「(同じ派閥の)小沢一郎が物事をドスンと決断、実行する“ナタ”の魅力なら、橋本はスパッと切る“カミソリ”の魅力がある。IQの高さは相当のものがある」(田中角栄元首相)
「呑み込み早く、切れ味は抜群。政策でも、言うことがない。総理になったあとの予算の組み方も、オレより上。ファンダメンタルズ(経済の基礎的指標)についても誰よりもわきまえている。まれに見る“仕事師”だ」(竹下登元首相)
なるほど、若き日の厚生政務次官(現・政務官)では厚生省内の反対を押し切って将来の環境行政の必要性を訴え、後の環境省設置への先導役を果たし、厚生大臣になるや“大圧力団体”の日本医師会を向こうに回して健康保険法改正を実現、合わせてそれまで続いていた厚生省と日本医師会の対立関係を正常化に持っていった。また、この厚相時には同時に長年の懸念だった「スモン(病)訴訟」を解決に導いてみせた。さらには、中曽根康弘元首相が緒につけた至難の日本電電公社、日本専売公社、日本国有鉄道の分割・民営化を、厚相あるいは運輸相としてもキッチリ実現させてみせるなどの「仕事師」ぶりだったのだ。ところが、これだけの人物にかかわらず“玉に瑕”、いささか人望に欠けた。そんな橋本をそばで見てきた政治部記者の、こんな証言が残っている。
「気位が高い、向こうっ気も強い自信家だ。官僚と渡り合っても、筋が違うと徹底的にやり込める。新聞記者にも、木で鼻をくくるように『もっと勉強して出直してから来い』とやる。官僚の中にはさんざん反論、逆襲され、メンツ丸つぶれで泣いて大臣室を出て来た者もいる。本人は純粋な気持ちで物事を合理的にやっているつもりのようだが、結局は真の子分はほんの少ししかできなかった」
付いたアダ名は怖いものなしで風を切って歩くことから「風切り龍太郎」、カゲ口は食いつかれたら血が出ても放さないことから「カマイタチ」だった。
しかし、これだけ自信家、頭の切れる人物も、本来なら一気に総理へのイスに駆けあがっておかしくないが、回り道が長かった。本人もなかなか“順番”が来ないことに、いささかガックリのようであった。ようやく宿願を果たしたのは、社会党の村山富市を「自社さ」3党の連立政権で首班に担ぐという“奇策”で自民党が政権奪還を果たした後、この村山が退陣したあとの自民党総裁選に出馬、ライバルの小泉純一郎を競り落してということだった。政権スタート時は「龍ちゃん」「橋龍」と親近感を持たれ、国民人気も高かった。そして、表題の言葉があったということである。その言葉は、もう少し詳しく言うと次のようになる。
「(天下取りは)結局は、運や巡り合わせに左右されるのではないか。(政治の世界でも)大きく見れば、その時その時に人はうまい具合に選ばれている。沖縄返還が、佐藤(栄作)総理以外の人で実現できたか。鈴木(善幸)総理の後に、果たして中曽根(康弘)さん以外の誰がいたか。こう考えると、その時々で必ずその時に必要な人が登場している。まさに、“天の配剤だ。総理になりたいと言い続けてダメな人もいれば、何も言わなくても呼び出されて総理になる人もいる。世の中、そういうものだと思っている」と。読者諸賢も、心すべしである。
想い描いた人生が、そのまま現実のものとなる可能性はほとんどない。会社が狙ったポストに確実に就けてくれるなどは、大海で沈没船の金塊を探すようなものだ。“確率”は、極めて低い。運や巡り合わせ、結局は天の配剤がそれを決めるということである。地道にやっていれば、いつか光明が訪れる。それを自信家の橋本も、ようやく分かったということのようである。
二枚目だった慶応大学時代の橋本は、じつは俳優として「第1期ニューフェース」に東宝から誘われている。この話は代議士だった父親が、その後継を考えて断わりを入れた。俳優の道を選んでいたら総理をしのぐ名優になれたかどうか、天の配剤かくやということである。=敬称略=
■橋本龍太郎=厚生大臣(第57代)、運輸大臣(第58代)、大蔵大臣(第93・94・103代)、通商産業大臣(第59代)、副総理、内閣総理大臣(第82・83代)、沖縄開発庁長官(第42代)、沖縄及び北方対策担当大臣、自由民主党総裁(第17代)などを歴任。
小林吉弥(こばやしきちや)
永田町取材歴46年のベテラン政治評論家。この間、佐藤栄作内閣以降の大物議員に多数接触する一方、抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書多数。