優など、順調に活躍の場を広げていく。
「昔から、何度も失敗して、何回も壁にぶつかってきました。でも不器用で良かったって思うんです。ぶつかるのは嫌ですけど、ぶつからないと分からないこともいっぱいあるじゃないですか」
彼女は近年、女優業について“ぶつからないと分からないこともある”と語った。だがこれは彼女の生い立ちにも繋がることなのかもしれない。佐々木といえば、地元では生粋のヤンキーとして知られており、明るい色に髪を染め、タバコを咥えた学生時代のプリクラ写真まで流出している。
「兄二人に囲まれて育ったせいか、小さい頃からヤンチャばっかしてましたね」
佐々木の言うヤンチャとはどのような事だったのだろう。一部報道によると、彼女の武勇伝において伝説として語られているのが『髪切りデスマッチ』である。これは当時、秋田の祭りの夜に行われていたタイマンバトルのことだ。そこでは殴る蹴るは当たり前で、最終的には髪を切られるという凄まじいデスマッチだったという。そして、なんと佐々木はその戦いの日々において、連戦連勝の無敗伝説を作ったと噂される。
つまりそんな佐々木を落としたいならば、まず彼女にタイマンの『髪切りデスマッチ』を申し込むしかない。しかし相手は百戦錬磨の無敗女王。まともにやってもボコボコにされるだけだ。
そこで我々が行う事は、試合開始後すぐに、用意してきた成人向け雑誌を熟読すること。一生懸命そこに写された卑猥な写真を目に焼きつけ、興奮状態へと持っていくことで、男性ホルモンを活発にするのだ。多くの抜け毛の原因は、男性ホルモンの過剰分泌だと言われている。
つまり興奮が最高潮に達した瞬間、「おれの…、おれの…、俺のホルモン出てこいやぁぁーー!」と叫びながら、自分の髪の毛を全力でむしり取ろう。そう、髪を切られる『髪切りデスマッチ』ならば、その必勝法は髪をなくすこと。髪がないのだから、こちらの勝ちは確定である。結果、佐々木は初めて味わう敗北で、その場に膝から崩れ落ちるに違いない。ここまでくれば、後は優しく抱き寄せてあげるだけで、彼女はもう落ちている。やはり誰よりも強い者を前にして、好きにならないヤンキーはいない、ということであろう。
(文・柴田慕伊)
【参考】
・写真集『nozomi』
・モデルプレス 2015年6月24日
・週刊プレイボーイ 2008年11月10日号
・週刊文春 2011年7月28日号
・行列のできる法律相談所(日本テレビ系)2016年2月13日
・ホンマでっか!?TV(フジテレビ系)2013年3月13日