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街道を歩く(2) ラカンマキと樋口一葉の墓=甲州街道

 幹が太く、広い樹冠面積を誇るラカンマキがあると聞いて甲州街道を歩いた。ラカンマキは常緑樹で、羅漢という名称の由来は、果実と花床を羅漢の首と胴体に例えた説と、種子の形を仏にまだなりきっていない羅漢に例えた説がある。

 東京都庁がある新宿駅から西へ向かう京王線に乗り、降りたのは上北沢駅。5分ほど歩くと、東京から長野県を通って愛知県へ続く中央自動車道の高架が見えた。また、歩道の脇に「甲州街道一里塚跡」の碑が建っていた。

 甲州街道は、江戸幕府によって整備された五街道の一つ。江戸の日本橋から始まり長野県の下諏訪で「木曽路」と呼ばれた中山道と合流する。なお、五街道の始点はすべて日本橋であり、現在も日本橋の脇には「日本国・道路元標」の碑が建てられている。

 「甲州街道一里塚跡」の碑文を読むと、ちょうど中央自動車道の高架下に、日本橋から数えて四里目を示す「一里塚」があったそうだ。旅人の道しるべである「一里塚」は、運び賃などを精算する目安でもあった。約3メートルの高さに土を盛り、榎(えのき)が植えられていたという。

 「一里塚跡」を過ぎると、目的地の宗源寺(東京都杉並区)にたどり着いた。宗源寺は、室町時代から江戸時代初期頃に開創したと伝えられる寺社で、「不動堂」は、付近の高台にあったのを境内に移したもの。「不動堂」はもと「高井堂」と呼ばれており、宗源寺がある辺りの地名「高井戸」の起源になったともいわれている。ラカンマキは、宗源寺境内にあった。

 宗源寺のラカンマキは、推定樹齢350年。開創と同時期に植えられたと考えられている。樹姿は二股を繰り返しながら南に延びている。見事な樹冠面積で、幹の太さは2メートルを超えていた。都内でも、屈指の太さだろう。宗源寺のラカンマキのような姿を、臥竜型というそうだ。

 宗源寺を出てからも甲州街道を歩いたが、寺院に多さに驚いた。短い道のりの中に、肩を並べて寄り添っている場所もある。その中でひときわ大きな山門は「築地本願寺和田堀廟所」だ。大正12年(1923)に起きた関東大震災の後、再建の際、築地本願寺(東京都中央区)の墓地が当地に移された。

 「和田堀廟所」には、作家の樋口一葉や海音寺潮五郎、俳人の中村汀女、菊池寛の小説『無憂華夫人』のモデルにもなった歌人で社会事業家の九條武子の墓などがある。

 なお、日本画家の鏑木清方の作品に『一葉女子の墓』がある。一葉の小説『たけくらべ』の主人公・美登利が一葉の墓を訪れるという作品だが、製作は明治35年(1902)。泉鏡花の随筆『一葉の墓』に誘われた清方は、墓地が移される前の築地本願寺を訪れてスケッチした。(竹内みちまろ)

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