search
とじる
トップ > 社会 > 経済偉人伝 早川徳次(シャープ創業者)(36)

経済偉人伝 早川徳次(シャープ創業者)(36)

 幸いなことに徳尾錠はよく売れて、仕事はいくらでもあった。

 職人を2人雇った。以前は足袋職人をしていたという徳次よりだいぶ年長の大熊と、小学校を出たばかりの13歳の少年だ。徳次は作業もしたが、営業に出たり、雑用をこなしたりで、床に就くころには大抵、日が替わっていた。まさに馬車馬のように働く日々だったが、自分が独立して事業をやっているという意識、将来に対する希望が徳次を駆り立てていた。徳次には働くことが無上に楽しかった。
 独立して3カ月がたった年の暮れには120円近い収益を上げ、巻島に借りた40円は翌月には返済していた。徳尾錠の追加注文もきた。製作技術も進んで改良を加えたより洒落(しゃれ)たものをさらに手早く作れるようになった。

 洋傘の付属品については、金具に模様を付けることを徳次は思いついた。それまでは手間のいる難しいものとされていたが、転写(ロール写し)と呼ぶやり方で簡単に石突の金具に模様を彫り込むことに成功した。この模様付き石突も人気になったが、技術は徳次のオリジナルであった。
 独立して1年もしないうちに、松井町の家では材料も置ききれなくなり、巻島の世話で松井町からは目と鼻の近さの本所林町(現・千歳3丁目付近)に引っ越した。家賃は月5円50銭。職人も1人増やした。洋装はまだ普及していなかったので、バックルの注文は下火になり、洋傘の付属品と水道自在器の部品が仕事の中心になっていた。
 少し時間にゆとりのできた徳次は、さっそくかねて考えていた水道自在器の改良に取り掛かった。9つ必要だった部品を3つにまで減らすことに成功し、試作品を巻島に見せてみると「こいつは売れる、間違いねえ」と太鼓判を押された。徳次は”巻島式五号水道自在器”として特許を取った。この特許は、まだ20歳に手の届かない徳次に資金を貸してくれたり、ほかにもさまざまな世話になっていたので、巻島にいずれは譲るつもりで“巻島式”と命名したのだ。
 巻島式水道自在器は爆発的な売れ行きだった。
(経済ジャーナリスト・清水石比古)

関連記事


社会→

 

特集

関連ニュース

ピックアップ

新着ニュース→

もっと見る→

社会→

もっと見る→

注目タグ