飯塚は1985年5月に新日本プロレスに入門し、翌年11月にプロレスデビューを果たした。89年4月に初の東京ドーム開催をすることになり、新日本はアメリカ、ソビエト(現ロシア)との日米ソ3国対抗戦を企画。ソビエトの元メダリストらを新日本のリングに上げ、レッドブル旋風を巻き起こした。
飯塚はソビエトにサンボ留学し、ブリザード・スープレックスや裏投げ、ビクトル式膝十字固めを会得。先輩の船木誠勝、2年後輩の鈴木みのるがUWFに移籍していく中、期待の若手選手としてチャンスを与えられ、同年7月には長州力とのタッグでIWGPタッグ王座を獲得している。
その後も故・橋本真也とのタッグで、小川直也&村上和成と抗争。村上を絞め落とした“魔性のスリーパー”は飯塚の代名詞となった。永田裕志とのタッグでもIWGPタッグ王座を獲得するなど本隊の中堅選手として活躍していたが、2008年3月に天山広吉との友情タッグを裏切りG.B.H(当時はヒールユニット)に加入すると、頭をスキンヘッドに刈り上げた。当初は「カネのため」などと少しは言葉を発していたが、天山や永田との抗争に入ると現在の凶悪スタイルに変貌し、叫び声以外に発言することはなくなった。
またテレビでは『ワールドプロレスリング』(テレビ朝日系)の実況・野上慎平アナウンサーを入場時に襲撃することが話題となり、テレビ収録がある会場では、どのタイミングで野上アナが襲われるのかがファンに注目されていた。また会場の意外なところから入場し、客席を暴れながら渡り歩きリングに向かう。今では入場時に観客が逃げなければ襲われそうな数少ない選手の一人である。
昨年11月に開幕した『ワールドタッグリーグ2018』では鈴木とのタッグでエントリー。後楽園で行われたザック・セイバーJr.&タイチとの鈴木軍同門対決では、敗れはしたもののザック相手に“魔性のスリーパー”を久々に披露。場内は大飯塚コールに包まれた。この試合は近年の飯塚の試合の中でもベストバウトと言ってもいい。ここ数年は怪我で欠場することもあった飯塚だが、現在52歳。平成が終わりを迎える前にリングを降りる決意をした。
10年間ノーコメントを貫いた男が、引退試合で誰と相まみえ、どんな試合をするのか?またファンに挨拶をするのか?そして野上アナとの最後の絡みも大いに注目されるところだ。
取材・文 / どら増田
写真 / ©︎新日本プロレスリング