search
とじる
トップ > 芸能ニュース > 高須院長も参戦の“ぜんじろう・爆問太田の芸歴論争” 実は田中が一番先輩だった?

高須院長も参戦の“ぜんじろう・爆問太田の芸歴論争” 実は田中が一番先輩だった?

pic pic

爆笑問題・太田光

 爆笑問題の太田光とぜんじろうの間で巻き起こった芸歴を巡る論争はとどまることを知らない。そこに参入したのが、お騒がせいっちょかみキャラとして知られる高須クリニックの高須克弥院長である。高須氏は、4月17日のツイッターで「僕は若い時、大阪で活躍していましたので昔のぜんじろうさんの破竹の売り出しをよく覚えています。同時さんまさんの後継者だと見なされてました。太田光さんは同時無名でした」(原文ママ)と記している。

 ぜんじろうは1987年に上岡龍太郎に弟子入りし、その後1988年に月亭かなめと、かなめ・ぜんじろうを結成し、新人お笑いコンクールで優勝するなど活躍を見せる。だが、人気絶頂期に解散してしまう。理由は、相方のかなめがブレークのプレッシャーに負けてしまったためともいわれている。

 一方の爆笑問題は、1988年にコント赤信号の渡辺正行主催のお笑いライブで大爆笑を取り、その場で事務所からスカウトを受けたとされている。

 両者の芸歴はほぼ一緒といえるが、ぜんじろうの弟子期間をカウントするかが分かれ目であるといえるだろう。

 さらに、弟子期間をカウントして良いならば、爆笑問題にも「お笑い前史」が存在すると指摘するネットの声もある。

 太田の相方の田中裕二は、大学の先輩と別のコンビを組んで、『おじゃまします』(TBS系)に出演していた。この番組は平日昼間の生放送で、裏番組の『笑っていいとも!』(フジテレビ系)を意識した内容であった。素人参加のコーナーがあり、そこに田中は「東京ギャグポンプ」として出演していた。この番組の放送期間は1985年の9月から11月の2か月間である。これを田中の芸歴に含めるならば、ぜんじろうよりは先輩ということになりそうだ。

 双方の芸歴に関しては、無数の解釈が出ている状況であり、太田がラジオで述べた通り、最後は「水掛け論」となってしまいそうだ。

記事内の引用について 高須克弥氏のツイッターより https://twitter.com/katsuyatakasu

関連記事


芸能ニュース→

 

特集

関連ニュース

ピックアップ

新着ニュース→

もっと見る→

芸能ニュース→

もっと見る→

注目タグ