天野氏の家族によれば、同氏は18日に死去したが、本人の願いで公表は22日になったという。天野氏は生前から職務上の情報管理を徹底していたが、自身の死因まで情報漏洩を防いでいた。
「天野氏の任期満了は2021年11月末ですが、昨年夏ごろから健康を害し、昨年の年次総会を欠席するなど、その職務履行がより難しくなっていました。今年に入り、20年3月をメドに早期辞任する意向というニュースが流れていましたので、病死されたのだろうと思いますが、病名が明かされていませんので、憶測を呼んでいるのです」(欧州在ジャーナリスト)
天野氏が情報管理を徹底したのにはワケがある。IAEA内で日本人は“情報管理が甘い”というレッテルが貼られているからだ。
「チェルノブイリ原発事故が発生した1986年、ソ連政府はその調査報告書をIAEAに通達したのですが、公表する数日前に朝日新聞がその全容をスクープしたのです。当時のIAEA広報部長は日本人で、この部長の席にあった報告書を朝日の特派員が盗んだことが後日、明らかになっています」(国際ジャーナリスト)
“天野氏暗殺説”はフェイクか恣意的な情報操作の可能性が高いが、その情報を無視できないのはナゼか…。
「死因が公表されていないことに加え、現在、イランの核問題が再び先鋭化してきた時期であり、天野氏がイランの核報告では、イランが核合意を順守していると繰り返し、イランの核兵器開発容疑を主張するトランプ米政権にとっては好ましくない人物と受け取られてきたことなどがあるからでしょう」(同・ジャーナリスト)
天野氏の前任者でエジプト人のモハメド・エルバラダイ氏は、最終的にはノーベル平和賞の受賞という栄誉を得たが、肝心の北朝鮮の核問題では何の進展ももたらせなかった。特にエルバラダイ時代に北朝鮮は最初の核実験を行っている。
被爆国・日本として核専門機関の事務局長ポストを得ることは日本外務省の悲願だった。天野氏は日本中の願いを受けて出馬したが、当選に必要な有効票3分の2を獲得することは非常に困難な状況だった。それが土壇場で反対票を投じてきた国が棄権に回り当選できた。
天野氏は被爆国・日本の誇りである。