興毅は大阪・天下茶屋中学校の同級生であるこの女性に、中学2年の5月16日に交際を申し込み、2人のラブストーリーがスタート。05年4月に興毅が大阪のグリーンツダジムから東京の協栄ジムに移籍した際、高校を卒業した女性と都内で同居を開始。当時の興毅はまだチャンピオンにはなっておらず、女性は興毅の苦労時代から陰で支えてきた。
その後、興毅は06年8月に初の世界王座(WBA世界ライトフライ級)を奪取。09年11月に内藤大助を破って、WBC世界フライ級王者となって2階級制覇。10年12月にWBA世界バンタム級王座を奪取し、日本人初の3階級制覇を達成した。
現在、女性は09年に興毅が都内に購入したマンションで生活しており、スケジュール調整や事務作業などをこなし、公私両面でサポートしている。弟である次男・大毅(23)、三男・和毅(20)の面倒見も良く、父・史郎氏(46)からの信頼も厚く、周囲では“事実上の妻”として認められる存在であった。
関係者によると、興毅は「3階級制覇して25歳になったら、結婚しようと決めていた」と話していたといい、昨年12・7大阪でV3に成功した後、オフにハワイ旅行した際にプロポーズしたという。婚姻届の提出は興毅が好んでこだわっている「3」並びの3月3日に決定。12度目の交際記念日となる5月16日に、結婚を約束した思い出の地であるハワイで挙式・披露宴を行う。
芸能人やスポーツ選手が一人前になるまでは、相手がいても結婚を控えるケースはよくあること。しかし、興毅の場合は同棲開始から実に7年。ボクシングでもとうに実績を残していた。相手女性にとっては、あまりにも遅すぎた春といえそうだ。とはいえ、12年に及ぶ一途な愛を貫いた興毅は、男の中の男といえそうだ。
(落合一郎)