赤坂氷川神社は、ヤマタノオロチを退治したスサノオノミコト、スサノオノミコトによって助けられ、のちに妃となったクシイナダヒメノミコト、「因幡の白ウサギ」のオオクニヌシノミコトがまつられている。3柱は、縁結びの神としても知られ、赤坂氷川神社では良縁祈願の神事が、原則毎月、友引の日を選んで執り行われている。
その赤坂氷川神社に推定樹齢400年の大イチョウがあると聞いて訪れた。イチョウは生きた化石ともいわれ、恐竜が生息した時代には複数の種が地球上に分布していた。氷河期に絶滅しかけ、中国大陸に残っていたものが日本に渡ってきたという。
赤坂氷川神社のイチョウは、高さ約8メートル、幹の太さ約2.5メートルの雄株で、秋には黄色の落ち葉で境内を埋める。周辺には、六本木ヒルズや東京ミッドタウンなど、高層ビルや複合商業施設らが集まった地域もあるが、赤坂氷川神社付近は静かな雰囲気に包まれ、隆起した地表が武蔵野台地のなごりを残している。
赤坂氷川神社の現在の社地には、かつて忠臣蔵の浅野内匠頭の妻・瑤泉院(ようぜんいん)の実家である浅野土佐守の屋敷があった。大石内蔵助が討ち入りの朝、瑤泉院を訪問するも、吉良上野介の間者の存在に気がつき、あだ討ちはあきらめたと嘘をつく場面がある。内蔵助が無人の門前に一礼してから去っていく南部坂も、赤坂氷川神社の近くにある。
赤坂氷川神社がある場所は都心のテレビ局から近いこともあり、質実簡素な建物がたたずむ広い境内が、撮影に使われることも多いとか。記者が訪れた日は、時代劇の撮影が行われていた。
また、赤坂氷川神社から東京ミッドタウンへ向かう途中に、檜坂がある。付近は、江戸時代には長州藩毛利家の広大な下屋敷があった場所で、檜の木が多く生えていたことから檜屋敷とも呼ばれた。
檜坂に寄り添う檜公園に、かつての大名庭園の面影が残されている。(竹内みちまろ)