『江』ではサブタイトル詐欺が定番になっている。第24回は「利休切腹」であるが、実際の切腹は次回であった。第28回「秀忠に嫁げ」のメインは豊臣秀次事件であり、徳川秀忠(向井理)への結婚はラストで触れられたに過ぎない。前回の第32回「江戸の鬼」も、鬼である大姥局の登場はラスト5分程度で、具体的な対決は今回に持ち越された。
鬼と表現される大姥局であるが、意外にも主張は真っ当である。男子出産を期待することは戦国時代の武将の家では当然である。また、徳川家の家風が質素であることは事実であり、織田家や豊臣家の派手さに慣れた姫に徳川家の家風を説明することも自然である。
むしろ、大姥局の言葉に大袈裟に「はあ」と聞き返し、反発する江が武家社会では異常である。これは戦国時代の常識に異を唱える現代的価値観を持った主人公という序盤からの流れと共通するが、主人公を絶対正義とするほどナイーブではない。
今回の江は大姥局にだらしなさまで注意されている。江は反発するものの、やり込められてしまう。主人公として良いところのない展開であるが、大姥局の正しさを認めて心服する訳でもなく、ふて腐れたままである。一方で大姥局の方でも安産のためと称して、江から見れば無意味な苦行を課している。この点では江が反感を抱いて当然である。
反発していた二人が衝突した結果、互いを認め合うという展開はドラマの定番であるが、江と大姥局の不毛な対立は昇華しそうにない。大姥局には江に意地悪をしているという意識は欠けている。秀忠以外にも徳川家の家督相続の候補が存在する中では、嫡男の誕生は秀忠の跡取りとしての立場を強固にする。秀忠を盛り立てるという点では江も大姥局も運命共同体であり、嫡男誕生は江のためでもある。それを求めて恨まれる筋合いはないとなるが、江から見れば大姥局は悪意の塊である。
このギャップは織田信長(豊川悦司)と明智光秀(市村正親)の対立にも存在した。信長の論理では光秀に期待しているが故に厳しくしたとなるが、光秀にとっては嫌がらせに過ぎない。現代のパワハラ(パワーハラスメント)に通じるギャップである。
さらに今回は石田三成(萩原聖人)と福島正則ら武断派諸将との対立でもギャップが描かれる。三成が朝鮮から撤退した諸将に、疲れをとるために湯につかることを勧める。これに対して、諸将は「それほど自分達は臭いのか」と怒りを大きくする。三成に悪気はないが、相手の心を読まない自分勝手な配慮の押しつけが反発を受けた。
『江』では対立するだけの事情を描きながらも、一方が正義で一方が悪という明確な価値判断を押し付けない。これは「女の道は一本道」を掲げた同じ脚本家の大河ドラマ『篤姫』と比べて物語としては分かりにくいが、複線的な視点を提供する。シナリオに深みが増した江の今後の展開に注目である。
(林田力)