まず、2月19日に『ジャイアント馬場没20年追善興行〜王者の魂〜』が両国国技館で開催された。メインイベントでは棚橋弘至(新日本プロレス)とヨシタツ(フリー)が、宮原健斗(全日本プロレス)、関本大介(大日本プロレス)と対戦。11月15日には『ザ・デストロイヤー メモリアル・ナイト〜白覆面の魔王よ永遠に〜』が大田区総合体育館で開催。メインイベントでは、武藤敬司(W-1)、獣神サンダー・ライガー(新日本)と、宮原がトリオを結成し、SANADA&BUSHI(新日本)にKAI(フリー)を加えた同期トリオと対戦している。
どちらの大会も、全日本プロレスにゆかりがある選手が歴史をまたいで集結。そこに新日本など他団体が力を貸し、結果的に豪華なメンバーがそろったオールスター戦が1年に2回も実現した。これは日本プロレス界の歴史の中でもまれだろう。
90年代まで新日本の選手はテレビ朝日と、全日本の選手は日本テレビとそれぞれ専属契約を結んでいた。“テレビ局の壁”ともいわれたがこれが2000年代に入り崩壊。また、新日本と全日本の分裂劇もあって、「夢のカード」が続々と実現。これが出尽くしてしまったことで、プロレス界は厳しい時代を迎えていた。ここを何とか乗り切った新日本は2012年にブシロードに買収されてから、他団体に選手を貸しても他団体から借りる選手は“最低限”にとどめ、契約する選手だけで興行を開いて再建、現在に至っている。
“鎖国”はジャイアント馬場さんが社長を務めていた時代の全日本プロレスの専売特許だったが、鎖国を貫いたことで、全日本の選手の価値が上がったのは事実。それだけに、両大会のメインイベントに出場し、新日本の選手と“絡んだ”全日本の三冠ヘビー級王者、宮原にとっては、己の存在感をアピールするチャンスとなった。そんな中、宮原は入場時から「健斗」コールをあおり、自らの世界観にリングを染め上げてみせた。
棚橋は「宮原選手は本当に宝だと思いました。ハートの部分が屈託がないというか、明るい光を放っているので、昔の棚橋…。いや、僕を超える素材になると思います。これからのプロレス界は宮原選手が語ればいい」と絶賛。武藤は「俺らが知らないタイプのレスラー」と武藤らしい表現で宮原を評価していた。
宮原は2月の大会で棚原と対戦した後に「今日当たれたというのは、プロレスの神様も何か意味があると思う。その意味を確かめながらレスラーとして生きていく。この先も何が起こるか分からない」と口に。三冠ヘビー級王者として恥じない姿を見せつけて、さらなる自信につなげていた。
全日本の宮原、ノアの清宮海斗と、団体対抗戦を知らない世代がトップとして台頭してきたのは、プロレス業界にとって夢のあること。令和の夢のカードは彼らが作っていくのだろう。
(どら増田)