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深津絵里はかつて、一人二役の謎設定アイドルだった? Mステにも2度出演【有名人の消し去りたい“黒歴史”】

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深津絵里

 13日の深夜放送『ナインティナイン岡村隆史のオールナイトニッポン』(ニッポン放送系)に、『めちゃ×2イケてるッ!』(フジテレビ系)で共演していたよゐこがゲスト出演した。

 番組内では、岡村の過去の女性にまつわる話題に。すると、リスナーからの「よゐこから見て岡村のガチの結婚チャンスはあったのか?」という質問メールについて、有野晋哉が回答。「(『めちゃイケ』の)ロケ終わって、(近くに)深津絵里さんがおるってなって、(岡村が)『俺知ってるから挨拶いこうかな』と言い出して、『でも、あかんわ服着替えてもうた。今日の自前』と見せられたのが“細いベルト”だった」と記憶を辿った。

 その当時、細いベルト=「ダサいもの」とされていたようだ。有野は「あの時にベルト太かったら絶対(深津と)結婚していたよな」と岡村を励まし、「よう、そんな覚えてたな。ベルトがそれから気になってしゃあないねん」とほろ苦い過去を回顧した。

 深津というと、1997年のドラマ『踊る大捜査線』(フジテレビ系)で、刑事・恩田すみれを演じ、同ドラマのブームをきっかけにスターダムに駆け上がった。その後も、深津の出演がヒット作へと導き、03年の公開映画『阿修羅のごとく』で第27回日本アカデミー賞最優秀助演女優賞を受賞。10年9月の公開映画『悪人』では、第34回モントリオール世界映画祭最優秀女優賞、並びに第34回日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞。日本アカデミー賞での最優秀主演・助演女優賞のダブル受賞は、史上8人目となる快挙である。

 2015年には、主演映画『岸辺の旅』が、第68回カンヌ国際映画祭「ある視点部門」に出品。そんな深津は、今となっては大女優として扱われている。だが、ここまでの道のりには“大部屋の時代”もあった。

 深津は、1986年に東京・原宿で開催された『ミス原宿グランプリ』で見事優勝。13歳で芸能界に入り、「水原里絵」名義で88年3月公開の映画『1999年の夏休み』でスクリーンデビューを果たした。同作では中学生の男児を演じた深津。美少年というコンセプトに当てはまったようだ。また、同年のJR東海のCMに起用され、一躍脚光を浴びた。

 しかし、女優の下積み時代では経験しえない“黒歴史”が存在する。あまり知られていないが、深津はかつてアイドル歌手として活動しており、全く脚光を浴びずに消え去っていたのだ。

 「当時、『水原里絵』は『高原里絵』という同一人物のキャラを作り上げ、1988年10月に各々の名義で同日に歌手デビューしています。水原名義の設定では、少し影のあるミステリアスなイメージ。高原名義の時には、ボーイッシュで活発なイメージを曲と併用して使い分けていたようです。さらに、『深津絵里』としても歌手活動を行い、92年までに7枚のシングルと2枚のアルバムを発表しています」(芸能ライター)

また、1989年には、人気音楽番組『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)へ2度の出演歴もある。

「深津は、音楽家の登竜門で知られる日本音楽高等学校に在籍していたようだ。歌手を夢見て悲願のデビューを果たすも、空振りの結果に。新曲のイベントでは、観客の少ない地方のショッピングセンターなどへのドサ周りも地道に励んだ。小さなお立ち台でノリながら歌い踊るも、出す曲全てが不発で撃沈。歌手への見切りをつけ、『水原里絵』と『高原里絵』を封印し、本名でもある現在名で女優に賭けたのだろう」(芸能関係者)

 脚本家・三谷幸喜氏は、2008年の公開映画『ザ・マジックアワー』に深津を起用。三谷氏は深津に対し、「深津さんは歌でも芝居でもホントにカンの良い人でした。(アドリブも)深津さんは絶対に笑わない。彼女はNGも出さない。もう、鉄の女。絶対に崩れないタイプ」「耳もいいし、英語の発音も完璧。エンディングは圧巻でした」と太鼓判を押した。屈辱を味わった歌手時代から一発逆転を放った瞬間だろう。

 まさに、“光と影”を経験した深津。30年も前の話だが、一人二役という謎の設定が、ミステリアスを醸し出す深津の女優としての糧になったに違いない。

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