ガンダムからロックマン、B級ホビーまで様々なジャンルの漫画を連載していたこの雑誌で幼年時代を過ごした方は意外と多いのではないだろうか?
そこで今回はファンの間でいわゆる「黄金期」と呼ばれた2000年前後にボンボンで活躍した漫画家達の「今」をご紹介したい。
【『サイボーグクロちゃん』を連載していた横内なおき】
1999年にアニメが放映され小学生のアイドル的存在となった『サイボーグクロちゃん』。
アニメ化された頃には表紙に登場する事も多く、トミーから発売された玩具も好評を博していた。
しかしアニメは放映が延長されたものの制作会社の倒産により2001年1月に打ち切り。クロちゃんの連載もその年に終了してしまった。作者の横内氏はその後、デビュー作のリメイク的作品『ウッディ・ケーン』を連載していたが物語は完結しないまま突然終了。
その後はクロちゃんのコミカライズ作品の監修などをしていたが、その連載も終わると表舞台には現れなくなる。しかし2009年にディズニーの短編アニメ『ファイアーボール』の公式ブログのロゴデザインとイラストを担当。現在も活動中である事が確認された。
【『メダロット』を連載していたほるまりん】
クロちゃんとの二枚看板でボンボンを支えた『メダロット』。アニメも放映され、今も新作ゲームが開発されるなど根強いファンを持っている。原作者、デザイナーで漫画の連載をしていたほるまりんは『メダロットシリーズ』を2003年に終了。その後は専門学校講師兼漫画家として活躍中。現在もゲーム雑誌でメダロットの連載をしている。
【『ガンダムシリーズ』を連載していたときた洸一】
ボンボン誌上で『ガンダムシリーズ』を描いていたときた洸一。シリアスな作風から『ドモンくん』のようなギャグまで器用にこなせるボンボンの要的存在だった。ボンボン休刊後、ときた氏は角川書店に活躍の場を移し今もガンダムを描き続けている。
【『ウルトラ忍法帖』を連載していた御堂カズヒコ】
ウルトラ忍者の活躍を10年以上に渡り描いてきた御堂氏。『ウルトラ忍法帖』はボンボン最長連載作品で平成16年度の講談社漫画賞を受賞している。
ボンボン休刊後はHXL(ヒーロークロスライン)に参加し『ウサ探』を連載していた。
HXLは御堂氏の他、松本久志、出月こーじなどかつてボンボンで連載を持っていた漫画家たちも多く参加している。
【『マリオシリーズ』を連載していた本山一城】
パロディや芸能人ネタが満載だったボンボンのマリオ。あまりにハチャメチャな内容に読んでいるこっちがハラハラしていた。そんな本山氏はなんと歴史漫画を描いている。実は本山氏の祖先は戦国時代の武将、黒田如水。黒田氏の収集家でもありHPからは貴重な資料なども読める。
今回、ご紹介できたのはごく一部であるが、当時のボンボンで活躍した作家は今も変わらず活躍している。漫画学校の講師になった者も多く、前述のほるまりん以外にも『騎士ガンダム物語』のほしの竜一や『餓狼伝説』の細井雄二なども漫画学校で教鞭をとっている。
ボンボンは既に無くともその魂は今も生き続けているのだ。
(昭和ロマン探求家・穂積昭雪(高校生までボンボン派の24歳)山口敏太郎事務所)
【参照】山口敏太郎公式ブログ「妖怪王」
http://blog.goo.ne.jp/youkaiou